【 1 】日本国憲法の制定過程の概観
第一段階 「マッカーサー草案」の提示まで
第二段階 「マッカーサー草案」提示後~日本国憲法の制定まで
第三段階 日本国憲法制定
第一段階は下記5項目に分かれていますので、順番に紹介します。これはそのまま戦後史の復習にもなります。
1. ポツダム宣言の受諾 2. 松本委員会の調査 3. マッカーサー三原則 4.マッカーサー草案の提示
〈 1. ポツダム宣言の受諾 〉
・昭和20 ( 1945 ) 年 8月14日に受諾されたポツダム宣言は、日本の降伏の条件を定めたもので、さまざまな条項を含んでいたが、憲法制定との関係で問題となった のは10項と12項であった。
・深刻な問題となったのは10項で、日本の「国体」が護持されるかどうかであった。
・12項は、国民主権の原理を採用することを要求している、と連合国軍総司令部は解していたが、日本政府は、ポツダム宣言は国民主権主義の採用を必ずしも要求するものではなく、国体は護持できると考えてい た。
・したがってまた、ポツダム宣言には必ずしも明治憲法の改正の要求は含まれておらず、明治憲法を改正しなくとも、運用によって宣言の趣旨に沿う新しい政府をつくることは可能であると考えていた。
政府はここで参考情報として、ポツダム宣言の2項目を紹介しています。( 原文は仮名書きですが、「ねこ庭」でひらがなに書き換えました。)
10 項・・・日本国政府は、日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一 切の障碍を除去すべし。言論、宗教及思想の自由並に、基本的人権の尊重は確立せらるべし。
12 項・・・前記諸目的が達成せられ、且日本国国民の自由に表明せる意思に従い、平和的傾向 を有し且責任ある政府が樹立せられたるに於ては、連合国の占領軍は直に日本国より撤収せらるべし
さらに「国体」についても丁寧な説明をしていますが、ここまで平易で明確な説明を今まで読んだことがないので、勉強になりました。
・ここで国体とは「天皇に主権が存することを根本原理とする国家体制」及び「天皇が 統治権を総攬するという国家体制」を指す。
〈 2. 松本委員会の調査 〉
・昭和20 ( 1945 ) 年10月9日、東久邇宮内閣に代わって幣原喜重郎内閣が誕生した。
・幣原首相は、10 月11日総司令部を訪問した際に、マッカーサー最高司令官か ら明治憲法を自由主義化する必要がある旨の示唆を受けた。
・同月25日、国務大 臣松本烝治を長とする憲法問題調査委員会 ( 松本委員会 ) を発足させた。
・松本国務大臣は、以下の四原則2に基づいて改正作業を進めた。
政府はここでも参考情報として、「松本四原則」を紹介しています。
ア. 天皇が統治権を総攬せられるという大原則には変更を加えない。
イ. 議会の議決を要する事項を拡充し、天皇の大権事項を削減する。
ウ. 国務大臣の責任を国務の全般にわたるものたらしめるとともに、国務大臣は議 会に対して責任を負うものとする。
エ. 国民の権利・自由の保障を強化するとともに、その侵害に対する救済方法を完全なものとする。
「松本四原則」と連合国軍総司令部 ( GHQ ) の間には大きな認識の差があり、後日問題になりますが、ここではサラッと説明しています。
・上記アの原則は、統治権の総攬者としての天皇の地位を温存しようとするものであり、「国体」護持の基本的立場がここに現れている。
・この四原則に基 づいて松本案が起草され、「憲法改正要綱」として昭和21年2月8日に総司令部に提出された。
〈 3. マッカーサー三原則 〉
・昭和21 ( 1946 ) 年2月1日、松本案3が正式発表前に毎日新聞にスクープされ、それ によって松本案の概要を知った総司令部は、その保守的な内容に驚き、総司令部の側で独自の憲法草案を作成することにした。
・マッカーサーは2月3日、 ホイットニー民政局長に対し草案の中に次の三つの原則を入れるよう命じた。
・【参考】マッカーサー三原則
ア. 天皇は、国家の元首の地位にある。皇位の継承は、世襲である。天皇の義務および権能は、憲法に基づき行使され、憲法の定めるところにより、 人民の基本的意思に対し責任を負う。
イ. 国家の主権的権利としての戦争を廃棄する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、および自己の安全を保持するための手段としてのそれをも放棄する。 日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想にゆだねる。
いかなる日本陸海空軍も決して許されないし、いかなる交戦者の権利も日本軍には決して与えられない。
ウ. 日本の封建制度は、廃止される。 皇族を除き華族の権利は、現在生存する者一代以上に及ばない。華族の授与は、爾後どのような国民的または公民的な政治権力を含むものではない。予算の型は、英国制度にならうこと。
・ホイットニーは翌 4 日、ケーディス民政局次長等民政局員を招集し、マッ カーサー三原則を伝え、総司令部案作成に取りかかった。
この辺りの状況については、戦後史に興味のある方は知っていると思いますが、復習のつもりで読んでいただければと思います。(「マッカーサー三原則」の具体的な内容を初めて知り、ここまで踏み込んでいたことに驚きました。)
スペースがなくなりましたので、続きは次回にします。