光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

日の出の様子で春が近いかどうか、26日から28日。今日の空は春霞。

2016-02-28 14:02:54 | 散策
  ようやく暖かくなってきた。


  いろいろなことが起こるものだが、弱者、あるいは難民、そうゆうところで、いまは特に嘆くことはない。

  弱者、なんという言葉か。病弱とか、気が小さいはあるけど。普通に、子供はというと、最近は発達いい人は

  いるので、体力的なところでは負ける。他の面でも。いまは子供の皆さんは、いろいろな知識、芸、処世術まで

  心得ていて、株の欄など見ている。こうゆう書き方は、昭和の時代かも知れない。


  概して、TVなど見ていると、カメラの前で堂々としている。そうか、そうゆうところでしか、今ごろの子供の姿を

  見ることもない。でも、いまでも、小学生、それもまだ1年生かな、一人で学校に行けなくて、お母さんと一緒。

  子供の数も少ないが、いまどき集団登校、という考えがあるのだろうか。


  小学生は、この辺りではあまり姿を見ない。中学になると、自転車通学になる人はいて、その姿はよく見る。

  もっとも、朝は遅刻も出来ないので、ケータイ、スマホ、見てチャリンコを転がす、そうゆう姿はない。

  休みとか、たまにこっちが歩いていて、チャリンコ乗って、ケータイを見る、そうゆう姿を私が見る。これ、平成、

  それも20年以降かな。2000年、ケータイはあったかな。


  人が集まるという場所で、いまの人は、苦労している。話せば、たとえばけんかでも、一回はやってみると

  いい。それで仲良くなれるときがある。これは大人でも同じで、刃傷沙汰にならない限り、暴力を振るわない限り

  ガンガンと言い合い、罵倒しあうのはいい。程度がある。加減、その範囲でいろいろ言い合いをする。

  この例、私が会社にいたときも、直接にいろいろ教えてもらった人とは、だんだんと険悪なムードにもなった。

  こうゆう風になるのは実は当たり前で、そんないつも仲良くなんてあり得ない。だから言われた。


  「原稿の一つも、書いてもらったら」。これはなかなか大変なことだ。それが出来るというのが、仕事が

  出来ることになる。これで、つまらない独りよがりもなくなる。でも、ここまでになるに、互いに自分の

  主張なり考えはある。もともと、本を作る、そのためのいろいろを知っているわけではない。

  ただ自分がやって来たこと、それだけが、そのときの私を支えていた。


  知らない人を、まずは尋ねる。相手は学者さんである。学生さんの場合もあるが、大体は、将来は研究者になる。

  そうゆうコースにいる。年齢関係なく、さまざまな人と話をしないといけない。


  不安だらけになる。競争相手は、みな自分よりは上、そのようにしか見えない。別に、なにかコネがある。

  そうゆうものでもない。

  黙って電車に乗って、渋谷で降りて、その先一つか二つ、降りる。まずは、最初は、上の人に

  ただくっ付いていただけ。だが、それも長い時間、そうゆうことが出来る、というわけではない。

  いい年齢で、学校の先生と話も出来ないのか。そうゆう目で見られることになる。

  私は、この心理的な、重圧に負けた、と思う。もっとも、これはその当時、いやいまでも、みな条件的には

  同じだ。仕事としては。


  箱の中での仕事は仕事ではない。それは会社から帰ってやって、そうゆう塩梅、空気が流れていた。

  それにしても、いまどきTVで見る若い人は、TVそのものにも慣れているし、仕事を依頼する、あるいは助言まで

  する。それが出来る。なるほど、そうゆうことかだが、どうもTV画面ゆえ、格好はいい。そうはうまくゆかない。

  これがうまくゆくと、本はもっと売れるはずだ。


  NHKのEテレは、子供さん向けのもの、これを普段は見ないが声だけ流している。もちろん、あるところで切る。


  で、宵の時間、今度は、中学か、高校か、という人を相手にした、番組がある。時代は、言葉で直接は少ない。

  デジタルデバイスで、空を飛ぶ電波。これが会話か。これで、お金儲けを、うまく考えた人がいる。だから

  新聞も、本も売れなくなった。右に倣え。そればかりではないと思うけど。


  これ見ていると、たとえば5年前だと、海外に、ある高校生は、短い時間滞在して、異国の学校の同年代の人と

  交流する。そうゆう企画はあった。もちろん、一人で何でもは出来ない。ディレクタとカメラと音声さん、

  ある場合は通訳の方がいる。それを軽くこなす、当時の高校生は、いまは社会人になって、何をやって

  いるのかな。国連の職員だろうか。


  自分の弱いところ、がよくわかるシーンだ。この言葉が抜けた。

  いい(ええ年して)年齢でもあって、親の介護もしていたが、若い人は新しいなにかを発見して

  むかしから決別してゆく姿があったと思う。私には出来そうにない。ただ、この海外での交流は、言葉と言葉の

  会話で、デジタルデバイスは出てこなかった。自分の口から出る、英語なり、あるいは日本語で、どうにか

  通じるようにした。

  
  私のむかしを振り返ることに意味はもうないが、思うことは、直接相手と向き合って話をする。これが思う

  ように出来なかった。なかなかむつかしいことだ。気が弱い、ではすまなかった。

  ある国では、みな「あなた」は、「You」で済む。尊敬語も、謙譲語もない。みな同じだということらしい。

  まー落ちると、すごい言葉は出るのはどこでも同じだと思うが。


  苦々しい感じもする、気温が上がった日。


  日の出画像、26日から28日。今日はただそこに月があるというものも。


  26日。寒かった日だ。



  その一。




  その二。冬、凍った、朝の画像もこのあとのもの。




  その三。



  27日。



  その四。




  その五。




  その六。



  28日、今日である。



  その七。




  その八。日は出ているが雲で見えない。




  その九。月、だいたい太陽と同じ大きさ。




  その十。ようやく少し出た。


  毎日、なかなか大変だな、だが、今日もやはり大変だな。



のんびりとした朝になった。月がまだ出ていて、太陽も出た。

2016-02-28 07:10:49 | 散策
  朝起きて外を見ると、一部濡れている感じがあって、より明るくなって

  弱い雨が降っていることを知る。

  天気は晴れである。


  きのうの午後は、かなり暗くなって来て、部屋の中は陰湿感はあったが、午後遅く少し明るくなった。

  その後はもうわからなくて、今朝になって、きのうと同じように、青い空に黄色い月が出ているのを見た。

  今日は、雲が地平近くにあるので、日の輪郭がわかるのは遅れた。

  いまは月と太陽が両方出ているのがわかる。


  このところ、ネコが毎日来る。一日二回来ることも、朝と晩と、どうゆうことなのだろうか。

  きのうは夜が暗かった。ここはガマンしてもらって、明日の分を少しだけ残した。

  今日は怒ったような鳴き声さえ出していたが、しかしいつもの小さい声に変わった。

  たくさんは残っていない、不思議な顔をしている。考え変えないとだめか。

  もっとも、金曜日は、半生の肉、ネコのもっとも元気が出るものをあげている。


  2月26日、金曜日だが、この日の朝も冷えていて、木々の葉に、雪が付いたか、融けたものが凍ったか

  これが光っている。毎年これは見ることが出来るが、今年は少ないかな。













  なかなかいいものだが、何しろ寒すぎた。



  今朝の空は春そのもの、雲の色も春。