ねこ庭の独り言

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ジャカルタ路地裏フィールドノート (カンポンの意味 )

2019-06-29 11:44:19 | 徒然の記
 倉沢愛子氏著『ジャカルタ路地裏フィールドノート』 ( 昭和13年刊 中央公論新社 )を、読み終えました。
 
 前回は反天連の佐野氏による、アフリカからの報告でしたが、今回はインドネシアです。自称インドネシア研究者ということですが、日本には、様々な学者がいるのだと知りました。
 
 佐野氏のように偏った意見でないため、落ち着いで読めましたが、こうなると逆に、著者は何を言いたいのだろうかと最初は掴めなくなりました。
 
 しかし読後の今は、未知の国のインドネシアを、身近なものとして教えてもらいましたので、感謝しています。以前インドについて書かれた本を何冊か、読んだことがあります。恐ろしいまでの貧富の格差、生と死が隣り合わせになった日常生活など、混乱のインドでした。
 
 読後感はどこか似ていて、混乱の中にある不思議な秩序と貧富の格差が語られていました。本が出版された平成13年の日本は、どんな状況だったのか。参考のため、調べてみました。
  • ■東京ディズニーシーグランド開園
  • ■ユニバーサル・スタジオ・ジャパン開園
  • ■小泉内閣発足
  • ■愛子内親王誕生
  • ■国内で初の狂牛病発症
  • ■家電リサイクル法施行
  • ■JR東日本の新タイプ定期券 「Suica」登場
  • ■アメリカ同時多発テロ事件
  裏扉に書かれた著者の略歴も、紹介します。
 
 「昭和21年に生まれ、昭和45年東京大学教養学部卒業後、インドネシア日本大使館に、専門調査員として勤務。」「帰国後名古屋大学教授を経て、現在は、」「慶應大学経済学部教授。」
 
 この本は、氏が三年間暮らしたジャカルタの路地裏での暮らしを、綴ったものです。インドネシアでは、路地裏のことをカンポンと言うらしく、氏の詳しい説明があります。
 
 「インドネシアの都市の住居は表通りの世界と、路地裏の世界に大別される。表通りの世界では、車が通れるような道路に面して、比較的、広い間口の家が並んでいる。」
 
「それに対して、路地裏の世界 ( カンポン ) というのは、表通りの家と家との間の、わずかにあいた空間を入っていくと、その先に小さな路地が網の目のように延びていて、その路地沿いに広がる密集居住区を言う。」
 
 「家の戸を閉ざさず、家の前の路地で煮炊きをしたり、洗濯をしたりするような生活。あるいは共同の井戸を使い、炊事、洗濯をしているような生活スタイルでは、一日中、誰とも顔を合わせず過ごしてしまうような、日本の都市の団地などとは、まったく異なるのである。」
 
 氏の著書を理解するには、カンポンについて知っておくことが大切です。もう少し、氏の説明を紹介します。
 
 「それは決して、スラムと同義ではない。カンポンの住民といっても、一様でなく、下級公務員や普通のサリーマン、小学校教師など、いわゆる中流的な階層の人々も入れば、田舎から出てきたばかりで定職がなく、露天商や行商をしているその日暮らしの貧しい人々もいる。」
 
 「近代的なジャカルタ中心部を遠く離れ、インフラ整備も大きく遅れ、いわゆる開発から、取り残された世界である。こう言う住民の集落を、一般にカンポンと呼ぶ。」
 
 「カンポンはもともと田舎とか、ふるさとを意味するインドネシア語だ。田舎から出てきたお手伝いさんが、カンポンへ帰るといえば、自分の生まれ故郷へ帰ることを意味する。」
 
 「そのような村社会と同じような生活スタイルと、人間関係を持ち込んで、庶民が生活しているところ、それが都市カンポンである。」
 
 で、氏はなぜ、物好きにもカンポンへ越してきたのか。三年間も調査研究をし、本を書いたのか。理由はただ一つ、学者としての探究心です。あるいは、人間誰もが持つ野次馬根性なのかと思います。
 
 それまで氏の一家は、ジャカルタの中心部に7年間暮らしていました。周りには日本人をはじめとし、多くの外国人が住んでいる高級住宅地でした。ここに住む限り、本当のインドネシアを知ると言う、氏の願いが叶えられませんでした。
 
 一人当たりの国民所得が、日本の40分1ですから、強い円で報酬をもらう日本人駐在員は、誰もがにわか金持ちになります。インドネシアだけでなく、当時のアジア勤務者は、みんなにわか金持ちとなり、贅沢な暮らしでした。
 
 広い家、ガードマン、メイド、高級車など、私が会社勤めをしていた頃、海外勤務者は鼻息が荒かったものです。その代わり奥さん以外に女性を作り、離婚したり、結婚したり、家庭をダメにした愚か者もいました。
 
 氏は知人の紹介で、カンポンの川べりの土地を買い家を建てますが、なんと氏の家の一軒の広さは、165世帯が住む土地全体の、10%を占めていたと書いています。氏特有の明るさと人なつこさと、学者特有の厚かましさに助けられ、氏はカンポンの住民に受け入れられます。大金持ちの日本人と、内心では妬まれていたはずですが、研究目的を果たしたのですから、大した人物です。
 
 同じ報酬を払うから氏と同じ調査をして欲しいと頼まれても、自分は二の足を踏みます。それだけでも、私は氏を尊敬します。インドネシアの政治、文化、庶民の暮らしなどを日本との比較で読むと、新しい世界が広がります。今回は、前段の話に終始し、書評には至りませんでしたが、次回から頑張ります。
コメント (2)
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