
昭和18年(1943)6月8日、戦局が深刻化していた頃、正午過ぎに日本が世界に誇る戦艦「陸奥」(39,050トン、全長225m、全幅30m)が呉近くの瀬戸内海で爆沈する。乗組員1,474名のうち1,121名が死亡するという大惨事が出来する。時の軍は機密事項として対応し、原因究明にあたる。吉村はある取材でこの事実を知り、丹念に粘り強く、資料収集、取材を始める。
「陸奥爆沈」は、「戦艦武蔵」(昭和41年・1966)と並び称される戦史文学の傑作である。昭和45年(1970)5月刊行。
その原因は潜水艦による雷撃か。調査を進めると、昭和においていくつか起きた軍艦の爆発事件に人為的な原因があることを突き止める。果たして陸奥は・・・。
吉村は「私が戦争を書く理由は、自分を含めた人間というものの奇怪さを考えたからにほかならない。350万人の生命を死に追いやった悲惨事は、この島国にはなかった。たまたまその時代に接触し生きた私は自分なりの眼でその事実を見つめ直してみたいともう」と。
しかし一方で、「だが、私は最近多分に悲観的になっている。それは、とかく過去を美化しがちな人間の本質的な性格に災いされているからで、あの戦争も郷愁に似たものとして回顧される傾きが強い」とも。
「陸奥爆沈」は、「戦艦武蔵」(昭和41年・1966)と並び称される戦史文学の傑作である。昭和45年(1970)5月刊行。
その原因は潜水艦による雷撃か。調査を進めると、昭和においていくつか起きた軍艦の爆発事件に人為的な原因があることを突き止める。果たして陸奥は・・・。
吉村は「私が戦争を書く理由は、自分を含めた人間というものの奇怪さを考えたからにほかならない。350万人の生命を死に追いやった悲惨事は、この島国にはなかった。たまたまその時代に接触し生きた私は自分なりの眼でその事実を見つめ直してみたいともう」と。
しかし一方で、「だが、私は最近多分に悲観的になっている。それは、とかく過去を美化しがちな人間の本質的な性格に災いされているからで、あの戦争も郷愁に似たものとして回顧される傾きが強い」とも。