ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

日本の知識人へ - 5 (氏が評価する、日本の知識人二人 )

2019-12-27 19:51:38 | 徒然の記
 本日は前回の続きで、軍部と協力した官僚の戦争責任についての意見です。
 
 「今日では軍部が全ての責を負っているが、エリート官僚たちにも、同じように責任があった満州への軍事介入から、広島空爆に至るまでの、15年にわたる国内社会体制は、単なる軍事事情では決してなかった。」
 
 「官僚は、権力主義的計画に中心的役割を果たした。」「目的推進のため、国民大衆に嘘をついたことについては、軍部より官僚の責任の方が大きかった。」
 
 日本の悪業と失政は、何にでも官僚に責任があると言うウォルフレン式理論の展開です。まずもって日本の官僚の範囲を、あそこまで広げれば、政府の指導者の中に官僚でない人間を探す方が難しくなります、
 
 「広島の原爆」についてはわざわざ「広島空爆」と表現し、日本の官僚の責任を問うほどにはアメリカの無差別殺戮に力を入れて説明しません。これで日本を愛すると公言するのですから、氏の神経を疑います。
 
 「アメリカが日本を占領し、経済官僚が台頭する以前は、」「内務省が、司法省と文部省を重要な協力者として、社会統制を推進した神経中枢だったのであり、軍部は、ごく限られた程度においてのみ、監督的機能を保持していたに過ぎない。」
 
 氏の説明を読みますと、戦時中の政治には軍部の影響力がなく、内務省の官僚が主導権を持っていたように聞こえます。確かに戦前の内務省は「官庁の中の官庁」、「官僚組織の総本山」 と呼ばれる最有力官庁でした。
 
 敗戦後GHQに解体されましたが、総務省・警察庁・国土交通省・厚生労働省を指し、今でも「旧内務省系官庁」と呼ぶ者がいます。だからと言って、内務省が軍部より、大きな力を持っていたと言うのは言い過ぎです。内務省が軍部に協力したのは間違いないとしても、主導権を持っていたのは軍部です。牽強付会をここまでやると、氏の良識に疑問符がつきます。
 
 「戦後の官僚にはこの遺産があること、そしてその権力がコントロールできなくなる可能性が、引き続き存在することについて、判断の過ちを犯してはならない。」「1945 ( 昭和20 ) 年以前の官僚制と、1945 ( 昭和20 ) 年以後の官僚制の間には、制度的断絶がなかった事実を、十分に認識する必要がある。」
 
 「GHQの致命的な失政は、官僚制を手付かずのまま残したことだった。」「役人たちが経験したのは、天皇の官僚から国家の公務員へとレッテルの変更である。」「官僚たちは依然として、社会に対する最大限のコントロールを維持したいと考えている。」
 
 歴史的に見れば、官僚は明治時代の国策だった「文明開化」と「富国強兵」を、政治家と共に押し進め、欧米列強の侵略から国を守り、第二次大戦後は焦土となった国を再建し、ついには日本を、世界第二の経済大国にまで発展させた指導者たちです。バブル崩壊前には、政官財で結託し、国民不在の「金権政治」を行い、日本をダメにしにしたのも彼らです。
 
 官僚組織に対する私の思いは、深い信頼と強い不信感、尊敬と憎しみ、賞賛と侮蔑など、相矛盾するものがせめぎあう複雑な気持ちで、ひと言では尽くせません。それだけに悪意を持つ氏の、単純化した官僚批判論に嫌悪感が生じます。日本人は何も知らないから、自分が教えてやると言う氏の姿勢には、一言言わずにおれなくなります。
 
 「貴方に指摘されるまでもなく、日本人は考えている。」「日本ついて余計なことを言わず、貴方は自分の国で蔓延している覚醒剤の悪習の心配をしなさい。」
 
 日本の知識人と氏が語る人物の中に、森永卓郎氏と白井聡氏がいます。
森永氏は憲法改正に反対する人物で、もしも他国が攻めてきたら戦争をせず、何もかも捨て一人で逃げると、自己中心的な意見を述べる経済評論家です。愛国心も家族への愛もない氏は、私から見れば人間の屑ですが、マスコミに重宝されテレビや新聞に登場しています。
 
 白井氏は「永続敗戦」という新造語を考え出し、新進気鋭の政治学者ともてはやされています。6年前に朝日新聞が、氏の意見を大きく取り上げていました。白井氏の意見も、ウォルフレン氏に劣らず独りよがりの論理ですから、こう言うところで共感したのかもしれません。
 
 今回はスペースの都合でここまでですが、次回は臼井氏の「永続敗戦」論を紹介します。ウォルフレン氏との共通点が分かります。
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日本の知識人へ - 4 ( 我田引水の反日ウォルフレン氏 )

2019-12-27 01:00:56 | 徒然の記
 本日は説明なしに、ウォルフレン氏の意見を紹介します。
 
 「我々は官僚のことを語る場合、一般に呼ばれているよりもっと大きなカテゴリー、つまりたいていの他の国では、明確に官僚ではないが、日本では、政府の役人とほとんど区別できない、権力保持者のグループまで含めて考えなくてはならない。」「経団連とか日経連といった日本の経済団体で活動する、有力な人々も、私の考えでは官僚である。」
 
 「こういう人々は、利益を稼ぎ出すことでなく、統制することを仕事としており、これを企業家というのは確かに間違いだ。」「自民党議員のうち、最大の勢力を誇る3分の1は、官僚出身者からなっている。」「彼らは、官僚のように考え行動しており、概して言えば、官僚的な関心を捨て去っていない。」「従って彼らもまた、引き続き官僚という名称を与えるのが、適切であると私には思われる。」
 
 官僚の中に、経団連と日経連の企業人も加えると言いますが、どうして日本の場合だけ、こんな乱暴なことをするのでしょう。企業人が似たようなことをするからと言っても、官僚とは言いません。官僚出身の議員がいても、政治家と官僚は区別するのが、正しい分類です。自民党の議員の3分の1が官僚出身者というのは、日本の政治が官僚に大きく影響されていると言う一つの事実ですから、事実だけを語れば良いのです。
 
 日本の官僚が諸外国に比べ、格段の権力を持つと言う自説を有利にするため、他国の場合なら除外する議員や企業人を加えるのは、強引な論理です。我田引水の中国や韓国政府と同じレベルですが、そんな無理をするより、日本の歴代総理の何人が官僚だったかを説明すれば、その人数の多さの方が読者にはインパクトがあります。
 
 官僚の無責任体制が語りたければ、真珠湾攻撃前夜の日本大使館の状況と、国益と歴史を汚した大失態でありながら、その大事が不問にされたままの事実を挙げれば良いのです。
 
 私は日本の官僚組織について、敬意と賞賛を惜しまない一方で、氏以上の怒りを抱いている事実が、いくつかあります。
 
 私は定年退職をした年金生活者ですが、日本の歴史や政治などをブログにしています。試行錯誤の面白くないテーマばかりですが、真面目に読んでいる方々がいます。つまり日本には、官僚や政治家について、氏に負けず考えている国民がいくらでもいると言うことになります。こんな事実さえ研究せず、氏は日本人の知識レベルが低いとか、個人が確立されていないとかマッカーサーみたいなことを言います。
 
 しかし我慢して、氏の意見を紹介します。
 
 「政府ばかりか、実業界のトップにも存在する日本の官僚たちは、世の中の細かい仕組みを決定する巨大な権力を保持している。」「日本の官僚が持つ権力のうち相当程度は、公式な法規にもとづいていない。」
 
 「公式法規なら一般市民も、民主的手段で訴えたり、変更したりできるのである。」「こうした官僚権力の多くは、官僚機構のライバル部門以外は、いかなる組織や人物からもチェックされていない。」
 
 氏が述べているのは、官僚の権力行使が法律でなく、役人が出す通達で行われている慣行のことです。誰にもチエックされないと言うのは、「国益よりも省益第一」とする官僚組織の欠点の指摘です。この点に関する氏の批判は、私の考えと一致しています。
 
 「日本における官僚権力は、理論上は国会議員によるコントロール下に置かれているが、実際はそうでない。」「官僚機構のブレーキ役になっているのは、他省庁の官僚グループである。彼らは互いに絶え間なく争い、自分たちの縄張りを守ることに汲々としている。」
 
 「従って、他省庁同士が争う理由を認めない特定分野では、官僚の権限は野放しになりがちだ。」「おしまいにもう一つ分析を申し上げれば、官僚は自らを、コントロールできない。」「知識人が、官僚監視の姿勢を緩めてならないのはこのためである。」
 
 ここまでは正論と思いますが、次から少しずつ左旋回します。
 
 「日本の官僚の野放しの強大な権力を、それほど心配する理由は何かと訝る向きがあるかもしれない。」「日本及び外国の多くの人々が、忘れてしまっているように思われるのは、超国家主義をもたらし、ついには1945 ( 昭和20 ) 年の敗戦を導いた政策と運動が、軍部と官僚の協力により鼓吹され、はぐくみ育てられたものであった事実である。」
 
 ここからは氏の独断と、乏しい日本史の知識で分析した偏見の「真実」です。もっと簡単な言葉で言えば、「東京裁判」を正しいとする戦勝国側に立ったオランダ人の意見です。日本人である私には不愉快な意見ですが、反日左翼のマスコミ界からは歓迎される主張です。
 
 今回は、スペースの都合でここまでとし、氏の高説の紹介は次回とします。
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