ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

文明の衝突 - 13 ( メキシコの内情と日本の政治家 )

2019-10-23 00:10:05 | 徒然の記
 今回は、メキシコです。トルコより、少し分かりやすい説明になっています。
 
 2.  メキシコ
  「トルコが、引き裂かれた国家になったのは、1920 ( 大正9 ) 年代だが、」「メキシコは、1980 ( 昭和55 ) 年代だ。」「両国の西欧との歴史的な関係は、ある程度まで似ている。」「トルコと同様メキシコも、明らかに非西欧文化の国だった。」「20世紀においてさえ、ノーベル文学賞を受賞した詩人の言葉通り、」「メキシコの核は、インディオである非ヨーロッパ人だった。」
 
 メキシコについて、私が知っていることといえば、アステカ文明をスペインが滅し、以後300年間植民地にした。と、こう言うことくらいです。後は世界地図で、アメリカの下の方にある国だと、そんなことしか知りません。ですから氏の説明は全て新鮮で、新しい知識となります。いつまで覚えておられるかが問題ですが、学徒の向上心が燃えます。
 
 「メキシコはオスマントルコと同様に、19世紀に、」「西欧の手で分割された。」「1920 ( 大正9 ) 年代に、トルコのように革命を起こし、」「一党支配の、新しい政治体制を確立した。」
 
 「メキシコはトルコと違い、ロシア革命に倣い、」「西欧の資本主義と民主主義に反対する、新しいナショナリズムが生まれた。」「メキシコの指導者は、アメリカに挑戦する経済政策や外交政策を展開した。」
 
 メキシコが大きく変わるのは、最初の説明にあるように、1980 ( 昭和55 ) 年代です。ミゲル大統領とその後継者である、サリナス大統領が、経済的自由主義へと政策を変更しました。
 
 「こうした考え方は、政界と経済界のエリートに、広く支持された。」「サリナスは、アメリカ、カナダとともに、北米自由貿易協定に参加した。」「トルコにおけるケマルが、イスラム国家から西欧型の国へと、変えたように、」「サリナスの改革も、メキシコをラテンアメリカの国から、北アメリカの国へと変えることを目指した。」
 
 氏が指摘するメキシコの分裂は、トルコとは違っており、むしろ中国の状況に似ています。経済発展とアメリカとの関係強化は、必然的に、政治的自由を求める勢力との対立を生みます。サリナスは経済の自由化を進めましたが、政治の自由化は認めませんでした。
 
 氏の説明は問題提起だけで終わっていますので、現在のメキシコがどうなっているのか分かりませんが、中国と同じ状況なら、政治的自由を求める勢力を、政府が力で押さえ込んでいることになります。
 
 氏はあまり力点を置いていないようですが、トルコとメキシコについて、共通する問題があります。トルコが西欧諸国から仲間に入れてもらえないのは、移民問題です。
 
 「ヨーロッパのエリートも大衆も、多数のトルコ人が移民として入ってくることを恐れ、」「トルコを仲間として、EUに迎え入れることに抵抗した。」
 
 メキシコについては、次のように述べています。
 
 「NAFTAの批准後に、アメリカでは、それ以上メキシコとの関係を深めることへの反対が起こり、」「移民の制限が求められ、自由や法の支配という、北アメリカの理念に、」「メキシコがついていけるかどうかという疑問が、表明された。」
 
 トルコもメキシコも、欧米の社会からは、大量の移民への危惧を持たれ、仲間として受け入れられなかった、という事実が大事です。両国のエリート層は別として、多数を占める国民の、宗教、言語、生活様式の違いなどが、大きな壁になっています。これもまた、氏の言う「文明の衝突」です。
 
 諸外国は、日本の移民受け入れの少なさに不満を漏らし、排他的民族だと攻撃しますが、彼らは今になって同じことをしています。植民地主義時代には、後進国を攻め滅ぼし、支配し、多くの利益を得て、自分たちの都合で、移民を受け入れていました。
 
 今日になり、大量の移民の恐ろしさや厄介さが分かり、排斥運動が始まっているのですから、彼らが日本を非難するのは見当違いの話です。こうした現状を知らず、「日本は移民を受け入れない、心の狭い国だ」などと主張している日本人が、国内にいることの不思議さです。
 
 安倍政権が移民法を成立させ、大量の外国人労働者を入れようとしているのが、いかに間違った政策であるかが分かります。イスラム法を信じる移民は、おそらく現在いる60万人の在日コリアより、さらに厄介な存在となるはずです。
 
 彼らはイスラム教を中心に団結し、自分たちの生活習慣を守り、妥協しません。今は数が少ないので静かですが、多数になると、日本国内で自分たちの居住域を自治区同様にしてしまい、周辺住民と争い始めます。善悪の問題でなく、彼らの生活方式であり、文化ですから、日本人はなされるままでしょう。繁殖力の強い外来種の魚やカメに、日本の固有種が食い荒らされ、絶滅する様に似ています。
 
 「共存社会」、「多様化社会」、「寛容の社会」などと政治家や学者や文化人が、テレビや新聞で主張していますが、亡国の論でしかないと私たちは気づかなくてなりません。こういうことを野放しにしていたら、皇室の消滅する日が来ると、どうして危機感を抱かないのでしょう。
 
 自民党の政治家諸氏には、是非とも「文明の衝突」を読んで欲しいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする