ねこ庭の独り言

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8月15日の、陛下のお言葉報道

2018-08-17 19:35:13 | 徒然の記

 今回は、8月15日の陛下のお言葉を伝えた、共同通信社の、8月16日の記事について、語ります。

 同日の、千葉日報社独自の記事につきましては、前回述べたので割愛しますが、私の息子たちには、千葉日報の記事と並べ、共同通信社が、偏向記事を配信する会社だという事実を、自分の目で確かめてもらいたいと思います。

  「終戦から73年となり、平成最後の終戦の日を迎えた15日、」「政府主催の全国戦没者追悼式が、日本武道館で開かれ、」「参列者は不戦の思いを新たにした。」

 「戦争体験者の高齢化で、記憶の伝承が課題となる中、」「各地で語り継ぐ試みも、始まっている。」「退位を控える天皇陛下は、お言葉に、」「戦後の長きにわたる、平和な歳月に思いをいたしつつ、」「との一節を加え、四年連続となる、」「深い反省という言葉とともに、」「強い思いを示された。」

 「安倍晋三首相は、」「戦争の惨禍を二度と繰り返さないとは、述べたが、」「アジア諸国への、加害責任には触れなかった。」

 と、これが記事の書き出し部分です。相変わらず、安倍総理への批判を繰り返し、陛下のお言葉との違いを強調し、対立を煽っています。戦争体験者がいなくなっていくので、今後は戦争体験を語り継ぐため、「語り部の育成」に厚生省が力を入れていくと説明し、再び、総理への批判が始まります。

 「安倍総理は式辞で、戦争の惨禍は繰り返さないとした上で、」「歴史と謙虚に向き合い、どのような世にあっても、」「この決然たる誓いを、貫いてまいります、」「と述べた。」「加害者責任に言及しなかったのは、第二次政権発足後の、」「平成13年の式典から、6年連続となる。」

 加害者責任という言葉を、共同通信社は、総理攻撃の武器ででもあるように使い、悪印象を作ろうとしています。もし共同通信社が、日本の会社であり、日本人が経営している会社であるとするなら、こんな不都合な言葉を、なぜ使い続けるのでしょうか。このような話を持ち出すのなら、世界で起きている戦争に、加害者責任の問われる国は、日本以外にないとでも考えているのでしょうか

 歴史が私たちに教えるのは、戦争が常に大国のエゴから始まるという事実です。ならば大東亜戦争時の日本ばかりを責めるのでなく、他の国々も、公平に批判してはどうなのでしょう。いったいどこの国が、自ら戦争の加害者責任を語ったか、共同通信社は、それを明らかにした上で、総理を批判すべきでしょう。もう国民は、共同通信社が語るような政府攻撃や、悪意の倒閣記事に飽き飽きしています。

  私の言葉を読み、「戦争に大義を与えてはならない。」「どんな戦争でも、二度とやってはならない。」、という意見を寄せた方がいます。穏やかな口調なので、性悪の反日・左翼でないと分かりましたが、どういう読み方をすれば、私の意見が「戦争に大義を与える」、と受け止められるのか。不思議でなりません。

 私が先の大戦につき、反対しているのは、マスコミや「お花畑」の人々が、不当に日本を貶めている事実に関してです。日本だけが悪かった、日本だけが間違っていた、世界に向かって謝れなどと、こうした偏った意見に反対しているだけです。日本を責め、自分も反省すれば、戦争が地球から無くなると、そんなバカな意見を、笑っているだけなのです。

 共同通信社の記事は、こんな日本人を育てるには、格好の教材となりますから、見過ごすわけにいきません。こうした記事を目の当たりにしますと、私は息子たちに、改めて語らずにおれなくなります。

 「父は、お前たちに言っておきます。」「戦没者の慰霊祭に、反対しているのではありません。」「陛下のお言葉を、否定しているのでもありません。」「父は、ここに忘れられているものを、指摘しているだけなのです。」「難しい理論ではありません。」

 共同通信社の記事では、追悼の対象となる人々を、次のように列挙しています。

  1. 戦死した軍人・軍属 ・・ 約 230万人

  2. 空襲や広島・長崎の原爆投下、沖縄戦で亡くなった民間人 ・・約 80万人

 合計、310万人だと説明しています。軍人だけでなく、民間人も同じですが、こうして亡くなられた方々の、尊い犠牲の上に、現在の私たちの暮らしがあり、平和があります。

 だとするならば、私たちが亡くなられた方々に捧げる気持ちは、二つあります。「哀悼の気持ち」と「感謝の気持ち」です。陛下のお言葉には、犠牲となった国民への「感謝の気持ち」がありません。腐れマスコミどもが、外国勢力へ忖度し、犠牲者への「感謝の気持ち」を無視しているからといって、戦後73年経っても、なぜ陛下はそんなマスコミを是とされるのでしょう。

 私が異を唱えておりますのは、この一点のみです。国民の敬愛の中心にあった、天皇陛下のため、多くの軍人は命を捨てています。天皇陛下のために死ぬことが、大切な家族や郷土を守ることと同じだと、信じていた人々でもあります。そういう国民に対し、陛下はいつになったら「感謝の気持ちを」表されるのでしょうか。

 愛する息子たちに言います。前回のブログで、父が千葉日報社の記事を「尊い」と言ったのは、ここにあります。大きさを比較すれば、象とアリと言われる、共同通信社と地方紙の千葉日報です。それは同時に、全国紙と千葉日報社の力関係でもあります。その小さな地方紙である千葉日報社が、陛下も、共同通信社も、全国紙もしなかった、客観報道をしました。「哀悼の気持ち」と「感謝の気持ち」を、きちんと記事にいたしました。

 この勇気を、父は尊いと思い、感謝せずにおれないのです。父は戦争賛美者でもなく、軍国主義者でもありません。ただ、「お花畑の人々」と違うのは、理不尽な他国が攻めてきたら、あの森永氏のように自分だけ逃げ出さず、戦うというところでしょう。御覧なさい、小さなネズミの親でさえ、大きな敵に襲われたら、身を犠牲にして子を守ります。

 だから、今回の記事に、私はいつもの言葉を貼り付けます。

  「共同通信社の記事は、国民への挑戦である」

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千葉日報の努力は、尊い

2018-08-17 12:26:46 | 徒然の記

 8月16日の千葉日報の紙面は、「敗戦の日」のお祭り騒ぎでなく、両論併記の冷静な記事でした。 例年なら一面トップに、武道館で開かれる戦没者慰霊祭での、陛下の写真とお言葉が、大きな活字で飾られます。

 今年は、一面の大見出しと写真が、甲子園で活躍する地元木更津総合の、16強入りのニュースでした。その記事の隣に、千葉県での慰霊祭のニュースがありましたので、記事の見出しを、転記いたしましょう。

 「終戦73年 県忠霊塔に知事ら献花」「平成最後の夏 平和誓う。」「知事今年も靖国参拝」

 陛下のお写真と記事は、16面の半分で、例年のような扱いをせず、見出しの活字も大騒ぎしていません。私のように、1面と16面の記事を並べてみる読者がいれば、今年の千葉日報社の努力が、きっと分かります。参考までに、16面の陛下の記事の、見出しを転記いたします。

 「不戦の誓い 次世代へ継承」「陛下 長き平和に思い」「戦没者追悼式」

 昨年からだったと思いますが、マスコミが、「終戦記念日」という奇妙な言葉を使うのを止め、「終戦の日」と改めています。今年も、そうなっていました。これにだけでも、左翼思考の強いマスコミ界においては、大変革の一つだったと思います。おそらく、祝日でもないのに、記念日というのはおかしいという、国民の声が届き、「終戦の日」と変わったのだと思います。私はさらに、これを、「敗戦の日」という、客観的な言葉にして欲しいと願っています。

 そうなれば、マスコミ主導のお祭りでなく、国民が主体となった「大切な日」となり、静かに過去を見直す日となるはずです。反日の学者や政治家たちの中には、ドイツとの戦後処理を比較し、「ドイツに比べたら、日本の反省はとても足りない。」などと、未だに馬鹿な主張をしています。論理を第一とし、妥協を是としないドイツと異なり、「和をもって、尊しとなす」日本は、戦後の見直しが、ドイツと異なっていて、当然なのです。

 先日来の読書でご紹介しましたように、ドイツは「ヒトラー個人に責任を転嫁」し、国難を乗り切っただけなのです。ユダヤ人の虐殺や、民族浄化をしていないのですから、日本を、ドイツと同列に論じる方がおかしいのです。ナチスの責任者を死刑にしたり、重罪にし刑務所へ送ったり、日本が、ドイツと同じことをする必要はどこにもありません。

 自衛のため戦争だったのですから、日本の戦後処理の見直しは。むしろ一時的でもせよ、連合国の裁判で「犯罪人」とされ、処刑された人びとの名誉回復が、もう一度明確にされるべきと、考えます。その上で、私たちがやるべきことは、むしろ、敗戦後に、国を裏切った者たちの責任を、キチンと問うことではないでしょうか。

 今更刑を宣告したり、刑務所へ送ったりせず、日本人らしいやり方で解決すれば良いと、私は考えるようになりました。こうした裏切り者たちも、今になって思えば、GHQの権力者たちによる残酷な統治が、直接国民へ及ばないよう、間にいて軟着陸させたと、そんなこじつけができないでもありません。

 異論もあると思いますが、こうした恥ずべき変節漢たちについては、その名前を、世間に一定期間、正式に公表すれば、事足りるのでないかと考えます。その一部を、私は過去のブログで、「変節した学者」たちとして、まとめました。

 学者だけでなく、軍人、政治家など、範囲限定で見直しし、マスコミが公表すれば良いのです。そうすれば、「獅子身中の虫」も、「駆除すべき害虫」も自ずと消滅します。

 さてここで私は、説明なしに、武道館での陛下のお言葉と、一面の千葉県での慰霊祭の記事を、並べて紹介いたします。私の大切な息子たちと、訪問される方たちが、千葉日報社の「尊い努力」を発見されることを、祈ります。 

   [ 陛下のお言葉  ] (2018/08/15-12:12)

 「本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。」

 「終戦以来既に73年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。」

 「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」

    [ 千葉日報社の記事  ] (2018/08/16)

   「73回目の終戦の日となった15日、本県の戦没者を悼む、県忠霊塔で、」「県主催の拝礼、追悼式が行われた。」「戦争で兄二人をなくした、遺族会の丁子(ようろご)源次郎会長(84)は、」「どれほど時間が経とうと、(戦没者への)思いは一緒。」
 
 「祖国の安泰や家族の安寧を願っていた、戦没者に、」「心からの感謝を申し上げ、安らかにお休みになることを、お願いした、」「と語った。」
 
 「森田知事は、」「国民を守って欲しい、との思いで手を合わせた。」「戦争は、二度とあってはならない、」「世界が一つにならななければと、自分の出来る範囲で、」「伝えていきたいと、強調した。」 
 
  「森田知事は、追悼式後、報道陣に対し、」「同日朝、靖国神社を参拝したことを、明らかにした。」「森田知事は、伯父二人も戦死した。」「県民の代表として、英霊の御霊に頭を垂れるとともに、」「世界の恒久平和に、導いてもらいたいとの気持ちで、手を合わせた、」「と述べた。」
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