全共闘左翼崩れと呼ばれる人たちが中心となり、沖縄の辺野古で「基地反対運動」をしていると聞きます。
誰が資金を出しているのか知りませんが、韓国人の活動家まで参加し、地元住民に迷惑がられているのに、
「平和を守れ」
「人権を守れ」と、海岸の片隅で叫んでいます。
著者の篠原氏はその仲間であり、今もその仲間なのか、日本を批判し韓国を愛するな日本人です。
なぜ欧米でなく、韓国とシンガポールに憧れたのか、氏は自分の気持ちを「マイナー志向」と呼んでいます。
・今から30年前の時代に、なぜ「マイナー思考」になったかを、説明しようとすれば、私たちの世代の、時代背景について説明しなければなりません。
書き出しの、「はじめに」の部分に書かれている文章です。韓国人の妻の話と、どのようにつながっていくのか興味が湧きます。
・私たち「 団塊の世代 」「 全共闘世代 」 と呼ばれる、戦後のベビーブーマーたちも、もう50に手が届くところまで来てしまいました。小さい頃から競争を強いられた私たちは、今また、未曾有の未知の世界へ踏み込もうとしています。
本が出版されたのは、平成11年の小渕内閣の時です。氏はこの時代を、「未曾有の時代に踏み込もうとしている」と言っています。具体的に何を指しているのか。別途調べてみました。
・1月 EUの単一通貨ユーロが、フランス、ドイツなど11ヶ国で導入
・1月 自自連立により、小渕内閣が発足。親中の野中広務氏が幹事長就任
・ 3 月 日銀がゼロ金利政策実施
・ 4 月 石原慎太郎氏、都知事に当選
・ 6 月 ネルソン・マンデラが引退し、後任にムベキ大統領が就任
・ 12 月 エリツィン大統領が辞任、大統領代行にプーチン氏就任
・ 12 月 パナマ運河 アメリカからパナマに返還
どれが未曾有のことなのか、飾り文句として使っただけらしく、次は自分の思い出話になっています。
・青春は、もうとっくに終わったはずなのに、いまだに、青春時代の気分でいられるのも、この世代にの特徴かもしれません。50にしてなお、社会改革への熱い思いを胸に秘めておられるのは、私の場合、小学校の頃の担任の先生の、影響がありました。
高々50代で、氏は何を言っているのでしょう。70になった今も、反日・左翼への怒りを燃やし、子や孫のため日本を取り戻そうとしている私に、「団塊の世代」とか「全共闘世代」だからとは、青春の説明になりません。
私は常に心は万年青年で、青春時代の気分です。と言うより、「ねこ庭」を訪問される方々は私より年配でも、万年青年気分の人ばかりです。こんなことはありふれた話で、なんの自慢にもなりません。
・私は、東京のサラリーマンの家庭で育ちましたから、特別に変わった体験をした訳ではありません。しかし、5年生の時でした。60年安保闘争というのがあり、東大生の樺美智子さんが、亡くなりました。
・多分その、翌日だったと思います。担任の先生 ( 女性 ) がホームルームで、樺さんを、追悼しようと言いました。
・そして10月、社会党委員長の浅沼氏が、右翼の青年に刺されて死亡した時、再びクラス討論がもたれました。下町から転校してきた子が、自分は浅沼さんの家を知っている、とても質素で立派な人だったと発言していたのを、なぜか今でも覚えています。
・当時は全く分からなかったのですが、これが戦後の民主主義教育だったのです。多分あの日から、自分も大学に入ったら学生運動をやるのだと、心に決めていたのだと思います。それが正義だと信じたからで、マルクスやレーニンの本を、読んだからではありません。
小学校の5年生で正義が判断できたというのは、本人の早とちりではなかったのでしょうか。むしろこの女性教師の、扇動に問題があります。
私は当時九州にいて、高校二年生の多感な時期でしたから、樺美智子さんの死や浅沼委員長の暗殺が記憶に残っています。新聞が岸首相を悪の政治家として報道し、社会党の政治家を正義の人として称賛していましたから、その影響は私も受けていました。
東京から来た大学生が、校門の前で資金カンパをしていたので、持っていた財布のお金を、小銭も含め寄付しましたが、氏のように小学校の5年生で正義を判断し、大学で学生運動をすると、そこまでの気持ちありませんでした。
良い機会なので、次回は氏と私の比較をしたいと思います。詰まらない内容になりそうですから、息子たち以外の方は、この表題が続く限りしばらくお休みください。