本日は、エドワード・リネンソール氏の論文を紹介します。
「エノラ・ゲイとその任務に対する、懐疑的見方は、」「政府に不満を持つ、ベトナム世代や、左翼の歴史学者、または、政治的公正主義の所産だと言われているが、」「その起源は、半世紀前にある。」
「1945 ( 昭和20 ) 年の春から夏にかけて、アメリカの報道機関は、」「日本の無条件降伏以外の方法について、活発に議論していた。」
「原爆製造のマンハッタン計画に関与していた、科学者の間には、」「原爆使用の決断が、賢明かどうかにつき、大きな意見の相違があった。」
「戦争終結後には、プロテスタントやカトリックの、多くの著名なスポークスマンから、」「原爆投下に対して、激しい批判があった。」
昭和20年と言えば、日本でマッカーサーの統治が始まった時ですから、米国の動きが伝えられるはずがありません。どこかの時点で、日本のマスコミは知ったはずなのに、「日本だけが悪い。」「日本だけが間違っていた。」と記事を書き続けていました。
「影響力を持つ保守派もまた、原爆投下の決断を批判した。」「タイムの創刊者ヘンリー・ルースは、1948 ( 昭和23 ) 年に、」「次のように書いた。」
「無条件降伏という政策でなく、最初からアメリカの条件を明示していても、」「間違いなく、日本との戦争は現実より遅れることなく、終結しただろう。」「クリスチャンの良心を、ひどくかき乱した原爆投下が、なくてもだ。」
ニューヨークタイムズや、ユナイテッド・ステイツ・ニュースの編集者たち、その他何人もの保守派のジャーナリストたちが、同様の批判を口にしていると、氏が語ります。
その例の一つとして、1958 ( 昭和33 ) 年にナショナル・レビュー紙に寄稿された、ハリー・バーンズ氏の意見を紹介しています。
「広島と長崎で焼き殺された、数万の日本人は、」「戦争終結のため、あるいはアメリカ人や、日本人の救命のため、犠牲とされたわけでなく、」「アメリカの、対ソ外交を強化するための犠牲とされたのだ。」
昭和33年にこのような意見が、アメリカの新聞で公にされていたという事実を、私たちはなんと受け止めれば良いのでしょう。
私はまず、アメリカに抱いていた偏見を修正します。アメリカのマスコミは国民のため、両論併記をしていました。これをしないのは、日本の反日左翼朝日新聞だったのです。息子たちに言います。朝日新聞の反日ぶりと、翻訳者島田氏の曲がった心根を思い出してください。
「これは単に、アメリカだけの問題ではない。」「過去の所業を直視しないという点では、」「侵略したアジア諸国へ、ろくに謝罪もせず、」「南京大虐殺や、慰安婦問題を糊塗しようとする政治家を、」「選び出す、日本の問題でもある。」「エノラ・ゲイ展をめぐる論争は、過去に対して、」「道義的責任を追わない国は、その存立基盤を危うくするという、」「大変重要なことを、教えてくれるだろう。」
二つの論文を読んで、日本人の中で氏のような読後感を得る者が何人いるのでしょう。反日朝日に感謝する彼は、朝日に媚び、国民に嘘の説明をしています。次のリネンソール氏の論文も両論併記だ、という事実を紹介します。文章をやめて、項目で列挙します。
〈 1. 1970 ( 昭和45 ) 年 〉
・バリー・ゴールドウォーター上院議員・・「日本に原爆を投下した飛行機が、スミソニアンの展示物の一つになるとは、考えたくない。」
・フランク・トンプソン下院議員・・「私は国として、原子爆弾の使用を、誇りにしようと思わない。」「博物館に展示されるのを見れば、私の心は傷つくだろう。」
〈 2. 1980 ( 昭和55 ) 年 〉
・元B29乗員だった退役軍人の数人・・「博物館は、エノラ・ゲイを修復して陳列せよ。」
〈 3 1981 ( 昭和56 ) 年 〉
・会計検査員トーマス・ファーガソン・・ 「エノラ・ゲイを、34年間も格納していることは、自由の女神像や、最初に月面着陸した宇宙船をしまい込んでいるようなものだ。」「スミソニアンは、アメリカの最も重要な遺産を死蔵している。」
こうした叙述の中から、島田氏はどのようにして、あの反日の意見を引き出したのでしょうか。