カノコユリである。
去年は、あまり近付けない感じがあった。ことしは、大丈夫そうで、
勝手な判断だが、近付いて撮影。
明るい、日の強い状態。それで、花は新鮮で白い、また赤味も鋭い。
その三。
その四。
その五。
その六。植物全体が、少し倒れているようなところもあり、花もどう
ゆう方向で咲いていたか、はっきりとしない。
小さい、ヤマトシジミ。
オキザリスという、もも色の小さい花があって、これは小さいチョウも
よく止まって、蜜を吸っているようだ。このオキザリスの元気が今ひ
とつ。
花の概略を知っていると、このヤマトシジミやけに小さく見える。
これはチョウが花に顔を突っ込んでいるというより、横の方から蜜を
吸っていると解釈すべきか。
きのうとあまり温度的なものやらは、変わらない気がするがやけに暑い。暑いし、さら
になんだか段々と肥満の度合いも増してくるようで、これではいけないとか、なんども
思って今回も思うのである。
ざっとこの2、3年を思い出すと、やはり父の死というのが大きな何かであって、歩く
距離がなぜか少なくなった。なんだか関係がなさそうだが、関係はあったのである。それま
では、例えば買い物とか行くときでも遠回りをして歩き、また帰って来るというときも
遠回りをして歩いていて、
暑いときもふーふーいいつつ、帰ってきて、しかし、買い物の後片付けとかは、かなり
の部分は、母がやっていたと思う。それだから、歩いていてもそれなりに余裕があったと思
う。この歩く距離は、というより時間は30分くらいである。今でもたまにそのコースを歩くと
きがあるが、だいたい30分で終わってしまう。それでも10分で終わってしまうよりはそれ
なりの効果はあったと思う。
ばかみたいに、遠回りをして歩き、そうして遠回りをして帰って来て、それからその
姿に傘が時おり含まれていたから、その後ちょっと話しをする人となったある人は、
何で、晴れているのに傘を持って歩いているのだろうと不思議に思ったという。もっとも
である。そうゆう楽しい経験もあった。ところが、最近は買い物は早足だと7、8分で片道だが
着いてしまう。帰りだって、その7、8分だ。これと15分と、15分とを比較すると、やっぱり
効果は大分違うだろう。でも今それをやれと言われて、なかなか出来ない。出来そうにない。
はっきり出来ない。
母にもう少し歩かないといけないとたまにいうが、そうゆう範疇のものだろう。なる
ほど出来ないわけだ。
あまり関係はないが、ずっと前に何かの景品でもらったという歩数計をきのう引っ張り
出した。出て来た、糸はつながっていた。これをはめてみたりする。はめるではなくて、
留めるか。それで今何歩くらいに歩いた、あるいは勘定されたかというのは、秘密である。
歩いてはないが動く動作でカウントは増える。で、結局効果というのは歩数計とは関係が
ないのだが、こう体が膨らんでくると、さすがにヤバイナーと、真剣に思うのである。
去年は、あまり近付けない感じがあった。ことしは、大丈夫そうで、
勝手な判断だが、近付いて撮影。
明るい、日の強い状態。それで、花は新鮮で白い、また赤味も鋭い。
その三。
その四。
その五。
その六。植物全体が、少し倒れているようなところもあり、花もどう
ゆう方向で咲いていたか、はっきりとしない。
小さい、ヤマトシジミ。
オキザリスという、もも色の小さい花があって、これは小さいチョウも
よく止まって、蜜を吸っているようだ。このオキザリスの元気が今ひ
とつ。
花の概略を知っていると、このヤマトシジミやけに小さく見える。
これはチョウが花に顔を突っ込んでいるというより、横の方から蜜を
吸っていると解釈すべきか。
きのうとあまり温度的なものやらは、変わらない気がするがやけに暑い。暑いし、さら
になんだか段々と肥満の度合いも増してくるようで、これではいけないとか、なんども
思って今回も思うのである。
ざっとこの2、3年を思い出すと、やはり父の死というのが大きな何かであって、歩く
距離がなぜか少なくなった。なんだか関係がなさそうだが、関係はあったのである。それま
では、例えば買い物とか行くときでも遠回りをして歩き、また帰って来るというときも
遠回りをして歩いていて、
暑いときもふーふーいいつつ、帰ってきて、しかし、買い物の後片付けとかは、かなり
の部分は、母がやっていたと思う。それだから、歩いていてもそれなりに余裕があったと思
う。この歩く距離は、というより時間は30分くらいである。今でもたまにそのコースを歩くと
きがあるが、だいたい30分で終わってしまう。それでも10分で終わってしまうよりはそれ
なりの効果はあったと思う。
ばかみたいに、遠回りをして歩き、そうして遠回りをして帰って来て、それからその
姿に傘が時おり含まれていたから、その後ちょっと話しをする人となったある人は、
何で、晴れているのに傘を持って歩いているのだろうと不思議に思ったという。もっとも
である。そうゆう楽しい経験もあった。ところが、最近は買い物は早足だと7、8分で片道だが
着いてしまう。帰りだって、その7、8分だ。これと15分と、15分とを比較すると、やっぱり
効果は大分違うだろう。でも今それをやれと言われて、なかなか出来ない。出来そうにない。
はっきり出来ない。
母にもう少し歩かないといけないとたまにいうが、そうゆう範疇のものだろう。なる
ほど出来ないわけだ。
あまり関係はないが、ずっと前に何かの景品でもらったという歩数計をきのう引っ張り
出した。出て来た、糸はつながっていた。これをはめてみたりする。はめるではなくて、
留めるか。それで今何歩くらいに歩いた、あるいは勘定されたかというのは、秘密である。
歩いてはないが動く動作でカウントは増える。で、結局効果というのは歩数計とは関係が
ないのだが、こう体が膨らんでくると、さすがにヤバイナーと、真剣に思うのである。