ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

「緊急事態宣言」発令 - 9 ( 二階氏の歩いた道 )

2020-04-12 17:53:17 | 徒然の記

 「今後は観光部門の機能強化、関係する行政分野への積極的な関与など、」「観光立国に向けて、推進体制を増強する必要がある。」

 もしかすると氏の権限は、この時すでに、小泉総理を超えていたのでしょうか。寄稿文を読んでも、それでも二階氏に任さざるを得なかったほど、「観光立国」は重要な政策だったのでしょうか。

 「組織・予算の増強とともに、具体的には、中央・地方機関の人員増強、」「観光関連税(免税店振興税、ホテル税、カジノ税など)を、財源とした特別会計の創設や、」「それを含めた予算の増強、観光関連産業(宿泊施設、旅行業者、土産物店など)の振興、」「WTO、APEC観光作業部会、OECD観光委員会、国際協力への対応強化、」「地方自治体や、NPOとの連携強化などが、考えられる。」
 
 氏の意見は国土交通省だけでなく、関係する他省にも及びます。政治家の介入に抵抗する官僚たちも、予算が増えたり組織が大きくなったりする分には、無言のエールを送ったのでしょうか。
 
 「観光行政の体制強化は、日本の観光立国に向けた、」「積極的な取り組み姿勢を、海外に示すとともに、」「国内に対しても、政府の意気込みを示す上で、」「非常に有効である。」『観光庁長官』や『観光大臣』は、」「そのシンボル的な存在となる。」
 
 「世界的にも、フランス、イタリア、オーストラリア、韓国など、」「観光省の設置国は多く、日本にも相応の対応が必要だ。」「最終的には『観光省』設置が望ましい。」

 ここまで知りますと、二階俊博氏とはどういう人物なのか。・・・当然知りたくなります。

  ・「昭和14年、和歌山県御坊市生まれ、81才」「中央大学法学部卒」「和歌山県議会議員」

  ・「自民党衆議院議員 12期」「自民党幹事長(第48代)」「志帥会 ( しすい) 会長(第5代)」

  ・「所属政党  :  自民党  → 新生党 → 新進党 → 自由党 → 保守党 →  新保守党 → 自民党」

  ・ 「大臣履歴」  ・6、9、1 0代 経済産業大臣 ( 小泉、福田、麻生内閣 )

            ・75、76代 運輸大臣 ( 小渕内閣 )

            ・69、70代 北海道開発庁長官 ( 森内閣 )

 次に、自民党内の現在の派閥を一覧で示しますと、二階派は名門派閥「宏池会」に並ぶ第4位で、党内での発言力は十分にあります。というより、無視できない勢力です。
 
   1.   細田派   ( 清和政策研究会 )   97人
   2.   麻生派   ( 志公会 )         56人
   3.   竹下派   ( 平成研究会 )       54人
   4.   二階派  ( 志帥会 )          47人
   5.   岸田派  ( 宏池会 )          46人
   6.   石破派  ( 水月会 )          19人
   7.   石原派  ( 近未来政治研究会 )      11人
   8.  無派閥                                      67人   合計 397人
 
 気になったのは所属政党の変遷です。政党を出たり入ったりする政治家には、ろくな人物がいないか、あるいは志を絶たれ、失意の境遇になるなどしています。ネットの情報から得た、氏の党歴を紹介します。
 
 1. 平成5年、宮澤内閣不信任決議に賛成し、自民党を離党。小沢氏と共に、新生党結成に参加
 2. 細川内閣で、運輸政務次官に就任
 3. 細川・羽田政権後、新進党に参加。小沢氏の側近として、氏の党首選出に尽力
 4. 平成8年、第41回衆議院議員選挙で、自民党候補者を破り、5連続当選を果たす
 5. 平成10年、新進党分裂後、小沢側近として自由党結党に参加
 6. 自由党国対委員長として、自自連立政権樹立に動き、平成11年の小渕内閣で、運輸大臣兼北海道開発庁長官として、初入閣
 7. 平成12年4月、連立解消を主張する小沢氏と袂を分かち、野田毅、扇千景ら連立継続派と共に、保守党を結成
 8.  第一次森内閣で、運輸大臣兼北海道開発庁長官に留任
 9. 平成14年保守党の後継政党保守新党でも、幹事長に就任
  10. 平成15年第43回衆議院議員選挙で、保守新党は惨敗し、自民党に吸収された

 小沢氏と初めは行動を共にしますが、見切りをつけて別れるなど、保守政治家としての節操もすれすれのところを歩いています。

 しかし次の情報を得て、確信しました。「これはもう、獅子身中の虫」「自民党に巣食う害虫の親玉」・・・・。以降は、次回といたします。

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「緊急事態宣言」発令 - 8 ( 二階氏の自慢話 )

2020-04-12 07:51:00 | 徒然の記
 雑誌『選択』に寄稿した、二階氏の叙述の紹介を続けます。
 
  「2000 ( 平成12 ) 年に5000人、」「2002( 平成14 ) 年に、一万人規模の、観光交流使節団を中国に派遣し、」「日中交流を深めた。」
 
 「中国国家旅游局長(観光大臣)は、中国から日本への観光客増加のため、」「過去6代にわたる運輸大臣に、観光ビザを認めるよう熱心に働きかけておられ、」「私が大臣のときに、ようやく団体観光ビザが発給されることになった。」
 
 人口が多く、経済力の増している中国へ傾斜し、観光客の獲得に努める氏の姿が述べられています。
 
 「自公保連立政権では、山﨑拓(自民)、冬柴鐵三(公明)と、」「私(保守)の三党幹事長と、中国国家旅游局長が協力し、」「対象地域は今年9月15日までに、4市5省に拡大、」「対象人口3.7億人と、大きな市場に成長した。」
 
 自公保連立政権とは、平成11年の小渕内閣の時です。自民党、公明党、自由党の3党による連立政権でした。当時の氏は、政党の壊し屋と言われる小沢一郎氏が率いる自由党にいて、幹事長だったことが分かります。
 
 小泉政権の成立は平成13年ですから、二階氏は小渕内閣時代から中国と観光問題で深いつながりを持っていたことになります。
 
 「また韓国とは、運輸大臣当時に、朴智元文化観光部長官らと会談を重ね、」「平和産業である観光の発展のため、両国が未来志向で取り組む、と約束するなど、」「国際観光の振興に努めてきた。」
 
 氏が運輸大臣だったのは、第二次小渕内閣の時ですが、中国だけでなく、観光行政を通じて韓国とも親韓路線を走っていたことになります。平成15年12月の雑誌『選択』への寄稿 は、小泉総理への支援と説明されていますが、内容はむしろ、小渕内閣時代からの自己宣伝です。
 
 小泉総理でなく、二階氏が「観光立国政策」の推進者で、総理は単に氏の意見を追認しただけです。顕示欲の強い氏らしい自慢話ですが、経緯が分かりますのでそのまま読みました。

 「現在は、自民党観光特別委員会委員長として、中国の団体観光ビザ発給対象地域拡大や、」「国際修学旅行の推進に取り組んでいる。」「所属する政策グループ〈新しい波〉 では、シンクタンク 〈日本観光戦略研究所 〉を設立、」「各界の第一人者を招いた、百人規模の定期的な勉強会などを重ねている。」

 このところ、修学旅行の行き先を中国や韓国にする、高等学校や中学校が増えました。南京事件記念館を見学したり、慰安婦たちの話を聞いたりしています。反日の嘘を何のために聞かせるのか、日教組がいまだに生徒を狂わせているのかと、ずっと疑問を抱いてきました。しかしその原因が、二階氏の活動の中にあったと分かりました。
 
 日本への観光客を増やすためなら、南京事件でも慰安問題でも、中国・韓国の言いなりだったということになります。
 
 氏の寄稿文はまだ半分ですが、ブログのスペースがオーバーしましたので、ここで一区切りとし、次回を急ぎます。
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