テレビも新聞も、「武漢コロナ」の報道ばかりです。誰が悪い、あれがダメだ、これでは医療が崩壊すると、批判と泣き言と苦情が、飽きることなく繰り返されています。
という私も、批判と苦言のブログを書いていますから、偉そうなことは言えません。
「ねこ庭」を訪問される方々の中に、千葉県民がおられるのかどうか知りませんが、本日は、千葉日報への感謝をブログに綴ります。7面の「読者文芸欄」から、短歌、俳句、川柳、詩を読み、千葉県民の思いを教えてもらいました。
まず俳句です。
定年の無き神々の里神楽 秋葉 正英
これは、選者の清水怜選氏の言葉からして、味わいがあります。
「定年の無きは、里神楽を舞っている、男衆のことなのであろうか。」「或いは、その奉納している、神々自身に定年というものが無いのか。」「読みが多層に存在し、俳諧みのある句となっていて、興味深い。」「定年という、一つの人生の節目が、神々には無いと、」「言い切った視点が、愉快である。」
まさにその通りで、「武漢コロナ」で沈んだ現在だからこそ、作者の視点の新鮮さが、私たちの気持ちを明るくします。日本人はこのようにして、昔から神々に祈り、生きてきたではないかと、静かな声が聞こえて参ります。
窓を拭く窓の空拭く春立つ日 泉水 勝
この句もまた、思いがけない視点から、なんでも無い窓拭きが、感動の春となる瞬間を、教えてくれます。どのような時、どのような場所にいても、人はめげないのだと、教えてもらっているような気がします。
点滴の台を杖にし春の試歩 江波戸 三好
そうか、こういう人もいるのだと、文句ばかり言っている自分の狭量さを、反省させられます。手術の後で、私もこのようにして病院の廊下を歩き、窓の外の草木の青さを、しみじみと眺めた日を思い出しました。生きているだけでも、再び歩けるようになったことだけでも、有り難かった日のことです。
父母がいて兄もいた頃沈丁花 旭 登美子
きっとこの方は年配の人で、遥か昔ご両親や兄上様と眺めた庭の沈丁花を、懐かしんでおられるのでしょう。自分の老いと、今は亡き家族と、でもそこには、泣き言や恨み言はなく、静かなひとときが語られ、私の心に反響します。いろいろあったけど、まあ良かったね。そのうち私も、行きますよと、そんな覚悟も伝わります。
まだ沢山ありますが、次へ進み「川柳」の部です。笑ってしまいました。
変ですか猫の名前がポチですが 山口 義雄
そりゃあ、変ですよ。そんな名前をつけるなんて、山口さん、貴方からして、変ですよ。近所の子供たちが、大笑いしていますよ。安心しました・・私より変な人が、同じ千葉に住んでいるとは。今度犬を飼われるとき、間違っても、「コロナ」などとつけてはいけませんよ。
生きてると教えてくれる爪の伸び 岡田 茂
そういうことですね。私の爪も、そろそろのびましたから、生きていることに感謝しながら、後で切りましょう。なんでも無い行為が、日常語で読まれているのに、こんなにも新鮮です。その人独自の視点、なのでしょう。才能と言ってもいいのでしょうか。
終活を済ませて思うまだ元気 旭 登美子
これはもう、現在の私の心境です。いつ死んでもいいように、身辺整理をしていますが、まだまだ元気、終活はいつのことやら。最近は、緊張感が薄れ、一休みしています。大体このブログからして、終活の一つですが、こんなに元気でありますと、息子たちが読んでくれるのは、いつのことになるのやら、やけっぱちな気持ちになる時があります。この方は、「沈丁花」の句と同じ作者です。やっぱり、閉じこもりでなく、元気な老人の仲間でした。
恋人も離れてデート二メートル 小川 一夫
「武漢コロナ」の今ならではの、川柳です。作者は青春真っ盛りの若者なのか。それとも、そんな若者を眺めている、老人なのか。なるほど、そうか、老人であるに違いない。デートに夢中で、幸せいっぱいの若者に、こんな句を詠める余裕のあるはずがない。
滅亡の明日であっても出社する 安室 波平
これはもう、今のご時世、千葉県民には迷惑な人物です。政府と千葉県知事が、「緊急事態宣言」を出し、三密防止を呼びかけているのを、なんと受け止めているのでしょう。貴方のような人間がいるから、いつまで経っても、「武漢コロナ」が収束しない・・・
とは言いながら、もし私が、働き盛りの会社員で、三人の息子たちが幼かったとしたら、同じことをしたに違いありません。
国鉄がストをした時は、4時間をかけて歩き、午後になって会社に着いたと、あの頃は、そんな企業戦士たちが溢れていました。そんな人間が沢山いたから、不況の波を乗り越えられました。だから、波平さんのような人間は、必要なのです。こんな元気者が全国にいるから、日本が再生するのです。
しかし波平殿、もうしばらく、自宅待機をしてください。「武漢コロナ」ばかりは、厄介な奴です。もうしばらく、政府に協力し、元気を蓄えておいてください。
という具合に千葉日報社が、県民の方の素晴らしい作品を私の元へ届けてくれました。ごく一部を紹介しましたので、きっと物足りない方もおられることでしょう。そういう方は、千葉日報を購読してください。
共同通信社の記事に、騙されないようにさえすれば、わが郷土紙「千葉日報」そのものは立派な新聞です。
その証拠が本日のブログです。私は、感謝しております。