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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

ハンチントン氏著『文明の衝突』 - 11 ( アメリカ、中国、韓国に関する知識 )

2019-10-21 12:12:56 | 徒然の記
  思想、文化、民族、宗教等の違いで、国内が分断されている例として、
     
       トルコ   メキシコ   オーストラリア  ロシア  
 
 の4ヶ国を挙げています。
 
 氏の意見を紹介する前に、今の私が知っている別の分断国家について紹介します。日本のマスコミと出版物が教えた事実ですから、氏の著作との比較にもなります。
 
  1.  アメリカ
 
  ・アメリカは世界に対し、自由、平等、人権尊重と、声高く主張し、これに反する国々を激しく非難する。
 
  ・韓国や中国人が、「慰安婦問題」で日本を攻撃するとき、彼らの捏造を黙認しているのは、米国人の多くが、自由、平等、人権尊重を日本が無視していると考えているからである。
 
  ・しかし米国は建国以来、自国内で、克服しがたい人種差別問題を抱えている。それが黒人問題で、彼らはここに触れられることを忌避し、世界のマスコミもこの問題は記事にしない。
 
  ・黒人と白人の対立は多くの良心的な米国人にとって、奴隷制度のあった過去も現在もそして未来も、国を分断する深刻な問題である。
 
  2.  中国
 
  ・習近平氏が公言したように、中国は今漢民族の歴史を取り戻し、栄光の過去を再建しようとしている。
 
  ・中国は多民族国家で、56 の民族で構成され、このうち漢民族は人口の約91%と圧倒的多数を占めている。残りの 55 民族を少数民族と呼び、彼らが居住する地域では、自治の原則に基づき、5 つの自治区、30 の自治州、123 の自治県が設けられている。
 
  ・14億人が住む中国でなので、少数民族と言っても他国と比較すれば一つの国の人口に匹敵する民族が沢山いる。しかもその民族は、資源の豊富な広大な土地に住んでおり、中国政府は彼らの土地を漢民族のものとするため工夫を凝らしている。多数の漢民族を移住させると同時に、軍事力を使い自治区の指導者を追放したり、殺害したりしている。
 
  ・新疆ウイグル自治区、チベット、内モンゴルなどがその例だが、日本のマスコミは報道致しない。少数民族は、宗教も違い文化も異なっているため、いつ武力衝突が生じるのか誰にも分からない。
 
  ・漢民族が少子高齢化となりつつある現在、今後の中国がどうなっていくのか。経済だけでなく、深刻な国内分断の予測がある。
 
 3.  韓国
 
   ・大統領が交代するたび、刑務所に入るという不思議な文化を持つ韓国は、どんな時でも「日本叩き」をすれば、国内が一つにまとまるという国である。
 
  ・2000年の歴史を持つと言いながら、35年間日本に統治されただけで、韓国がダメになったと大騒ぎしている。勇猛果敢で優秀な朝鮮民族が、35年間日本に屈従してそうなる言うのなら、どこが勇猛果敢な歴史を持つ国かと素朴な疑問がある。
 
 韓国内で「知日派」と呼ばれている親日韓国人は、売国奴と同じ意味です。戦後の韓国には日本親派と、憎悪派との二つの勢力が国を分断しています。マスコミが報道しないので日本人は知りませんが、これが韓国での大きな問題です。
 
 氏の本を読んで分かったのは、韓国や中国が問題なのでなく、隣国という位置が問題を生じさせるのだとそんな気がしてきました。日本の隣に、パキスタンがあり、インドネシアがあったとしても、摩擦やトラブルがあるという事実を教えてくれました。
 
 風俗、習慣、思考が異なれば、摩擦の生じないはずがありません。世界のどこを見ても、隣国同士が敵対し憎み合っています。仲良くしている国はなく、これがまさに、「文明の衝突」の始まりなのでしょうか。
 
 中国や韓国・北朝鮮が変わらないのであれば、せめて日本人の側だけでも世界の現実を知り、必要以上の自己反省や、無意味な謝罪をしないように、賢くなりたいものです。
 
 願わくば「九条への愚かな信仰」をする人間を減らし、現実に即した日本人を増やしたいものです。自分の国を守る軍を持ち、米国軍が不要になる国にしたくなります。
 
 ここまで来ますと、ハンチントン氏の著作の紹介を外れるので止めます。テーマを外れましたので、次回は氏の著書に戻ります。
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ハンチントン氏著『文明の衝突』 - 10 ( 中国発展の源泉は儒教 ? )

2019-10-21 07:30:34 | 徒然の記
  氏の言うアジアを代表する二国は、日本と中国ですが、本日は中国に関する説明を紹介します。
 
  ・共産主義が経済の発展をもたらさず、日本やそれに続く他のアジア諸国で、資本主義が成功したことにより、1970 ( 昭和45 ) 年代末になると、中国の指導部は、ソビエト・モデルから離れていった。
 
  ・10年後のソ連崩壊は、ソ連から移入されたものが機能しないことを、さらに明確に物語った。中国は西欧化に向かうべきか、自国の伝統に回帰すべきかという、選択の岐路に立たされたのである。
 
  ・指導部は、かっての 「体用 」 を現代風にアレンジすることに、決めた。資本主義を実践しつつ世界経済と関わる一方、他方で政治的な独裁主義を維持し、マルクス主義に基づく革命の大儀にかえ、経済発展の実益をもたらすことにより政権を正当化し、中国文化の伝統を固守するという選択であった。
 
  ・伝統回帰の動きの中で民主主義は、レーニン主義と同様に信頼を失い、外国から押しつけられたものの一つに、すぎなくなった。かって中国の知識人たちは、儒教が中国の後進性の元凶であると、考えた。
 
  ・20世紀末中国の政治指導者たちは、儒教こそが、中国発展の源泉であると見なしている。シンガポールのリー・クワン・ユーも、台湾の李登輝総統も、普遍的な中国文化に統治権の正統性を求めようとしているところは、同じだ。
 
 マスコミの報道を見ている限りでは、このような中国は、あまり伝わってきませんでした。シンガポールや台湾までが、儒教への回帰をしているとは初耳です。そういえば、近年の中国は世界の各地に孔子学院を建て、国外の中国人たちを学ばせており、他国の大学にも儒教の講座を開かせています。私の得ている情報では別の意味を述べていましたが、氏の考えている理由はこうだったのかと知りました。
 
  ・東アジアの成功は個人主義でなく、集団主義に重きを置くアジア文化の成果という側面が強い。」
 
  氏はこう述べて、二人の人物の意見を紹介します。
 
  1. シンガポールのリー・クワン・ユー首相
 
  ・日本、韓国、台湾、香港シンガポールなどの、東アジアが持つ共同体的価値観と習慣は、西欧に追いつく過程でより有用な財産であることが分かってきた。
 
  2. マレーシアのマハティール首相
 
  ・規律、忠誠心、勤勉を旨 ( むね ) とする日本人と、韓国人の価値観は、それぞれの国の経済的、社会的発展を推し進める原動力として機能してきた。こうした労働倫理は、集団や国家の方が、個人より大切であるという哲学から生じたものである。
 
 日本のマスコミは、アジア諸国の政治家の言動について、ほとんど記事にしません。まして中国や韓国となれば、日本批判や攻撃の言葉しか報道しません。
 
 彼らは、中国や韓国・北朝鮮が、いかに日本へ無理難題を言っているのか、私たちが、どれほどの不快感と、嫌悪をこらえているかを何も知らないようです。
 
 前の日本の説明に違和感を覚えたように、今回も氏の説明も、私の心にまっすぐ届きません。自分が、日本という「井の中のかわず」なのか、氏の著作が微妙なアジアの国々を乱暴にまとめているからなのか、今後の検討課題にしようと思います。
 
 60万人の在日の中の1割に満たない反日活動家、あるいは、二重国籍を持つ在日系の政治家のため、日本の伝統や文化が台無しにされていると私は常々憂えています。日本に憎しみしか持てない二重国籍の政治家を、国会から追放すべきとも考えています。
 
 氏の著書を読み、世界では多くの国がもっと深刻な状況にあることを教えられました。意見の対立だけでなく殺傷事件が頻発し、解決の見通しのつかない国がいくつもありました。
 
 次回は氏の著書からこの部分を紹介し、日本の現状を検討したいと思います。
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ハンチントン氏著『文明の衝突』 - 9 ( ハンチントン氏への違和感 )

2019-10-20 15:45:40 | 徒然の記
   ハンチントン氏の著書の151ページ、「アジアを見直す」というタイトルです。
 
  ・東アジアの経済発展は、20世紀後半の世界に展開した最大級の出来事です。その端緒となったのが、1950 ( 昭和25 ) 年代の日本であり、しばらくの間日本は、近代化に成功し、経済発展を遂げた唯一の非西欧国家として、特殊な例とみなされていた。
 
  ・しかし経済発展という現象は、四頭の虎  ( 香港、台湾、シンガポール、韓国 )、次いで中国、タイ、マレーシア、インドネシアに波及していき、現在はフィリピン、インド、ベトナムでも、ハッキリと、見られるようになった。
 
  ・アジア経済のこうした成長は、ヨーロッパやアメリカ諸国の緩やかな発展、そして世界の他の地域に蔓延している停滞と、見事なまでの対照を示している。こうして例外は、日本だけでないことが分かった。アジア全体が例外なのである。
 
 同じ米国人学者による日本に関する説明も、40年前と20年前ではかなり違っています。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を書いたヴォーゲル氏は、世界一の日本を大きく捉え、油断するなと米国人に警鐘を鳴らしました。今から、40年前の話です。
 
 20年前の本で、ハンチントン氏は、日本だけが例外でなくアジア全体が例外なのだと言い、東アジア文明による、西欧文明への挑戦が始まったと、欧米社会に警鐘を発しています。
 
 中国や韓国の成長は中国への多額のODAや、韓国への巨額の賠償金などを考えれば、日本の支援がかなり貢献をしていると思いますが、米国の学者はそう見ていません。
 
 国際社会では、米国の学者の意見の方が尊重されますから、日本がいくら主張しても、中国や韓国の発展に関する日本の役割は考慮されません。ここでだ詳しく述べませんが、昔も今も、日本は国際社会で孤立しているという現実があります。
 
 しかし国際社会での孤立について、私は深刻に考える必要を感じません。もともと国はすべて孤立して存在し、自国の利益のため、協力したり離れたりしているだけで、孤立していない国は世界のどこにもないからです。
 
  ・アジア諸国は、アメリカの要求や利益にそった行動をとることが、少なくなり、アメリカや、他の西欧諸国からの圧力に抵抗する態度を取れるようになっている。
 
  ・こうした文化的復興の重要性は、アジアを代表する二国と西欧文化との関係が、変化していることからも読み取れる。
 
 氏の言うアジアを代表する二国とは、日本と中国のことです。ここで氏は、日本と中国について述べていますが、まず日本に関する説明を紹介します。
 
  ・日本では、1980  ( 昭和55 ) 年代の目覚ましい経済発展と対照的に、アメリカの経済や社会制度は失敗し、敗退しつつあるとの認識が広まり、日本人は欧米を手本にすることをやめ、成功の理由は自分たち自身の文化にあると、考えるようになった。
 
  ・壊滅的な軍事的敗北を招いた日本の伝統は、戦後は一転して否定すべきものとされたが、1985 ( 昭和60 ) 年には経済的成功をもたらし、改めて受け入れられるようになった。
 
  ・日本人は、西欧的であることが、ただそれだけで素晴らしい魔法をもたらしてくれるのではないと、気づいた。
 
  ・明治維新の日本人は、 「 脱亜入欧 」 という選択をしたが、20世紀の日本人は、 「 脱米入亜 」 ともいうべき方針を肯定するようになった。まず第一に、日本の伝統文化を再認識する過程を経て、その価値を主張するようになった。第二に、日本を 「アジア化 」 しようと努めた。
 
 どういう情報から、このような日本像を描いたのか知りませんが、氏の意見は私の実感とは一致しません。私の前にある日本は、ずっと「東京裁判史観」を超えられない社会であり、対米従属の政治です。
 
 バブル景気に浮かれにわか成金となった経済人が、米国の企業や建物などを買いあさっていたことは記憶していますが、「 脱米入亜」 や 「 アジア化 」 を、本気で考えていたとは感じたことがありません。
 
 1989  ( 昭和64 ) 年の日米貿易摩擦の最中に、ソニーの会長の盛田昭夫氏と、石原慎太郎氏が共同執筆した『NOと言える日本』が、その論拠となっているのでしょうか。そうであるとしたら、氏の論拠は間違っていると思います。儲けすぎる日本を米国が散々叩き、激しい日本バッシングをしていたことに、やっと二人が反論したというのがこの本でした。
 
 「ごまめの歯ぎしり」みたいなものとして、読んだ記憶があります。
 
 情報はこんな一、二冊の本からでないと思いますが、どう考えても、氏の日本に関する説明は、違和感を与えます。と、すれば、他の国々についての説明も、事情を知る人が読めば、同じ印象を持つのでしょうか。日本以外は知識がありませんので、氏の説明に異を唱えられませんが、鵜呑みにせず読みなさいという警告なのでしょうか。
 
 そんなことを考えながら、先へ進もうと思います。
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岸田劉生展 ( 東京ステーションギャラリー )

2019-10-16 18:04:29 | 徒然の記
 東京ステーションギャラリーで開催されている、岸田劉生展に家内と二人で行きました。
 
 家の近くのコンビニの駐車場から、東京駅直通の高速バスが出ていますので、とても便利です。うまく利用すれば、座ったまま乗り換えなしでいけますが、本数の少ないのが難点で、特別の時にしか利用しません。
 
 1年半か、3年なのか、久しぶりの東京に、胸が痛むほどの懐かしさを覚えました。バスの両側の景色、バスを降りてからの風景、そんなものに感動するとは、自分でも意外でした。
 
 毎日机に向かい、本を読み、ブログを書き、あるいは自治会の活動に参加したり、結構忙しく暮らしているつもりでしたが、久しぶりの東京の街のスピード感と、喧騒には目を丸くするものがありました。
 
 静かで穏やかな千葉の日々は、いわば田舎の日常で、騒音と人混みとビルの林立する東京駅周辺は、まさに都会の暮らしそのものでした。数年前まで、毎日通勤した街なのに、私の記憶に残る東京駅はどこにもありません。
 
 誇張でない証拠に、方向音痴の私は家内と離れたら、展覧会場へまっすぐ行き着く自信がありませんでした。
 
 景気が落ちたと言われながら、東京の街の変化には、やはり目まぐるしいものがあるようです。会社員時代に歩き回った東京駅だというのに、見慣れた景色が、すっかり消えました。
 
 まずもって驚かされるのは、外国人の多さです。中国、韓国だけでなく、中近東や西欧など、いろいろな言葉と、様々な肌の人々がリユックを背負い、旅行鞄を引きずりながら行き交っています。こんな風景は、私が通勤している頃は、あまり見かけませんでしたが、今ではもう当たり前の風景です。
 
 彼らに対応している日本人を見ていると、それがよく分かります。若い人は当然ですが、年配の人間も、英語や中国語や韓国語などを交え、落ち着いてお客を捌いています。もちろん正しい発音でなく、片言の外国語ですが、ドギマギせずに相手をしています。
 
  「世界は、動いている。」「日本も、変化している。」
 
  彼らには何でもないことでしょうが、実感となって心が揺らされました。何もかも、「百聞は一見に如かず」でした。
 
 しかし一番痛感させられたのは、「自分の老い」でした。バスのステップを降りる時も、駅の階段を昇る時も、足腰を庇いながらゆっくりとしか動けません。行き交う男女は、皆私を追い越して行き、大きな手荷物を下げた若い女性さえ颯爽と前を歩き、追い抜くことができません。
 
  「とうとう、自分も、爺さんになったか。」
 
 自覚は当の昔にしていますが、実感として痛いほど知らされるのは、また格別の思いがあります。嘆きと言うより、人生における、新しい発見でしょうか。
 
 多くの先輩たちが辿った道を、間違いなく自分も歩いていると言う実感としか、言いようがありません。大袈裟に言えば、ご先祖が歩かれた歴史の道でしょうか。
 
 「岸田劉生展」にも、新しい発見がたくさんありました。氏の作品は、麗子像の一点しか知りませんでしたが、なんと氏は、沢山の麗子象を描いていました。ギャラリーの片隅に、氏の家族の写真が数枚飾られていましたが、麗子さんは、氏が描くようなキツイ表情の少女ではありませんでした。
 
 村の娘にしても麗子像にしても、氏は故意に醜く描いていたと言う発見です。
 
 また氏は絵の上手い人だと、漠然と思っていましたが、人物画と静物画は、緻密ともいえる精密画でした。しかし風景画は、荒々しいタッチで、むしろ下手ではないかと思いました。初期の頃は、ゴッホやマチスの影響を受け、描写が荒く、絵具も無造作に重ねられています。
 
 次いでデューイやレンブラントの影響を受けると、自画像や静物画などは写真のような精巧さに変わります。
 
 日本画を描き、油絵を描き、南画を描き、無数の作品が飾られていましたが、これを見ると、氏は一生をかけて、悩み苦闘した画家だったことが分かりました。私は息子たちのため、一生懸命にブログを書いていますが、共通する真剣さを発見いたしました。
 
 有名な天才画家と名も無い自分を並べるのは、不遜な気が致しますが、そんな親近感がありました。
 
 氏は絵筆で様々な工夫をし、思索を重ね、思いのたけをつぎ込んでいますが、私は言葉を使い、同じような努力をしています。愛する息子たちが、そんな父親の足跡を発見してくれるのかどうか、自信も確信もありませんが、意義深い「岸田劉生展」でした。
 
 ちなみに、展覧会の優待券を手に入れてくれたのは長男です。絵画や仏像や陶器など、せっせと展覧会に出かけるのは家内で、私は夫婦のつき合いとして参加しているだけです。
 
 口では色々と最もらしいことを述べていますが、長男はよく理解しています。今回の優待券も二枚ありますが、本命の相手は家内です。
 
 それで私は、展覧会の感想もお礼も、まして東京での色々な発見について長男には言いません。私がいなくなった後で、ブログの文章を発見し、分かってくれたらそれで良いと考えるからです。こんなことなので私と息子たちは、なかなか意思が通じません。
 
 これもまた、人生でしょうか。 (  充実した、楽しい一日でした。)
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ハンチントン氏著『文明の衝突』 - 8 ( 地域主義と愛国主義の台頭 )

2019-10-15 13:07:36 | 徒然の記
    本日はのっけから、著書の紹介で始めます。
 
  ・地域主義と宗教の復活は、世界的な現象であるが、特に顕著なのはアジアとイスラムによる、西欧への文化的主張と挑戦であろう。この二つの文明圏は、20世紀後半の四半世紀の間、力強い動きを見せてきた。
 
  私の推測が当たりました。
 
  ・勢いを失いつつある西欧が、今度は四つの文明の挑戦を受ける時が来た
 
  ・特に中国とイスラム諸国が、敵意を剥き出しにし立ちはだかりつつある
 
 6回目のブログで書きましたが、的外れな推測ではなかったようです。
 
  ・イスラム教の挑戦は、この宗教がイスラム世界で、文化、社会、政治の各分野で、広範な復興を遂げようとしている事実に、現われているし、それに伴う西欧の価値観や、制度の否定に見ることができる。
 
  ・一方アジアの挑戦は、東アジアの全ての文明圏、中華、日本、仏教、イスラムに顕著であり、それぞれが、西欧との文化的相違を主張するとともに、時には互いに共通する部分を強調する。
 
  ・アジアもイスラムも、自分たちの文化が西欧よりも優れていると主張する。
 
 私の印象では、日本はそんな主張をしていないと思いますが、私の知らない日本が別にあるのか、それとも単に氏の思い込みなのか、今は分かりません。しかし、次の意見には、うなづかされる部分があります。
 
  ・この二つの文明圏の挑戦には、互いに関連しながらも異なる背景がある。アジアの自信は、経済の成長に基づいている。一方イスラム諸国の自信は、社会の活性化と人口増から発したものである。
 
  ・アジアとイスラムの挑戦は、現在も、そして21世紀に入ってもなお、世界の政治を不安定にするような影響を、及ぼし続けるだろう。
 
 本の出版が、1998 ( 平成10 )年ですから、今から21年前、20世紀末の著作です。中国とアラブ ( 特にイランとシリア ) が、激しくアメリカと対立している状況を見ますと、今のアメリカが、西欧文明のトップランナーの位置にいますから、かなり適切に説明していると思えます。
 
  ・東アジアの人々は、自分たちの経済が力強い発展を遂げた理由を、西欧文化を移入したからでなく、自らの文化にこだわったためだと見なしている。彼らは言う。成功したのは、自分たちが西欧とは異なるからだと。
 
  ・今や彼らはひ弱な存在でなくなり、ますます力をつけ、かって利用した西欧的価値観すら、攻撃の対象にしている。
 
  ・イスラム世界では、イスラム教の復興や、再イスラム化が至上命題となっている。インドでも西欧的な制度や価値観を否定し、政治や社会のヒンドゥー化を図ることが時代の流れである。
 
  ・東アジアでは政府が儒教を奨励し、政治や精神面の指導者たちは、国を「 アジア化 」しようとしている。
 
  ・1980年代半ば、日本では日本人論が盛り上がり、日本とは、日本人とは何か、という問題を夢中になって議論した。
 
  ・日本のある有名な文化人は、歴史的に日本は外国文化を移入し、模倣し、洗練し、自国化させるというサイクルを繰り返し、再び外海へ門戸を開くというサイクルの二段階目に差しかかっている、と言う。
 
 日本の有名な文化人が誰なのか、知る由もありませんが、私の実感では、日本が西欧文明に対し、否定的・攻撃的態度をとっているとは思いません。むしろ日本は、聖徳太子以来の精神を持ち、国際社会では「和をもって、尊しとなす。」を実行し、自己主張を控えていると思っています。
 
 アメリカを筆頭とする西欧諸国に対し、戦闘的攻撃をしている中国やイランと、同列に語られることには違和感があります。氏の意見に部分的にうなづかされる、と言ったのはこの違和感です。
 
  ・このように世界的な規模で、地域主義が起こっている証拠として、宗教間の摩擦が、世界の各地で多発していることが挙げられ、中でもアジアと、イスラムの諸国において、経済的、人口統計的な活性化を主な理由とする、文化的復興が起こりつつあることが指摘できる。
 
 現在、150ページです。日本に関する叙述を除けば、概ね氏の意見に同意できます。一つだけ反論すれば、「地域主義」と「愛国主義」を主張しているのは、西欧文明のトップランナーである、米国自身だということです。当時の氏に、トランプ大統領の出現が予想できなくて当然でなので、これ以上はやめます。
 
 世界はグローバリズムが終わりを告げ、「地域主義」と「愛国主義」の流れが大きくなるような気がします。トランプ大統領の出現と、孤高の存在である日本を頭に置きながら、明日も氏の著作を読もうと思います。
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ハンチントン氏著『文明の衝突』 - 7 ( 西欧文明が支配した世界 )

2019-10-14 17:31:07 | 徒然の記
  時事問題を離れたからでしょうか、訪問される方が少なくなりました。しかし私は自分のペースで、「温故知新」の旅を続けます。
 
 日本を取り巻く国際情勢は、歴史を背負う国々との対立ですから、そのまま「文明の対立」、あるいは「文明の衝突」に他なりません。自分の現在を理解するには、「現存する文明」について知っておく必要があります。
 
 学生の時怠けていた世界史の勉強を、必要に迫られ、七十の手習を始めたと思えば、読書もまた楽しです。 ( 余計なことを述べているのは息子たちのためでなく、怠惰な自分への励ましです。)
 
 氏の著作に戻ります。
 
  ・様々な文明が断続的あるいは限定的に、他方面で遭遇したのは確かだが、西欧文明が他の全ての文明に与えたインパクトほど、持続的で圧倒的、かつ多面的なものはなかった。
 
  ・15世紀末、西欧はイベリア半島を再征服しムーア人から取り戻し、ポルトガル人がアジアに、スペイン人が南北アメリカに進出し始めた。その後200年の間、西半球全域とアジアのかなりの部分を、ヨーロッパが支配もしくは統治した。
 
 要するにこれがキリスト教国による、「異教徒・非文明国」の殺戮と植民地化です。
 
  ・18世紀末にはヨーロッパ人が、合衆国への直接的支配から手を引いたことに始まり、ハイチやラテンアメリカのほとんどが、ヨーロッパの支配に反旗を翻し独立を遂げた。
 
  ・しかし19世紀後半には、西欧に帝国主義がよみがえり、アフリカのほぼ全土を支配下に置くとともに、インド亜大陸、及アジア各地で、西欧による支配を強化した上、20世紀の初めには、トルコを除く中東のほぼ全域を、直接あるいは間接に支配するようになっていた。
 
 私たちに馴染みの深い言葉で言えば、「西欧列強による有色人種国の植民地化」ですが、「アメリカ政治学会」会長でハーバード大学教授ですから、氏はそのような説明はしません。
 
 時代が幕末・明治に近づいてきますと、次第に興味が湧き、遠い昔のように思ってい日本の過去が、つい先日の話になります。
 
  ・ヨーロッパが拡大する間に、アンデス文明と中米文明は滅ぼされて、「インド文明」と「イスラム文明」は、「アフリカ文明」とともに隷属させられ、中国は侵略されて西欧の影響下に置かれた。
 
  ・ロシアと日本とエチオピアだけは、いずれも高度に中央集権化した帝国政府に統治されており、西欧の攻勢にもよく耐え、意味のある独立を貫くことができた。
 
  ・400年の間、文明同士の関係は、「西欧文明」に、他の社会が服従するという形で続いたのである。
 
 ロシアやエチオピアが、どうであったのか詳しく知りませんが、日本については知っています。ペリーの軍艦に脅され、イギリスの艦隊に打ち負かされ、江戸の武士たちが懸命に国を守ろうと頑張ったのが、この時代です。
 
  ・西欧の攻勢にもよく耐え、意味のある独立を貫くことができたと、氏は簡単に述べていますが、ご先祖様たちが、どれほどの勇気と忍耐で頑張ってきたかを、私は心に刻んでいます。
 
 そうなるとやはり中国や韓国に対し、攻撃する相手が間違っていると、言いたくなります。彼らは日本のように独立を守れず、列強の力に屈したのですから、むしろ自らの非力を反省することが先でしょう。
 
 自分の教えた生徒が、師を超えたからと言って、八つ当たりする中国は情けない師です。列強に国土を切り取られた、自らの不甲斐なさを恥じるのが先です。まして韓国は日本に屈し、自ら進んで併合されたのですから、今になって何を言っているのかみっともない国です。
 
 だが私は、中国や韓国の政府と違いますから、戦勝国ばかりを非難しません。むしろ現在の日本政府と、日本人を恥じています。血と涙の努力でご先祖様が守った国だというのに、国民の多くは歴史を忘れ、恩を忘れ、大切な誇りを失っています。
 
 西欧に屈した隣国から言いたい放題を言われ、反論もしない現在の政府と日本人は、ご先祖様に対して恥じなければなりません。隣国の理不尽な言いがかりに耐えることを、「大人の対応」などとごまかしている戦後の日本人は、中国人や朝鮮人のみっともなさと同じレベルに落ちたと、そう思います。
 
  ・当時文明といえば、「西欧文明」のことだった。「国際法」といえば、西欧の国際法のことだった。国際的な体制といえば、西欧諸国とそれらが支配する植民地との関係を指していた。
 
 忌々しい思いに駆られますが、氏は自慢しているのでなく、歴史の事実を語っているので謙虚に耳を傾けます。
 
  ・西欧社会は、西欧同士でより対等な関係で、相互に作用し合っていた。ヨーロッパの人々は共通の文化を持ち、活発な交易のネットワーク、人間の絶え間ない移動、支配階級の名門同士の見事なほどの連帯などを通して、広範囲に接触し合っていた。
 
  ・彼らは、ほとんど休みなく戦っていた。ヨーロッパ諸国の間では、平和は例外であって常態ではなかったのだ。「西欧文明」の内部では、「宗教の分裂」と「宗教戦争」「王位継承戦争」があり、君主、皇帝、絶対君主、立憲君主の国々が争っていた。
 
  ・「フランス革命」以降、国王たちの戦争が終わり、国民と王との戦い、国民同士の戦いが始まった。
 
 長いので乱暴に割愛し、好き勝手に紹介していますが、それでも、ヨーロッパについての概要は分かります。江戸時代に300年間の太平の世を作った日本は、後進国ではなく、大した国だったと教えられます。
 
 まだやっと70ベージですから、前途遼遠です。気の短い人は、暫く「ねこ庭」への訪問を控えてください。( ただ息子たちは、そうしてはいけません。)
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ハンチントン氏著『文明の衝突』 - 6 ( ヒンドゥー文明、イスラム文明、西欧文明 )

2019-10-13 23:46:57 | 徒然の記
  現存する5つの文明のうち、中国文明と日本文明が終わりました。
 
  3. ヒンドゥー文明
 
  ・インド亜大陸には、少なくとも紀元前1500年頃から、一つ、またはそれ以上の文明が存在したと、広く認められている。
 
  ・それらは一般に、「インド文明」もしくは「ヒンドゥー文明」と言われ、最近の文明を指す場合は、ヒンドゥーと言う言葉が使われている。
 
  ・紀元前2000年以降、ヒンドゥー教はいろいろな形で亜大陸の文化の中心だった。ヒンドゥー教は近代以降も、ずっとその役割を担い続けてきたが、インド自体には、強固なイスラム社会や小さな文化的少数グループなどが、いくつも根を下ろしている。
 
  ・「中華文明」と同じように、「ヒンドゥー」という言葉も、文明の名称をその中核国家の名称と切り離すことができ、その文明に属する文化が、国を超えて広がっている場合には、適切な表現になる。
 
 「中華文明」が、朝鮮やベトナムを含んでいるように、「ヒンドゥー文明」も、タイ、ミャンマー、カンボジア、チベット、スリランカ、ジャワを、含むという学者もいます。
 
 ヒンドゥー教について、私が知っているのは、カースト制度と輪廻転生の教えと、多神教であるということだけです。インドには、かって沢山の王国があり、国民は、「ヒンドゥー」を信じる王様に支配されたり、「イスラム教」を信じる王様に統治されたりしていました。
 
 またインドは、「仏教」の発祥の国でもあります。ここまで宗教が絡み合いますと、私はお手上げです。世界の国々は多様な姿をしていると、驚くしかありません。しかし他国から見れば多神教の日本が複雑で、理解できないとなるのかもしれません。お互い様と割り切って、先へ進みます。
 
  4.  イスラム文明
 
  ・主要な学者は皆、固有の「イスラム文明」の存在を認めている。西暦7世紀に、アラビア半島に端を発して、急速に北アフリカ、イベリア半島、さらには東の中央アジア、インド亜大陸、東南アジアへと、広がっていった。
 
  ・その結果、「イスラム文明」の中には、アラビア、トルコ、ペルシャ、マレーなど、数多くの異なる文化、すなわち「下位文明」が存在する。
 
 イスラム教について私が知っているのは、偶像崇拝を禁止し、来世でなく現世の幸福を説く宗教だということ。あるいは女性に厳しく、私の感覚からするとほとんど人格を認めていない、不思議な教えだと言うことです。
 
 女性は夫に逆らうことが認められず、浮気をすると処刑されます。一方夫は、複数の妻を持っても良いとされる、一夫多妻制です。女性に教育や学問は不要で、学校へ行くのも禁止、無断外出も禁止という、女性がんじがらめの宗教です。
 
 日本にもイスラム寺院があり、イスラム教徒になっている人もいますから、私には不可解な教えとしか、言いようがありません。
 
  5.  西欧文明
 
  ・「西欧文明」は普通西暦700年、ないし800年に現れたとされる。
 
  ・一般に学者たちは、そこに、「ヨーロッパ」、「北アメリカ」、「ラテンアメリカ」の、三つの主要な、構成要素があると見ている。
 
 氏の説明によれば、現存する世界で一番古い文明は、「中華文明」と「ヒンドゥー文明」ということになります。その次が、「日本文明」、「イスラム文明」、「西欧文明」という順番です。
 
 一番新しい文明である西欧文明に、あと四つの文明は、征服され、弾圧され、支配されてきたということになります。ハンチントン氏の意見は、勢いを失いつつある西欧が、今度は四つの文明の挑戦を受ける時が来たというものでないかと、そんな気がします。
 
 特に中国とイスラム諸国が、敵意を剥き出しにし立ちはだかりつつあると、そんな意見なのでしょうか。先を読まないと断定できませんが、これから先の世界は、1対4で文明が衝突することになるから、対策を考えようと提案しているのでしょうか。
 
 もしそうだとしたら、このような視点で語られる本に出会ったのは初めてです。日本をダメにしている、「反日・左翼」と「グローバリスト」の話は、暫くお預けとなります。
 
 どんな本も、最後は必ず現在の私たちにつながります。どのようにつないでいくのかは、読書する人間次第です。賢い人間は賢く理解し、凡庸な者は凡庸な解釈をします。馬鹿な人間は、愚かな解釈をし、現在にに無縁な読書となります。
 
 自分がどのタイプの人間であるのか、最後に分かります。( 恐ろしいことです。 )
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台風19号と田中英道氏

2019-10-12 22:26:18 | 徒然の記
  ただいま午後6時半です。
 
 台風19号は、果たして関東に上陸したのか、これからなのか。確認しようとテレビを見ても、さっぱり分かりません。朝方の報道では、東京と千葉の警戒情報が、中心でしたが、今はそれどころでなくなっています。
 
 大雨洪水警戒警報が、静岡、神奈川、東京、埼玉、群馬、山梨、長野と、ほとんど関東全域に出され、各地の河川の状況を伝える方が優先されるようになったからです。激しく流れる川の水が、橋桁を破壊するように暴れている様子が、刻々と映し出されています。
 
  大型台風は、千葉や東京どころか広範囲で猛威を奮っています。
 
 茨城に住む長男も、一緒にいて台風対策を手伝ってくれました。空のペットポトルに、水を入れたり、雨戸の確認をしたり、個人としてやれることは全部やりました。あとはもう、外で吹き荒れる風と雨が通過してくれるのを、じっと待つしかありません。
 
 幸にも、私の住む住宅地は付近に溢れる川もなく、崩壊する山もありません。恐れるのは、最近頻繁に現れるようになった強風と竜巻だけです。
 
 市川の方ではすでに被害が出ていますが、風速60mの強風で、屋根が飛ばされたら、お仕舞いです。前回の台風の余波で学校の体育館が工事中のため、近くに避難場所がありませんから、そうなると、雨風のしのげる場所で、頑張るだけです。
 
 つい先ほど、館山で震度4の地震があり家が少し揺れました。泣き面に蜂とは、こういうことを言うのでしょう。
 
 「人事を尽くして、天命を待つ。」「どうでもなるがいい。」と、だいぶ前から、覚悟を決めています。
 
 時間があっても、本を読む気になれませんので、動画を見ることにしました。戦う学者と、自らを紹介する田中英道氏の、講演会動画です。こんな落ち着かない時には、元気の出るもってこいの動画です。
 
 「トランプ大統領の出現と、新たな日本と世界。」
 
 タイトルだけ見ても、いかにも氏らしい気概が伝わってきます。ユダヤ民族を中心とし、世界の動きを語る氏の学説と言いますか、意見というのか、全てに賛同し兼ねていますが、心を惹かれています。
 
 世に言う陰謀説でなく、事実としてのユダヤ民族の活躍ぶりが、歴史の事実として語られていきます。
 
 秦氏がユダヤ人であったとか、秦の始皇帝もそうだったとか、まだ俄かに信じられない気持ちですが、それは別として、反日・左翼と、グローバリストへの断固とした否定論に、爽快感があります。
 
 悲憤慷慨せず、静かな語り口ですが、どことなく皮肉でおとぼけの口調に、親近感を覚えます。
 
 20世紀はマルクシズムの時代でしたが、彼らの理論は見事に破綻し、すでに過去のものとなってしまいましたと、切り捨てます。ブレジンスキー氏も、『大いなる失敗』のなかで、同じような意見を述べていましたが、それでも日本では、まだ反日・左翼とグローバリストが大きな顔をしています。
 
  ・階級史観なんて、彼らは言いますが、そんなものはありません。そうでなく、役割分担というのが正しいのです。
 
  ・人は社会の中で、それぞれの役割を果たしているということです。階級などというから、差別とか、格差とか、つまらないものが出てくるのです。
 
  ・彼らのやっていることは、批判ばかりです。批判して、攻撃して、その先にあるものは、国民を弾圧する共産主義国家でした。彼らは、観念だけで理想を言い続けましたが、今ではもう騙される人はいません。
 
 氏の意見を紹介していると、台風のことを忘れます。風采の上がらない老人なのに、相変わらず話を聞く度に、虜になります。それは、なんと言っても、氏の体全体から伝わってくる、日本への愛です。
 
 頑迷な保守主義者のように、居丈高に「神国日本」とか「万邦無比の神津国」などと言わないで、口ごもりながらの訥弁に魅かされます。
 
 人見知りで、引っ込み思案のように見えますが、語っていることは辛辣で、大胆です。闘う学者と自分で言う通り、私のように口舌の徒でなく、行動する学者です。「日本国史学会」の会長である氏は、定期的な講演会を催し、世論のに喚起に力を尽くしています。
 
 私が氏に敬意を表するのは、次のように自分の立ち位置を明確にしているところです。
 
   1. 世界は、ユダヤ民族が動かしている。
 
   2. 今ユダヤ民族は祖国のないグローバリストと、イスラエルに住む愛国者との二つに分かれている。
 
      3.  トランプ大統領は、愛国者のユダヤ人に支援されている最初の大統領である。多少礼節にかけるが、マスコミが酷評するほど愚かな政治家ではない。
 
   4. 安倍総理は自国第一主義を、トランプ大統領より先に掲げた政治家である。
 
   5. 自国第一主義は、差別主義や、孤立主義でなく、自分の国を愛するということであり、世界の常識である。
 
      6. 自国を愛する国々が、互いを認め合う世界を国際社会という。国境もない、国も民族も、文化もない、おかしな社会は、観念だけで作られた虚構である。
 
 台風の騒ぎ中で見ていますから、正しく聞き取れず、勝手な解釈の部分もあると思いますが、大筋は間違っていません。私のように、安倍総理を支持したり不信を抱いたりせず、率直に評価しているところにも、敬意を評します。トランプ氏についても、そうですが、私は氏のように大胆に支持を表明する勇気がありません。
 
 自分にできないことをする人物を、昔から私は尊敬しますので、当然そうなります。
 
 (  外ではまだ、雨風が激しく、わが家を叩いています。いつ停電になってもいいように、今晩はもう、床に就くといたします。)
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ハンチントン氏著『文明の衝突』 - 5 ( 中国文明と日本文明 )

2019-10-10 22:14:38 | 徒然の記
 現存する5つの文明について、氏が世界の学者の意見を紹介しています。労を省き、日本と中国だけにしようと思いましたが、こんな機会はめったに無いので、全部紹介することにしました。子供たちのためと言うより、私自身の勉強になります。
 
 日本の文明に関する説明は、他の文明のようにボリュームがありませんが、これも一つの現実です。世界の学者による日本文明の位置づけを知ることは、私たちを謙虚にさせますが、誇りも生じさせます。
 
 1.  中国文明
  「全ての学者が認めていることだが、少なくとも紀元前1500年に、」「そしておそらくは、その1000年前から、」「一つの中国文明が存在していたか、或は、二つの文明があって、」「西暦の最初の数年間の間に、片方が、もう一方を継承したと考えられている。」
 
 「私はこの文明を、儒教文明と名づけた。」「しかし、中華文明という言葉を使う方が、」「もっと、正確ではある。」
 
 「儒教は中国文明の重要な要素ではあるが、中国文明の要素は、儒教だけに止まらないし、」「政治的なまとまりとしての中国を、超越している。」「中華文明という言葉は、大勢の学者によって使われてきたが、」「これは中国はもちろん、東南アジアなど、」「中国以外の土地の、中国人社会と共通の文化、」「さらには、ベトナムや朝鮮の関連する文化を、適切に表現している。」
 
 事大主義の朝鮮は、自らを小中華と呼び、他民族に支配された清国よりも、自分の方が正統の中華だと、今でも思っているようです。しかし朝鮮は、今でも中国の属国、あるいは一部としか認められていません。朝鮮人の自意識過剰と歴史捏造は、世界の学者にお見通しなのでしょうか。
 
 ベトナムも、学者たちは中華文明の範疇で考えているようですが、意外な気がします。ベトナム人は中国人を嫌っており、中国も戦争を仕掛けたりしています。仲が悪くても、同じ文明なのだと初めて知りました。
 
 2.  日本文明
 「一部の学者は、日本の文化と、中国の文化を、」「極東文明として、一括りにしている。」「だが、ほとんどの学者はそうせずに、日本を固有の文明として認識し、」「中国文明から派生して、西暦100年、ないし400年の時期に、現れたと見ている。」
 
 「日本は中国が育てた娘だ。」と、日本を低く見ていたライシャワー氏は、ハンチントン氏のいう「一部の学者」だったのでしょうか。中国を礼賛し、日本をほとんど無視していた氏を、改めて軽蔑したくなりますが、こういうところが私の心の狭さです。
 
 西暦100年頃の日本とは、どういうものだったか、ネットで再確認したくなりました。格好の情報がありましたので、転記いたします。
 
    《  西暦100年区切りで見た日本 》
  ・1世紀:弥生時代。
  ・2世紀:後漢との外交の記録あり。
  ・3世紀:卑弥呼と邪馬台国。
  ・4世紀:古墳文化。
  ・5世紀:大和朝廷と氏姓制度。
  ・6世紀:渡来人が仏教伝来。蘇我氏。
  ・7世紀:飛鳥時代。聖徳太子、大化の改新で律令化。
 
 日本の文明が固有のものとして認識されたのは、聖徳太子以降ではないかと思っていましたが、なんということでしょう。弥生時代や古墳時代の頃から、世界の学者は、日本の文明を固有のものであると考えていたのです。
 
 どうだライシャワー氏よと、私は痛快な気分になります。日本は中国が育てた娘でなく、中国文明に接する自立した大人だったのです。しかし私は、日本は中国に何の恩もないと言っているのではありません。中国が大切な師であり、感謝すべき隣国である事実に変わりはありません。
 
 不快に思うのは、中国と比較し、不当に日本を蔑視する学者たちです。ライシャワー氏のことだけを言いましたが、ハンチントン氏の言う「一部の学者」には、日本人の学者が含まれているということを、忘れてはいけません。それが、反日・左翼の学者たちです。
 
 先日のブログで紹介した、「東京大学社会科学研究所」を思い出してください。この組織は、日本の学界に君臨する反日・左翼学者の育成機関であり、互助組織です。
 
 日本の歴史学者の主流はこの組織から巣立ち、彼らは日本の過去を憎み、否定する意見を発信します。ハンチントン氏のように、世界の学者の意見を国内で伝えず、若者たちに日本蔑視の教育を続けています。
 
 氏の著書の主題は、ここにあるのではありませんが、私には有用な書です。
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ハンチントン氏著『文明の衝突』- 4 ( 現存する5つの文明 )

2019-10-10 13:46:00 | 徒然の記
  文明とは何を指しているのか。文化とどう違うのか。これを知っておくと、氏の著作を読む手助けになります。簡単なようで、案外ややこしいのです。
 
  ・人類の歴史は、文明の歴史である。それ以外の見方で、人類社会の発展を語ることはできない。
 
  ・歴史は古代シュメールやエジプトの文明から、古代ギリシア・ラテン、中央アフリカの文明へ、さらにはキリスト教や、イスラム教の文明へと、何世代もの文明を経てさらに連綿と続く、中国文明やヒンドゥー文明を通じて繋がってきた。
 
  ・有史以来文明は、人々に最も広い意味でアイデンティティを与えてきた。
 
 高校時代にでも戻ったような、懐かしい文章です。文化と文明の違いなど知らなくても、分かるではないかと言う人は、まだ学徒ではありません。52ページへ戻り、氏の説明を読めば、そんなことが言えなくなります。
 
  ・「文明」という考え方は、18世紀フランスの思想家によって「未開状態の対極にあるもの」として展開された。「文明社会」が、「未開社会」と異なるのは、人々が移住して都市を形成し、読み書きができるからだった。文明化することは善であり、未開の状態にとどまることは悪だった。
 
 もともと日本には無かった概念ですから、説明を聞き、なるほどと思わされるだけで疑問は生じません。
 
  ・それと同時に、人々は次第に複数形の文明について、語るようになった。世界にはいくつもの文明があって、それぞれが独自のやり方で、文明化していたのだ。
 
  ・つまりヨーロッパの知識人や、外交官、および政治家が、唯一の理想として長い間定義されてきた、「一つの文明」という考え方を放棄するということであった。
 
 ここから少し複雑になりますので、文章を割愛し、自分なりに都合よく解釈いたします。
 
  ・文明と文化は、いずれも人々の生活様式を言い、文明は文化を拡大したものである。
 
  ・いずれも、価値観、規範、社会制度、ある社会で何世代にも渡り、最も重要視されてきた思考様式を含んでいる。
 
  ・人が文化的な特徴によって、いくつかの文明に分類されるのと同じように、人は肉体的な特徴によっていくつかの人種に分類される。だが、文明と人種は同一ではない。
 
  ・同じ人種に属する人々が、文明によってはっきりと切り離されるされることもあれば、異なる人種の人々が文明によって統合されることもある。
 
  ・キリスト教とイスラム教など、特に盛んに布教活動を行う宗教は、様々な人種からなる社会を包含している。人間集団の最も重要な特徴は、その価値観、信仰、社会制度、社会構造であって、体格や頭部の形や、肌の色ではないのだ。
 
 博学な氏は他の学者の説も引用し、無数の説明をしますが、私のように凡庸な学徒は、何となく無く分かったところで先へ進み、日本と中国の文明に関する説明に集中します。
 
 そうする方が、息子たちも「ねこ庭」を訪問される方々も、退屈しないですみます。何よりも、私自身が退屈しません。
 
  ・一つの文明に含まれる政治単位は、一つの場合もあればたくさんある場合もある。文明が発達するにつれて、その変化は、構成する政治単位の数と性質に現れてくる。
 
  ・政治学者ルシアン・パイによると、中国は一つの国を装っている文明であり、日本は国がすなわち文明である。
 
 世界の学者がそのように見ていたのかと、これは初めての発見でした。世界の文明の数について、学者たちが多くの意見を持ち、議論も重ねてきたが、大筋では一致していると氏が言います。
 
  ・認識の違いはあるとしても、主要文明の区別についての異論はない。歴史的には、少なくとも主要な文明が12存在し、そのうちの7つは最早存在せず、5つが存在する。
 
  1.  消滅した7つの文明
 
   メソポタミア   エジプト     クレタ    古代ギリシァ・ローマ
 
   ビザンティン   中央アフリカ   アンデス
 
     2.  現存する5つの文明
 
   中国    日本    インド    イスラム    西欧
 
 興味深いのはこの説明でした。日本でも歴史の授業でこれを教え、国民の自虐史観を払拭して欲しいではありませんか。
 
 ハンチントン氏だけが言っているのかと思いましたが、そうではなく、世界の学者の多くが、地球に現存する5つの文明の一つに日本を入れていました。有頂天になったりせず、やはりそうかと静かに納得するのが、普通の日本人だと思います。私も普通の日本人の一人として、静かに納得いたしました。
 
 次回は、現存する5つの文明に関する氏の説明を紹介します。
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