光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

水の流れがなくなった

2007-09-28 07:27:47 | 散策
  朝の天気、晴れか曇り。少し雲が黄色い。風は南から、乾いた風がまだ吹いている。室温24.5℃、動くと汗ばむ。
  日の出はまだ5時台であって、でも日没も午後の5時台である。分の単位の値までだいたい同じで、それで、太陽の南中時刻は、午前11時42分である。国立天文台の暦のページを参照している。
  南中とは、天体の中心が子午線を(東から西に)通過する時刻と、同じ暦のページに説明があるが、これはちょうど太陽が真南にある時刻と考えていいと思う。真南にあるのなら、その時刻がちょうど12時でないといけない気もするが、これを不思議と思い、何故かその理由を知ろうとすると、これはちょっと大変なことになる。
  太陽暦でも、太陽の南中時刻は12時ではなくいや12時とは限らず、陰暦でも、15日は、満月とは限らなかった。いつの時代にも、なんか妙な感じは付きまとうが、これを納得できるよう考えるのは難しく、妙なものだなという感想を持って終わりにするのがいい、と私は考えている。
  なんか暑くなってきた。今日は雨が降るはずだが、すでに暑い。26℃になっている。
  ラジオのアナウンサさんが鼻声になっているのを聴き逃さなかった。でも、はずれているかも。アナウンサのおられるところは、防音室で、恒温室で、湿度も温度も厳密に管理されている、と想像する。人間も大変であるが、機械の方もそう簡単に壊れてしまっては困る。そのために、管理は厳重で、アナウンサの方の苦労も耐えない。外の気温は激しく変化する。そして、スタジオの中は、いつも環境は一定。この差が、体に影響する。
  それと、アナウンサの方は忙しすぎるんではないか。中にいればいいわけでなく、あっちに行ったりこっちに出たりと、また土、日にも仕事があって、さらに月に2度は東京を往復している。話しを、ときどきだが、聴くとそうゆう風になる。
  あー、ハチャメチャな事を書いている。
  用水なり下水なり、小さな水路なりから、水が消えつつある。これは、もう田んぼに水を送る必要がなくなったからで、そうなると、水が流れているところを見るなり、撮ることが出来なくなる。近くに小川くらいあるはずだが、それがない。一級河川はあるが、どうも私が考えているものは、そこには現われない。
  ゆっくりと、あるいはかなり急に流れている、さほど変化のない水の流れを見ているのは、なかなか楽しいものだ。さらに、この水面に太陽光が当たって、それが反射すると、これをカメラでファイルにするとちょっと想像が付かないものが、写っている。これは、なかなか面白いと思った。現象の解析は無理だが、観察は可能だ。これを、続けてみようと思ったが、残念ながら程々の水の流れはなくなってしまった。こうなると、残るはやはり水玉と木漏れ日だが、これも遅かれ早かれなくなってしまう気がする。もったいない。
  ハチャメチャ続きで終了します。すいませんです。

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