何年前のことだったろう、どなたかのブログでチャンネル桜を知ったのは。
定年退職してアルバイトを始め、息子の助けでブログを作り出した頃だと、自分では記憶している。ブログを遡れば正確な年が分かるが、そこまでする必要はない。
当時の私はまだ朝日新聞を読んでおり、NHKを信頼していた。会社第一だったから、日々忙しさに追われ疑問も抱かなかった。
自分が気づかなかったのか、それともその頃から偶然に隣国の悪口雑言が始まったのか。たっぷり時間のある年金暮らしとなってみると、なんとも我慢のならない、中国と韓国の言い草だった。
自分を保守的だと意識したこともなく、普通の日本人と思っていたが、毎日のように、正しい歴史認識を持てと中国が説教を垂れ、韓国が軍国だった日本の昔を責めるので、事実はどうなのかという探究心が湧いてきた。
朝日新聞を見れば、「日本が悪い、日本が悪い」と報道し、テレビでは隣国に同調する解説者たちが、日本を悪しざまに批評している。自分の国はどうなっているのかと、悲しみや怒りが生まれてきた。
単純な疑問と、素朴な怒りだった。自分の国の過去、つまり歴史だが、その全てが否定され憎悪される。自分の国の先祖、第二次大戦当時の軍人や政治家も含まれるが、飛鳥、奈良、平安、鎌倉の時代の祖先も含まれる。つまり、私たちのご先祖様だ。
たかだか70年前の、たった一度の敗戦で、自国の歴史や先祖も否定し、憎しみを燃やし、中国や韓国へ謝れと言うマスコミは正しいのだろうか。政治家、学者、文化人たちは、正気なのだろうか。日本のように国を挙げて、国の歴史やご先祖を否定する国が世界にあるのだろうかと、疑問が日に日に拡大していった。
こうした経緯については、以前ブログで何度も述べたので止めにするが、本論はここからだ。
そんな時に、チャンネル桜の動画に出会い、私は本当に嬉しかった。登場する人々の意見は、日本が正しいとする論調で占められ、自分の知らない事実が語られていた。私には、水島氏が立派な人物に見え、チャンネル桜にも信頼を置いた。
年金暮らしのため、年会費1,2000円の賛助会員にしかなれなかったが、すぐに登録をした。朝日新聞を糺す会の設立総会にも参加し、都知事選に立候補した、田母神氏の選挙事務所にもわずかながら寄付をした。
だが今の私は、心がチャンネル桜から離れてしまった。
日本を大切にしようと同じ運動をしていながら、水島氏がやった、田母神氏潰しの一連の行為に幻滅したからだ。
何があったのか、部外者だから知らないが、国の行く末を考える者同志というのなら、水島氏はもっと別の行動をすべきだった。
自分の番組を使い、何度も一方的に、田母神氏を非難するのは、対抗手段を持たない氏に対し、卑怯ではないのか。容疑者として逮捕され、警察に尋問されている田母神氏を弁護する気はないが、都知事選に担いだ相手を、こんな状況に追い込む氏の度量の無さを悲しむ。
自らを国士と任ずるのなら、短刀を一本間に置いて、二人だけで、命をがけの話をすれば済むことでないか。
今では、庶民の娯楽話としてしか語られないが、幕末の侍たちは、それこそ真剣勝負で、国の行く末を思い戦ってきた。元勲などと持て囃されているが、彼らの私生活は、意外な刹那主義で彩られてもいた。俗な言葉で言えば、酒と女と金が、明日をも知れぬ彼らの友でもあった。
水島氏も、そんな話を知らぬではあるまいに、選挙資金の何千万かが不明朗だなど、そんな些事をあげつらうなと言いたい。気に食わぬ事実があるのなら、田母神氏と二人で、決闘する気で議論すればよい。
ブログで私はたいてい理想を語るが、お花畑の人々のように、完全無欠の人間を求めていない。高潔で高邁なだけの人間は、恐らく政治家にはなれないだろうし、ついてくる人間もいない。
政治家としてあれほど無能だった鳩山氏が、民主党を立ち上げ、多数の政治家が一時期に集まったのは、氏が潤沢な資金を持っていたからだ。その中には、いかがわしい使い方をされた金もあったし、北朝鮮がらみの怪しい使途金があったのに、周りの誰も暴き立てなかった。
菅氏の、北朝鮮に絡む政治団体への多額の寄付も、結局はうやむやにされた。舛添都知事の別荘や、贅沢な外遊は、公金横領でないかと私には見えるが、それも政治家は攻撃しない。
こうして述べると私が、政治家の杜撰な金の使い方を是認しているように思われるだろうが、政治家は皆、金まみれの世界で生きている。
彼らの目の前では、常に何億という金が動き、彼らは常に金の誘惑と闘っている。良くも悪くも、それが政治の世界であり、そこにいても理想を忘れなかった政治家が、本物だったと後世で語られる。
一般庶民の常識と、政治家の常識は違うと、政界を知る人間なら誰も分かっている。そんな常識を持っているはずなのに、水島氏は、政界に不案内な田母神氏を、執拗に追い詰めている。ここに私は、氏の人間としての小ささを見る。田母神氏との争いを、チャンネル桜で報道する氏を見たときから、私の心は離れた。
初めてチャンネル桜を知ったとき、私の信頼度は89%だったが、今この番組への信頼度は30%しかない。素晴らしいの情報源という位置づけから、数ある情報源の一つ、というレベルになってしまった。
わざわざブログにする必要もないのだろうが、心の足跡として大切にしている「みみずの戯言」に、一つのけじめとして残すこととした。
「惑いつ、ためらいつ」、こうして今日もまた私の一日が終わる。
チャンネル桜水島氏の事は私も不快な思いで見ていました、共に手を携えた仲なれば
腹に納めて表に出さないことが武士の情け、現在の田母神氏の惨状を思えば尚更である。
裁判結果を見て判断すれば良いので他言は慎むが、男だったらペチャクチャ しゃべるな。
幕末の生きるか死ぬかの志士達の事を考えたら水島氏の言動は余りに軽くて小さい。
「武士道とは死ぬことと見つけたり 」 男の盃、飲み込む器量はないものか。
氏の言動は、「軽くて小さい」。もう一言加えるなら、「醜い」。
世間では、情報がなぜ漏らされるのか、なぜタイミング良くマスコミが飛びつくのか・・・・・。私たちの知らない政治家の闘争があるのかと推察いたしますが、それにしましても水島氏のやり方は、醜い。
こんな生き方はしたくないものですね。
たもさんは身をもって似非保守に気をつけろよと、後に続く者に教えてくれたと思う。
どうか、姿が見えるような名前にして頂きたく。
でも、これが都合の良いHMなら、それでも構いません。これからも、この猫庭へどうぞ。
あなたのプロフィール ?
プロフィールですよ、
やさしい佇まいの、チャイちゃんですよ、
あなたの猫庭から姿を見せてくれましたね。
迂闊にも、今 気がつきました、
言葉は要りません、万感の思いで見つめています。
私が気に入っているyoutube のサイトに“KAZUYA channel"があります。
以前から写真を載せたいと思いつつ、どうすれば良いのか分からず、聞くのも癪なので、今日まできました。
でも、編集画面をあれこれ触っていましたら、写真が入れられました。私は満足しておりますが、お笑いください。私はこんなにも機械音痴なのです。
気づいて頂き、嬉しいばかりです。
“KAZUYA channel"は、私も気に入っています。若い方なのに、良く勉強されていますし、聞いていて爽やかな気がいたします。
あれやこれや、私も色々なブログを読ませてて頂いております。気が向いたらコメントを入れたりしますが、それほど積極的ではありません。
貴方のブログは最近知りましたが、率直なご意見が、KAZUYAさんに似た爽やかさなので、時折お邪魔しております。
批判していたブログも今はなりをひそめていたり「休み」になったり・・・そういう私も氏名に○を付けたりして検索されにくいように注意しましたが、もう我慢の限界です。
西村眞悟氏の時事通信、最新版が届きましたので転載します。なんだか泣けてきそうです。
西村眞悟の時事通信
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田母神俊雄の故郷にて
平成28年5月14日(土)
五月十三日午前十時ころ、福島県の西郷村の林養魚場を訪れ、
次ぎに北国特有の落葉広葉樹林の心が明るくなる新緑におおわれた道を北上して
会津に入り、猪苗代湖を見下ろす磐梯山系の麓に建つホテルで行われた
「西村眞悟・田母神俊雄演説会」に出席して話をした。
演題は「支那 討つべし」、
主催は野崎醫院そして田母神俊雄を応援する会。
主催者の猪苗代の高士である野崎豊医師が作成した、
演説会を知らせる五月七日の新聞折り込みには、
「西村眞悟・田母神俊雄演説会のお知らせ」と大書された最後に、
「尚、田母神氏欠席の場合もあります。悪しからず。」
と書かれていた。
演説会の場所である猪苗代は郡山に接しており、
田母神俊雄の故郷である。
会場には、田母神俊雄と小学校が一緒の人、中学と高校が一緒の人、
そして、遠縁に当たる人も来られていた。
田母神俊雄が卒業した小学校は、田母神小学校である。
田母神俊雄と私は、昨年の五月には二人でこの場で演説した。
しかし、本年、
田母神俊雄は、この郷里で行われる演説会に出席できなかった。
東日本大震災の年以来、毎年一、二度は会津そして猪苗代を訪れている。
この会津の地に来ていつも思うのは、
学生時代に毎日のように散歩した京都の吉田山の南に連なる黒谷の会津藩士の墓地である。
幕末に京都守護職になった会津藩主松平容保に従って会津から遙か京都に赴き、
禁門の変で御所を守って戦死してあの黒谷に眠る会津藩士達は、
きっと、猪苗代湖の畔から磐梯山を眺めて郷里に別れを告げたのだろうと思うのだ。
会津の方々は、今も長州には厳しい。
禁門の変で、長州人は、こともあろうに天皇がおられる御所に大砲を撃ち込んだ。
戊辰の役で長州の奇兵隊は、戦死した会津藩士の遺体の埋葬を禁止して
暑い八月から翌年に至るまで腐敗した遺体を晒しものにした。
会津の方々は、このようなことができる長州人は、日本人ではない、と言うのである。
さて、私は、田母神俊雄の分まで一時間半、夜の八時近くまで、
日本は支那のもたらす国難を如何にして克服するのかを語った。
イギリスとフランスが、平和ボケのなかで贅沢を楽しんでいるときに、
イギリスのチャーチルとフランスのドゴールは、共にナチスドイツの脅威を語り、
チャーチルは軍備増強を主張し、
ドゴールは機械化部隊の創設を主張した。
そして、チャーチルは、戦争屋と非難されて落選し、
ドゴールは昇級を止められてフランス陸軍から追放同然となった。
しかし、その後、ナチスドイツによる真の危機が襲ってきたときに、
祖国を救ったのはチャーチルとドゴールであった。
危機の時に祖国を担う者は、
その危機の前の時代には苦難のなかを生きねばならない。
今、我が国において、その苦難に耐えている者は、
田母神俊雄ではないか。
祖国のために、チャーチルやドゴールと、同じ苦難を経験してきているのは
田母神俊雄と西村眞悟である。
我が国を取り巻く内外の情勢は、
百十年前の帝政ロシアの脅威が迫った時よりも厳しい。
百十年前には、我が国内に反日の敵はいなかった。
しかし、現在は、我が国内で支那の工作活動が成功し、
国内に、
我が国が無防備であること、
我が国が戦うことができない状態にあること、
さらに、
我が国がもっと弱体化すること、
我が国が支那の属国になること、
を推進する平和主義を装う政治勢力が存在する。
しかし、この我が国内の平和主義は、
支那の工作活動の成果であり、
この平和主義が支那との戦争を生み出し、
我が国をその属国に陥れる。
これ、支那による「兵は詭道(騙し)なり」
すなわち孫子の兵法通りの術策ではないか。
田母神俊雄逮捕も、
この術策の流れと無関係ではなく、
国内の「平和主義者」と支那はほくそ笑んでいる。
選挙が終わってから二年以上たってからの
選挙違反による逮捕・起訴とは少し不自然ではないか。
選挙違反事例は、選挙が終わって数ヶ月以内に行うのが通常であろう。
公訴権を独占する検察の公訴権行使に濫用はないか否か、
国民こそ、これを注視しなければならない。
また、地元の田母神俊雄を応援する会の代表者が、
毎日、田母神俊雄と接見している弁護士からの説明を伝えた。
田母神俊雄は、元気である、と。
否認しているので保釈はない。
弁護士との接見以外は許されず、家族や身内との面会は許されていない。
田母神俊雄に逃亡の恐れも罪証隠滅の恐れもない。
それ故、保釈がなされないのは不合理であると思う。
しかし、
田母神俊雄は元気である、との報告は嬉しかった。
彼は、知らないのもは知らないと、元気に否認している。
田母神俊雄、天晴れであると思う。
話の最後に私は言った。
自分は時々、人を評価するとき、
「この男と共に戦場に行けるか」
という基準で観る。
この基準で判断すると
田母神俊雄とは喜んで戦場に赴くことができる。
田母神氏の逮捕には、背後に嫌な匂いのするものが感じられますね。M氏の直接行動の背後に、さらにあるもの・・・、それをベッラさんは感じておられるのだと推察いたします。おそらく私も、同じことを考えております。そうでなければ、選挙後二年も経って検察が動くなど、常識では考えられないことです。
非常識なことのできる人が後ろの方にいるからなのでしょう。国際情勢の複雑さがありますので、無知な私は暫く事態の推移を眺めてみようと思います。と言いましても、一国民でしかない自分には、そうすることしかできないのですが・・・・・。
でもこれは本気です。ご自愛専一に。