今日は思ったのとは違って、気温は低いままである。
こうゆうときは間違いなく、寒いと思う。午前もいい時間になって、行くところがあるが、それよりも
晴れ間も出るだろうと思える空が、だんだんと雲に覆われて、朝見た日の出はなんだったのか。
この辺り、どうもころっとお天気にだまされてしまって、ただひどい天気ではないな、こうゆう日もあると
少し落ち着いたころに思う。
道々の雪の量、そうゆうものは、出かけているときはもうなかった。気温がない、プラスだが、冷蔵庫の標準
設定の温度、4℃、ここまで上がっていない。しかたなしに、クマに見える、あまりいい感触もない、ジャンパー。
これを着た。
話は短い方がいいようだが、このことについて書くことは、特にない。支払いにいっただけの話。で、お店で
話しをしていて、風邪を引いたが、こんなひどくなったのは、これまでになかった。そうこぼす少し年が上の人だが、
私としては、ずいぶんと元気だった、ということか、である。これも話しの話、ということ。
私も法螺とまではいかない、そうゆうことをいう。法螺がふければ、と思うのだが、最近言葉も出なくなった。
ここからが肝心で、帰りである。人が歩く、珍しいことかも。みなクルマである。見たところ、薄着である。
スラッとしている。女性のようで、いろいろ着るものその他、気を使っているのだろう。
年齢まではわからなかったが、歩くということにまずは感心。薄着、ブカブカ感はない。特に、上よりも、下の
ほうがやけに細く見える、そうゆう衣装である。私は自分がどうゆう格好をしているか、よく知っている。
お寺の横の道を通った。紅梅が咲いていたが、あまり見た感じはよくはなかった。こっちに似ているな。
ま、そうゆうこともある。
で、寒いという話で、画像はきのうの立山連峰で、これをどうするかなかなか思うようにゆかない。
まずは枚数がやたら多くなる。ある時間、これはいい、そう思う。で、また時間がたつ。これもいいかも。
こうゆうことをやっていると、ただただメモリを消費する。あとで見ると大変なのだが、一番いい、それが
選べない。しょうがない。これが自分なのだと思う。
晴れているので、青っぽくなる。白い雪、白い雲がある。雲がやけに絡みつくのは、そこが3000m級の山だからで
それゆえおもしろいのだが、いまは人はいないだろう。それでもこれだけの雲が出る。あるいは雲の変化が
ある。やはり山にも春が来ているのかと思う。きのうはいい天気の時間が多かったので、それゆえ
今日も同じような天気になるだろう。そう思ったが違った。
海というと、日本海である。海流の話ではない。ブリもシロエビも関係なし。海流の話は、先週の土曜日に
ゴンチチさんのやっている、NHK-FMの番組を録音して聞いているので、そのときに出たもので、これが頭に
残っていた。お二人の間で、この海の、地球の話が出なかったら、海流やら海のことも考えなかったかも。
日本海というと、海だが、昔むかしは、大陸とつながっていた。この言い方は変だな。長い時間がたって
大陸の一部に、変化が起こって、やがて海が出来た、ということか。湖ではなく、太平洋とつながって
海になった。そうゆう時代に、人類はいたのかな。伸びたり縮んだり、山が出来て、海が出来る。
日本海というと、やはりいいのは冬。北陸本線があった頃、の話である。信越本線なら、直江津で、上越線なら
長岡で、電車は向きを変える。北陸本線の東側の起点は直江津。直江津と長岡間は、信越本線である。
これは上野から、金沢へと向かう場合の話。
どの辺の駅から、海が見えたか。信越本線も、海のそばを通っていたか、ちょっとはっきりとしない。
しかし、北陸本線の場合、海はすぐそばまであった。こうゆうところを鉄道は走っている。冬である。
雪が舞っている。まるで今日のような天気の日だ。
日本海は荒れる。風で、大陸からの高気圧で、寒波が来る。線路まで、波が飛んでくるような感じがあった。
波は押し寄せて引いてゆくから、これを見ていると、さすがに少し恐ろしくはなるが、それよりも、なに色とも
いいがたい、荒れた日本海の色は、その当時はいい、これが海の色だ、とも思った。
夏などは、たとえば海水浴も出来る、そうゆうところがいくらでもあるが、普通に青い色をしている。
そうゆう記憶がある。砂浜にはゴミ、これはどこでも同じだ。
でも、新潟と富山の境辺り、北陸本線から見る、荒れた日本海。そこで泳ぐ人はもちろんいなかったが、
ゴミもなかったような気がする。
日本海側の鉄道で、海の横といっていいところを走る鉄道は多かったと思う。北陸本線は、米原も知って
いるので、崖っぷちを通るむかしの時代も懐かしい。直江津の街の感じは、どうも印象はない。
もうすぐに富山だ、と思うが、実はなかなかなのである。
だんだんと、人は減ってゆく。暗くなる、外が。海の見えるときは明るいときだけだ。
やはり旅というのは、そうゆうものだろう。
そんなむかしではないが、仙台にいる叔母、父の妹が、新幹線を使わずに、列島を横断して
乗り継ぎ乗り継ぎで、日本海ルートを使って、ここ富山に来た。この話を聞いたとき、かなり驚いた。
そうゆうこともできる人だったのか。いやはや、大糸線を使って、東京に行くような感じだな。
仙台と富山、どうゆう経路が考えられるか。
しかし、これには昔の時刻表がいる。
上野からの列車で、あるいは電車で、立山連峰を見たか。この記憶はない。
座る位置の問題ではない。どうも海ばかり見ていたようだ。ということは山は見えなかった。
あー寒い。
その一。
その二。すごい雲である、春だから。
その三。
その四。手前の木の雪はここのいえのもの。
その五。
その六。
その七。
その八。剱岳は見えたり見えなかったり。
その九。
こうゆうときの画像の調整は、なかなかうまく出来ない。
今日は本当に寒い。
こうゆうときは間違いなく、寒いと思う。午前もいい時間になって、行くところがあるが、それよりも
晴れ間も出るだろうと思える空が、だんだんと雲に覆われて、朝見た日の出はなんだったのか。
この辺り、どうもころっとお天気にだまされてしまって、ただひどい天気ではないな、こうゆう日もあると
少し落ち着いたころに思う。
道々の雪の量、そうゆうものは、出かけているときはもうなかった。気温がない、プラスだが、冷蔵庫の標準
設定の温度、4℃、ここまで上がっていない。しかたなしに、クマに見える、あまりいい感触もない、ジャンパー。
これを着た。
話は短い方がいいようだが、このことについて書くことは、特にない。支払いにいっただけの話。で、お店で
話しをしていて、風邪を引いたが、こんなひどくなったのは、これまでになかった。そうこぼす少し年が上の人だが、
私としては、ずいぶんと元気だった、ということか、である。これも話しの話、ということ。
私も法螺とまではいかない、そうゆうことをいう。法螺がふければ、と思うのだが、最近言葉も出なくなった。
ここからが肝心で、帰りである。人が歩く、珍しいことかも。みなクルマである。見たところ、薄着である。
スラッとしている。女性のようで、いろいろ着るものその他、気を使っているのだろう。
年齢まではわからなかったが、歩くということにまずは感心。薄着、ブカブカ感はない。特に、上よりも、下の
ほうがやけに細く見える、そうゆう衣装である。私は自分がどうゆう格好をしているか、よく知っている。
お寺の横の道を通った。紅梅が咲いていたが、あまり見た感じはよくはなかった。こっちに似ているな。
ま、そうゆうこともある。
で、寒いという話で、画像はきのうの立山連峰で、これをどうするかなかなか思うようにゆかない。
まずは枚数がやたら多くなる。ある時間、これはいい、そう思う。で、また時間がたつ。これもいいかも。
こうゆうことをやっていると、ただただメモリを消費する。あとで見ると大変なのだが、一番いい、それが
選べない。しょうがない。これが自分なのだと思う。
晴れているので、青っぽくなる。白い雪、白い雲がある。雲がやけに絡みつくのは、そこが3000m級の山だからで
それゆえおもしろいのだが、いまは人はいないだろう。それでもこれだけの雲が出る。あるいは雲の変化が
ある。やはり山にも春が来ているのかと思う。きのうはいい天気の時間が多かったので、それゆえ
今日も同じような天気になるだろう。そう思ったが違った。
海というと、日本海である。海流の話ではない。ブリもシロエビも関係なし。海流の話は、先週の土曜日に
ゴンチチさんのやっている、NHK-FMの番組を録音して聞いているので、そのときに出たもので、これが頭に
残っていた。お二人の間で、この海の、地球の話が出なかったら、海流やら海のことも考えなかったかも。
日本海というと、海だが、昔むかしは、大陸とつながっていた。この言い方は変だな。長い時間がたって
大陸の一部に、変化が起こって、やがて海が出来た、ということか。湖ではなく、太平洋とつながって
海になった。そうゆう時代に、人類はいたのかな。伸びたり縮んだり、山が出来て、海が出来る。
日本海というと、やはりいいのは冬。北陸本線があった頃、の話である。信越本線なら、直江津で、上越線なら
長岡で、電車は向きを変える。北陸本線の東側の起点は直江津。直江津と長岡間は、信越本線である。
これは上野から、金沢へと向かう場合の話。
どの辺の駅から、海が見えたか。信越本線も、海のそばを通っていたか、ちょっとはっきりとしない。
しかし、北陸本線の場合、海はすぐそばまであった。こうゆうところを鉄道は走っている。冬である。
雪が舞っている。まるで今日のような天気の日だ。
日本海は荒れる。風で、大陸からの高気圧で、寒波が来る。線路まで、波が飛んでくるような感じがあった。
波は押し寄せて引いてゆくから、これを見ていると、さすがに少し恐ろしくはなるが、それよりも、なに色とも
いいがたい、荒れた日本海の色は、その当時はいい、これが海の色だ、とも思った。
夏などは、たとえば海水浴も出来る、そうゆうところがいくらでもあるが、普通に青い色をしている。
そうゆう記憶がある。砂浜にはゴミ、これはどこでも同じだ。
でも、新潟と富山の境辺り、北陸本線から見る、荒れた日本海。そこで泳ぐ人はもちろんいなかったが、
ゴミもなかったような気がする。
日本海側の鉄道で、海の横といっていいところを走る鉄道は多かったと思う。北陸本線は、米原も知って
いるので、崖っぷちを通るむかしの時代も懐かしい。直江津の街の感じは、どうも印象はない。
もうすぐに富山だ、と思うが、実はなかなかなのである。
だんだんと、人は減ってゆく。暗くなる、外が。海の見えるときは明るいときだけだ。
やはり旅というのは、そうゆうものだろう。
そんなむかしではないが、仙台にいる叔母、父の妹が、新幹線を使わずに、列島を横断して
乗り継ぎ乗り継ぎで、日本海ルートを使って、ここ富山に来た。この話を聞いたとき、かなり驚いた。
そうゆうこともできる人だったのか。いやはや、大糸線を使って、東京に行くような感じだな。
仙台と富山、どうゆう経路が考えられるか。
しかし、これには昔の時刻表がいる。
上野からの列車で、あるいは電車で、立山連峰を見たか。この記憶はない。
座る位置の問題ではない。どうも海ばかり見ていたようだ。ということは山は見えなかった。
あー寒い。
その一。
その二。すごい雲である、春だから。
その三。
その四。手前の木の雪はここのいえのもの。
その五。
その六。
その七。
その八。剱岳は見えたり見えなかったり。
その九。
こうゆうときの画像の調整は、なかなかうまく出来ない。
今日は本当に寒い。