Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ハリース デューティー

2004-12-22 | 歴史・時事
残念ながら後を絶たない子供誘拐殺人鬼が、取り調べの警察を拷問で訴えた。ヘッセン州の地方裁判決は、副所長を執行猶予付きの有罪に処した。賛否両論あるにせよ一般の健全な市民感情を大きく揺さぶる。お楽しみ刑事ドラマでは、「口を割れば子供の命が助かる」と云うケースは決まって正義感を持った刑事の心の葛藤として描かれる。サンフランシスコ市を舞台とするダーティー・ハリーシリーズなどは正面きってこの問題を描く。

さてこの判決は、「如何なる理由にせよ拷問等の超法規的処置を認めない」と同時に「そしてこの状況を量刑で特に酌量」している。つまり超法規的暴力行為は、如何なる状況においてもそれが「釈明」とはならない。この判決がドラマと違うのは、敢えて解釈すれば決して再犯を抑止出来ない凶悪殺人者と殺害された子供の生命を同等に扱っている事であろう。ここでは人権と云う言葉でなく「人間の尊厳」が使われる。この女性裁判長を含め心情的な軽重は誰にも必ず存在するが、それは許されないという大前提である。違った見方をすれば、「多くの性的加害者は往々にして性的被害者であった」という因果応報の暗い人間界が顕れてくる。

さらにこの話題が善良な市民を不安にさせるのは、我々に向けられている直接の暴力だけではない。我々は大なり小なり「警察官のモラル」、「犯罪人のモラル」、「市民のモラル」と云うものに立脚して生活している。そしてここで残念ながら実体のない「モラル」の現実を突きつけられて狼狽する。新聞の社説などもどちらかといえば寓話として扱ったりギリシャ神話の裁きをもって対象化する。ドイツ第二放送TVのアンケート調査では、視聴者の三分の二が警察の無罪を主張した。司法の判断と一般市民の感覚のずれが何よりも憂慮される。
コメント (3)
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