ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

憂国 - その3 ( 模索なさった新しい天皇像 )

2016-08-26 16:59:52 | 徒然の記

 平成5年1月号の、月刊「現代」の特集に、「昭仁天皇は何を目指しているか。」という記事がある。

 ノンフィクション作家の保坂正康氏が、皇室ジャーナリスト、松崎敏弥氏の言葉を紹介している。

 「松崎氏によれば、昭和天皇と現天皇の時代を比べると、宮中内部でも、幾つかの変化が起こっているという。」

 「例えば昭和天皇は、侍従を始め側近の人たちを、呼び捨てにしていました。でも現天皇は、必ず 「さん 」 をつけられます。」

 「昭和天皇は、侍従の方達を陪席させて、食事をすることなどもありましたが、現在はそのようなことは無くなっているといいます。」

 「地方に行かれた折も、昭和天皇は、歓迎の人たちに手を振ることなどありません。しかし現天皇は必ず笑顔で手を振ります。この違いは、大きいと思いますね。」

 「20年余も、皇室を見続けていた松崎氏は、" 妙な表現になるが " と前置きして、次のようにも話している。」

 「昭和天皇は、二十四時間すべてを、天皇であろうとされた方です。」

 「ところが現天皇は天皇の責務を果たすと同時に、自らの時間も大切にされていると思います。」

 「ハゼの研究をされたり、ご家族の団欒を重視されたりと、つまり二十四時間を、分けて考えられているのではないでしょうか。」

 「昭和時代からの侍従と、東宮時代からの侍従との対立が、時に現れました。」

 「それまでの宮中のしきたりと、新しい天皇の望む慣行の間に違いが生まれ、徐々に侍従の顔ぶれも、天皇の意に通じるメンバーに変わったというのである。」

 「天皇は、昭和天皇と異なった肌合いがあり、それほど侍従たちとも深い会話を交わさないという。」

 「学習院時代のご学友とも、以前ほど交流はしない。政治上のご進講も、それほど受けていない。」

 「その分、天皇家内の団欒が多く、明治、大正、昭和と、三代の天皇家とは異質の姿勢を貫いている。」

 書き写しながら、保坂、松崎氏の語り口に、不快感を覚えた。どこにでもいる一般人の、噂話でもしているような礼節のない言葉遣いだ。敬語も使っていない。

 このような人物が、皇室問題の専門家のように持ち上げられ、マスコミに登場する。二人は、今回の「お言葉」について、陛下を理解者する立場で語っているが、誰が人選しているのか、ここからして、日本の基礎が狂っている気がする。

 平成21年の文藝春秋には、今上陛下について、即位当時の状況を語る、皇室研究家高橋紘氏の言葉が紹介されている。

 「偉大なる昭和天皇の後、というプレッシャーは、相当なものだったと思います。」

 「侍従の中には、昭和天皇からならばともかく、今の天皇からは勲章はもらいたくないんだ、という人もいたくらいです。」

 得意げに喋る高橋氏に、礼儀知らずの保坂氏が神妙に応じている。

 「そんな中で陛下は、独自の天皇像を作らなければならないというところに、立たされた。即位後のお言葉からは、その強い意志が読み取れます。」

 16年も経つと、保坂氏も世間を泳ぐ知恵を身につけたのか。言葉遣いが、丁寧になっている。

 板垣恭介氏の「無頼記者」という本を読んで以来、皇室記者には碌な人間がいないと思ったが、今回それが確信に変わった。

 報道の自由なのか、表現の自由なのか、彼らこそが、皇室の周辺にいる獅子身中の虫であると思えてきた。

 その虫のおかげで、陛下への苦言材料を得ているのだから複雑な気持ちだ。

 愚にもつかない皇室記者や、評論家の言葉を引用したのは、この中に、今回の「お言葉」につながる要因があるからだ。

 今上陛下が昭和天皇の偉大さを越えるため、「新しい天皇像」を、懸命に模索されたという事実が、その一つだ。二つ目は、「二十四時間の天皇」でなく、「プライべートを大切する天皇」になられたことだ。

 その次は、国民に寄り添う天皇として君臨する天皇でなく、国民と同位置にある天皇の演出を、心掛けられたことだ。お仕えする侍従たちへ、呼び捨てをやめられたことや沿道の国民への会釈がそれである。

 最も大きな変化は、災害地の現地訪問を必ず行われるようになり、美智子様を同伴され、古くからの侍従たちのご忠告にかかわらず、床に座り、被災者と語られるスタイルを作られたことだ。

 こうしたご行為は、昭和天皇がなされなかったことであり、これにより今上陛下は、昭和天皇との違いを国民に示され、ご自分を完成された。

 隔てのないお姿は、「開かれた皇室」を広く伝えることとなり、多くの国民が親しみを感じる、皇室改革でもあったと言う。

 父君を超えられようと、新しいスタイルと仕事を自らに課されたが、ご高齢となるにつれ、お身体の負担が大となり今回の「お言葉」となっている。

 被災地へのご訪問は、陛下の心の中で天皇固有の公務となっており、摂政にお任せになってはという、周囲のご提案にうなづかれない理由がここにある。天皇固有の国務を、ご自分ができなくなったら、退位し次に任せるしかないと、陛下は考えられている。

 陛下の被災地ご訪問で、笑顔や短い会話で国民は元気づけられ、勇気もいただいたのですから、陛下のお気持ちに、無闇に反対する気はない。陛下が後退任後、現在の皇太子ご夫妻に、その退任が果たされるのかどうか、ここに多くの国民の不安がある。

 今回の「お言葉」で、陛下が何も応えておられないため、陛下のご主張の不条理さだけが目立つ結果となり、あらぬ憶測を広げている。

 西村氏や桜田氏のような無条件服従の保守政治家から見ると、こんな私は、不敬の極みの国民となるのだろうが、それでも勇を奮い言わねばならない。

 一呼吸を入れ、一休みし、身を謹んで、明日も続きをしよう。80を超えられた陛下のご心労に比べれば、70代の私はまだ若い。疲れたなどと言っておれない。

コメント (2)
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