goo blog サービス終了のお知らせ 

ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

黄文雄氏著『近代中国は日本人が作った』 - 4

2016-08-21 15:59:09 | 徒然の記

   著作の最終章にある、氏の意見を紹介する。 

  ・戦争の賠償に比べ日本のODA援助は微々たるものと、李鵬首相はケチをつけたが、それは歴史認識の上でかなり問題の多い発言だ。

 前回で終わるつもりだったが、これを紹介せずにこのブログは終われない。

 この部分を挿入したからといって、厚顔な中国政府に通じないと分かっている。白を黒と言って恥じない、中国に反論したいためでなく、事実を知らない日本人に紹介したいからだ。

  ・中国は国内の内戦のため、日本から賠償金が取れなかった悔しさがあるのだろう。「日中共同声明」で賠償請求は行わないと、一度宣言しながら、なおもそれを口にしている。

  ・周恩来の時代は千億ドルと主張していたが、最近は、要求すべき賠償金は6千億ドルとしているなど、明らかにプロパガンダのためにする金額である。

 さすがに大中華の中国だ、国同士で約束したことを平気で破る。これなら事大主義、小中華の韓国が同じことをしてもうなづける。

  「戦後賠償は終結した」

  「全ては終わった」

 と公式文書を交わしながら、未だに金を要求する韓国は、親である中国を真似ているに過ぎない。

 今回紹介するのは、救いようのない中国共産党政府に関する氏の意見だ。

  ・20世紀に入ってからの中国は、毛沢東のいう「 一窮二白 」 の貧困にして愚昧な社会で、百万から千万人単位の餓死者を出していた。

  ・日本軍の中国での軍事行動は、「侵略 」とされているが、客観的に 「侵 」 の側面はあったとしても、「 略 」 といえるものは何もなかった。

  ・逆に、日本政府および軍は、中国民衆を飢餓から救済していたのである。

  ・当時「 略奪」をしていたのは、日本軍でなく、蒋、孔、宋、陳の4大家族をはじめとする、国民党高官、資本家、地主などのことだろう。

  ・これらのいわゆる 「黒五類 」とされる支配階級の、搾取、略奪については、社会主義中国の学者が指摘してやまないところだ。

  ・なぜ中国が救いようのない貧困状態に陥ったかという点について、中国人はあまり反省もしていなければ認識もしていない。日本軍の略奪が、中国に貧窮と落後をもたらしたという言説は、明らかに事実と反する。

  ・仮に中国が主張する賠償額6千億ドルが、妥当なものだとしても、彼らが接収した満州国の遺産は兆単位に上る。それを別にして、日本人が租界や各都市で営々と築き上げてきた資産だけでも、お釣りがくるほどだ。

 当然だが、こうした事実を朝日新聞もNHKも、国民に伝えなかった。だから戦後の日本に「お花畑」広がり、そこに住む住民が増える。

  ・最近はいい加減に目が覚めつつあるとはいえ、日本の平和愛好家には、

    「中国人は平和的民族だ、中国は外国に戦争を仕掛けたことがないと、」

    と、そんな誤解がよく見られた。

  ・日本人が中国近代史を語る上で、徹底的に見つめなければならないのは戦争の本質である。

  ・少なくとも筆者が指摘したいのは、アヘン戦争以降60年間の清仏戦争、日清戦争、北清事変といった対外戦争は、西欧列強の侵略戦争というよりも、清帝国による対外懲罰戦争であり、それによる見当はずれの失敗だったということである。

  ・中国側の戦争観がどうであろうと、19世紀中庸から20世紀中庸にかけての、つまりアヘン戦争から日中戦争までの、100年にわたる対外戦争そのものが、軍事、政治、経済、社会、文化等々、あらゆる面において、中国を新生、再生、転生へと導いていった。

  ・列強諸国は、実際はむしろ、中国の解放戦争を行っていたのである。

 この奇抜な意見を、私はなんと受け止めれば良いのだろう。私の考えつかない視点からの意見だ。

  ・それでありながら中国は、なおも賠償金代わりのつもりで、ODAを日本に要求してくるのである。日本は経済大国として、中国支援という国際貢献はすでに果たしている。

  ・日本はこれまでに、ODA三兆円以外に、アジア開発銀行、旧輸出入銀行ローン、その他の援助を合わせ、合計6兆円に上る経済援助をしている。

 アヘン戦争に関する氏の意見はよく分からないが、日本の話になると理解できる。中国への戦後賠償とODA援助の不合理は、私が調べた事実と符合している。

  ・中国でのインフラ建設は軍事施設に直結しているので、日本の経済援助は間接的に軍事援助になっていた。それどころか中国は、日本のODAの45%に当たる額を、他の発展途上国の援助に回しているのだ。

  ・だが日本政府は、政治的判断から、中国のODA援助の悪用を問責せず、依然として援助を継続しているのである。

 私がブログの予定外延長をしたのは、氏の意見が紹介したくなったからだ。

 この杜撰な援助を続けたのは、歴代の自民党の政府と政治家だ。彼らはこのような事実を国民に知らせなかったし、マスコミも協力した。中国政府も国民に対して、もちろん何も教えていない。

 だから中国国民は、

  「日本は中国から奪っただけで、何も返さない。」

  と本気で信じている。

 自民党の歴代政府と政治家は、いったい何をしていたのか。挙げ句の果てには、世界第二の経済大国、軍事大国となった中国に「尖閣問題」で脅され、小笠原諸島でサンゴを乱獲され、沖縄にまで手を伸ばされている。

 過去の自民党政権がやったことは、利敵行為であり、反日助長政策ではなかったのかと、考えたりする。

 『韓国は日本人が作った』という前の著書と同様に、私は今回の著作『近代中国は、日本が作った』からも、日本人への鋭い皮肉を読み取る。

 つまり「現在の横暴な中国を作ったのは、日本だ」という皮肉だ。

  ブログの最後にあたり、私は同じ言葉を繰り返す。

 氏の中国批判を単純に喜んでいるようでは、政治家も国民も惰眠を貪っていることになる。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黄文雄氏著『近代中国は日本人が作った』 - 3

2016-08-21 15:58:32 | 徒然の記

  黄氏は、中国革命の根拠地が日本だったと言う。

  ・腐敗した清国を転覆し、300年にわたる中国統治に終止符を打ったのが、1911 ( 明治44 ) 年の辛亥革命である。

  ・それを推進した革命思想は、日本で醸成され発展し、そして中国へ渡って行った。その担い手が、若き清国の留学生たちだった。

  ・ことに梁啓超(りょう けいちょう) が、東京で刊行した 『新民叢報 』は、多くの留学生を立憲思想に目覚めさせた。当時の彼は、中国の福沢諭吉さながらだった。それまで中国人が、世界最高のものと疑いもしなかった中国の倫理を、狭隘なものと批判し、自由、自尊、進歩を強調して、国民の意識を喚起した。

  ・彼の指摘は、中国には家族の倫理はあっても、社会倫理はないというものだったが、まさに中国倫理の本質を暴くものである。

  ・中国では昔から、好鉄不打釘、好男不当兵、つまり好い鉄は釘にせず、好男子は兵にならないと言われていた。軍隊は、たいてい匪賊のごろつき集団と相場が決まっており、良家の子弟が入いるものでなかった。

  ・根底には、「文」を重視するあまり、 「武」 を軽視軽蔑するこの国の伝統文化がある。

  ・かって武士が官僚であり、知識人だった日本では文武両道が理想とされていたが、中国は違っていた。今日中国人が思い描く戦前の日本軍が、常にごろつき集団であるのも、こうした伝統によるものだ。

  ・したがって日本軍国主義は、日本ごろつき主義となり、武士道がごろつき道となる。日本軍の虐殺、略奪は当たり前、という次第だ。

  ・梁啓超は日本に亡命したばかりの頃、兵士の入営時の親族友人たちの送迎の光景を見て、兵士の名誉が、中国における科挙合格者のそれに匹敵することに感動している。兵に送る言葉の中に、「 祈戦死」 とあるのに驚愕し、粛然とした。やがて彼は、日本の軍隊は欧米に勝ると確信するに至った。

 日本人が書いた本なら、戦前を美化する反動的妄言と酷評されるのだろうが、黄氏が元台湾人なので見過ごされている。今回そんな気持ちで氏の言葉を紹介しているのでなく、こうした見方もてあるという事実を示している。

  ・孫文は今日でも、中国共産党では 「 中国革命の父」 と呼ばれ、」台湾の中国国民党からは「国父 」 と称えられている。華僑を含む全世界の中国人から。尊敬されている。彼と日本の関係は極めて深く、革命生活40年のうちその3分の1は、日本を活動拠点としていた。

  ・1900 ( 明治33  ) 年に再び広東での蜂起を計画して以来、「辛亥革命」、第二、第三の革命にいたるまで、資金も参謀も持たない彼は、それらを主に日本人に依存していた。彼は終生、日本の明治維新は中国革命の第一歩であり、中国革命は明治維新の第二歩である。両者は、相互関連の関係にある、との信念を持ち続けていた。

  ・そのような孫文の親日感情を、現代の中国人は事実と認めたがらないようだ。

  ・彼がそのように主張していたことについて、今日の反日的中国人は、日本人の歓心を買って革命資金を引き出そうとしたのだと見ている。つまり、策略で日本人を利用したというわけだ。

 現在の中国共産党政府人がどのように言おうと、過去の事実は消せない。といっても、昔も今も、礼節の国を標榜する中国は、消せない事実を否定し逆さまにして居直っている。大した度胸の国だ。

 孫文をめぐる当時の日本の状況は、平穏なものでなかった。外務次官小村寿太郎は、日清関係の修復に不利であるとの考えから、孫文の滞留に反対していた。そこで犬養毅は、外相大隈重信に孫文の庇護を訴え、認めさせた。こうして清国の逆賊孫文は、日本において身の安全が確保できたという。

 政治家だけでなく、大陸浪人界の巨頭と言われた内田良平や宮崎滔天も、孫文への援助を惜しまなかった。孫文も中国人同胞は信用せずとも、日本人の同志だけは信用した。当時の彼がすがることができたのは、日本人だけだった。

  ・革命の目的は、満人王朝を倒すことにあり、実現したら、満州は日本へ譲り渡す。」

  ・黄河以北をロシアに取られても、大したことはない。」

  ・日支が提携すれば、シベリアまでも取り返すことができる。

  ・彼は日本人に支援を求めるとき、しばしばこの話を持ち出した。だからそれは、孫文の 「 満州公約 」 とも言われていた。

 氏の説明が事実なら、日本の歴史が別の姿になる。

   日本は満州を侵略したのでなく、孫文との約束で進出した。

 さすが氏も即座に肯定せず、驚いている。

   ・一般の中国人が知ったら、仰天するような話だ。

   ・もちろん、こうした事実を中国人があまり語らないのは、中国革命の父や国父が、漢奸だとあっては、中華人民共和国も中華民国も、存在基盤が揺らぐことになりかねないからだろう。

 日本は、己の野望を満たすため、満州を侵略した。満州で傀儡政権を作り、暴虐の限りを尽くしたと教わって育ち、肩身の狭い思いをしていたから、「孫文の公約」を知り私は安堵し、中国人以上に仰天した。

 それなら満州国の設立は、日本軍の独走であるどころか、中国人たちとの共同作業になる。

 黄氏は、悪し様に言われ続けている日本の過去を沢山修正してくれた。氏への感謝と共に、いつもの疑問が生じてくる。

  ・なぜ日本の保守言論人は、氏のように反論せず、中国、韓国・北朝鮮の暴言を放任しているのか。

 私はここで現実に戻り、予定を変更し、あと一つ、氏の意見が紹介したくなった。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする