今朝は雪はない。たぶん降っていない。曇りか晴か。
きのう、朝は晴れていて、ただ極端に寒い気もしたが、雪が降った、いや雪がちらついたのは、朝の早い時間では
なく、午前10時ころから。この雪はしかし、予想と違って、積もる雪ではなかった。気が付くと、降っていた。
まだ降る、という感じ。
というと、これはカメラの画像のデータとも一致するが、一面雪となったのは、26日(金)ではなく25日の木曜。
この日が、朝早く車を運転する方が、そのバリバリ音にもしかして驚いた、そうゆう日だったかどうか。
どうも怪しい。自分でもその日をいまは特定できない。
で、25日の朝の雪はあって、そのあとに晴れている。結構晴れたので、山も姿を見せた。その画像を何枚も撮った。
それをきのう出していて、他のもののほうがよかったと思うことにもなるが、今日は、同じ日であるが、朝の雪。
この雪は朝だから、流れとしては、あっておかしくはない。PCで多少は、何が起こっているか見ていて、さらに掃除も
して、いい景色だ、と思うと、手を休めて、カメラ。ながらだけど、朝はここまでで、もう後のものは、その日の画像には
しない。
で、きのうが山で今日は雪だが、時間的なものとしては逆だが、印象はやはり山のほうが強かったかな。
でもこの雪も、不思議な魅力があって、まずは写らない。屋根に積もってはいる。でも屋根の瓦の形をも反映しない
雪で、それほど細かい、滑らかな雪だったのだろう。気温も低いので、そうゆう雪が降った。
言い方は妙だが情報量は少ないので、画像の容量としては、やけに少なくなる。そこに雪を見ているのではなく
ただ白い何かのようなものであるが、やはり雪。
これだけだと足らない。といつものように、しばらく昼食の後、考え事をしていて、脳裏の記憶を探したが
駅のことが思い出された。
たまに新聞に、富山駅のことが載る。富山ローカル、北陸、高山本線、富山地鉄、鉄道はこれだけか。
ライトレールは、県・市税も投入されているような気もする。もちろん、北陸にも、莫大な税金が。
幹線となるまで、どのくらいの税金が使われたか。いまはまだ富山駅の整備は、終わってはいない。終わらないかも
知れないな。周辺の問題もある。「ちまちま」としたところ、もっとも大切なところかも知れないが、そこまでは出来
なかった。夢を実現するに、さらにお金と時間はかかる。絵がでかすぎたかな。
駅の印象は、残るものだ。学校などはそうでもない。会社も。というよりも、学校と会社は、その後も夢に何度も現わ
れた。この夢が負担になって来たのは、20年くらい前か。まだこんな夢を見る。マイクロピペットに、ゴム管つけて
タンパクの入った溶液を吸う。これはいいほうで、途方にくれている、いまの自分が夢の中にいる。
東京駅がいいかな。いったいにいつ、この駅にいったか。学生のとき、何度か新幹線でいった。
乗るのは「こだま」だ。こだまはこだまでいいかどうか。で、ドアが開くと、人の流れについてゆく。すると
駅の中に改札があったかも。階段を下りる。山手線に乗って上野にゆくときもあったが、地下鉄の場合は
大手町まで歩いた。これは長かった。
東海道線のホーム、新幹線ではないところ、これはたぶん経験がない、降りた。
東京駅はただの通路だった。ここにいろいろなものがあることを知るのに、時間と暇がいる。
新幹線の改札を出て、北と南に、皇居側、宮城側に出る道があった。北側のほうは地下のトンネルのようで
ここもよく通った。丸の内側というのが、一般的か。東が、八重洲口。大丸があるほうで、いまは知らない。
こちらのほうが後から知ったと思う。八重洲ブックセンターは、もう学生のときからあった。
道は両方に行けるのだった。
東京駅の中でというと、松戸にいたときは、京浜東北か山の手で、上野まで出て、あとは常磐線の快速。
緑の列車。他がないな。千葉方面への階段を下りてゆくところは知らない。新しく東京に行かれる人は
混乱するのではないか。中央線の快速は、御茶ノ水からだった。
大手町まで歩けないことはないので、丸の内線に乗れて、ここから本郷三丁目にもいった。これは会社が
あったころの話で、もちろん大学ではない。千代田線だと、二重橋という名がついた駅があったが、東京駅から
早く千代田線に乗りたいならここだなと思う。もっとも、いま東京の地下鉄がどうなっているか。
線路図は、手帳には付いているが、こんなもの見て、どこに行ける。
姪がいて、割といまに近い時間、東京で、仕事のためということで、10日ほど、ホテル暮らしをしたという。
このときのため、携帯はそのままで、ある機能を停止し、スマホを購入したという。スマホで東京を動けるか。
しかし、そうはあちこちは行かなかったようで、なんの心配もなく、東京でのホテル暮らし、悪くはなかったと
いった。いまは完全に、姪の方が、どこにゆくにしても、方法なりテクニックを持っている。車もOK。
飛行機も怖くないという。どうゆう神経をしているのだろう。
時間なくなった。こうゆう話は、役にはたたないが、都、京都ではないけど、都を一度は経験して
後は落ちるしかなかった。そうゆう人は、いろいろ思い出を書きたくなることはあるのではないか。
その一。見た感じ、いつもと同じ、2月25日朝。
その二。
その三。ピントは、雪では出ない。
その四。
その五。滑らかな雪だな、粒子状か。曲面を描いているかも。滑らかで連続。
その六。
その七。屋根も瓦ではだめで、雪のないところとの境目で。
その八。
その九。
その十。これも雪。
雪ねー、もういい。
きのう、朝は晴れていて、ただ極端に寒い気もしたが、雪が降った、いや雪がちらついたのは、朝の早い時間では
なく、午前10時ころから。この雪はしかし、予想と違って、積もる雪ではなかった。気が付くと、降っていた。
まだ降る、という感じ。
というと、これはカメラの画像のデータとも一致するが、一面雪となったのは、26日(金)ではなく25日の木曜。
この日が、朝早く車を運転する方が、そのバリバリ音にもしかして驚いた、そうゆう日だったかどうか。
どうも怪しい。自分でもその日をいまは特定できない。
で、25日の朝の雪はあって、そのあとに晴れている。結構晴れたので、山も姿を見せた。その画像を何枚も撮った。
それをきのう出していて、他のもののほうがよかったと思うことにもなるが、今日は、同じ日であるが、朝の雪。
この雪は朝だから、流れとしては、あっておかしくはない。PCで多少は、何が起こっているか見ていて、さらに掃除も
して、いい景色だ、と思うと、手を休めて、カメラ。ながらだけど、朝はここまでで、もう後のものは、その日の画像には
しない。
で、きのうが山で今日は雪だが、時間的なものとしては逆だが、印象はやはり山のほうが強かったかな。
でもこの雪も、不思議な魅力があって、まずは写らない。屋根に積もってはいる。でも屋根の瓦の形をも反映しない
雪で、それほど細かい、滑らかな雪だったのだろう。気温も低いので、そうゆう雪が降った。
言い方は妙だが情報量は少ないので、画像の容量としては、やけに少なくなる。そこに雪を見ているのではなく
ただ白い何かのようなものであるが、やはり雪。
これだけだと足らない。といつものように、しばらく昼食の後、考え事をしていて、脳裏の記憶を探したが
駅のことが思い出された。
たまに新聞に、富山駅のことが載る。富山ローカル、北陸、高山本線、富山地鉄、鉄道はこれだけか。
ライトレールは、県・市税も投入されているような気もする。もちろん、北陸にも、莫大な税金が。
幹線となるまで、どのくらいの税金が使われたか。いまはまだ富山駅の整備は、終わってはいない。終わらないかも
知れないな。周辺の問題もある。「ちまちま」としたところ、もっとも大切なところかも知れないが、そこまでは出来
なかった。夢を実現するに、さらにお金と時間はかかる。絵がでかすぎたかな。
駅の印象は、残るものだ。学校などはそうでもない。会社も。というよりも、学校と会社は、その後も夢に何度も現わ
れた。この夢が負担になって来たのは、20年くらい前か。まだこんな夢を見る。マイクロピペットに、ゴム管つけて
タンパクの入った溶液を吸う。これはいいほうで、途方にくれている、いまの自分が夢の中にいる。
東京駅がいいかな。いったいにいつ、この駅にいったか。学生のとき、何度か新幹線でいった。
乗るのは「こだま」だ。こだまはこだまでいいかどうか。で、ドアが開くと、人の流れについてゆく。すると
駅の中に改札があったかも。階段を下りる。山手線に乗って上野にゆくときもあったが、地下鉄の場合は
大手町まで歩いた。これは長かった。
東海道線のホーム、新幹線ではないところ、これはたぶん経験がない、降りた。
東京駅はただの通路だった。ここにいろいろなものがあることを知るのに、時間と暇がいる。
新幹線の改札を出て、北と南に、皇居側、宮城側に出る道があった。北側のほうは地下のトンネルのようで
ここもよく通った。丸の内側というのが、一般的か。東が、八重洲口。大丸があるほうで、いまは知らない。
こちらのほうが後から知ったと思う。八重洲ブックセンターは、もう学生のときからあった。
道は両方に行けるのだった。
東京駅の中でというと、松戸にいたときは、京浜東北か山の手で、上野まで出て、あとは常磐線の快速。
緑の列車。他がないな。千葉方面への階段を下りてゆくところは知らない。新しく東京に行かれる人は
混乱するのではないか。中央線の快速は、御茶ノ水からだった。
大手町まで歩けないことはないので、丸の内線に乗れて、ここから本郷三丁目にもいった。これは会社が
あったころの話で、もちろん大学ではない。千代田線だと、二重橋という名がついた駅があったが、東京駅から
早く千代田線に乗りたいならここだなと思う。もっとも、いま東京の地下鉄がどうなっているか。
線路図は、手帳には付いているが、こんなもの見て、どこに行ける。
姪がいて、割といまに近い時間、東京で、仕事のためということで、10日ほど、ホテル暮らしをしたという。
このときのため、携帯はそのままで、ある機能を停止し、スマホを購入したという。スマホで東京を動けるか。
しかし、そうはあちこちは行かなかったようで、なんの心配もなく、東京でのホテル暮らし、悪くはなかったと
いった。いまは完全に、姪の方が、どこにゆくにしても、方法なりテクニックを持っている。車もOK。
飛行機も怖くないという。どうゆう神経をしているのだろう。
時間なくなった。こうゆう話は、役にはたたないが、都、京都ではないけど、都を一度は経験して
後は落ちるしかなかった。そうゆう人は、いろいろ思い出を書きたくなることはあるのではないか。
その一。見た感じ、いつもと同じ、2月25日朝。
その二。
その三。ピントは、雪では出ない。
その四。
その五。滑らかな雪だな、粒子状か。曲面を描いているかも。滑らかで連続。
その六。
その七。屋根も瓦ではだめで、雪のないところとの境目で。
その八。
その九。
その十。これも雪。
雪ねー、もういい。