ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

世界が日本を認める日 -3 ( 意外な、氏の提案 )

2019-12-16 21:46:13 | 徒然の記
 ウォルフレン氏の書評の3回目になりますが、肝心の書評には入っていません。前回まで過去のおさらいでしたので、今日からが始まりです。
 
 前置きが長くなったついでに、書名に関する私の意見を述べます。『世界が日本を認める日』と、氏は付けていますが、私なら次のいずれかにします。
 
   『日本が再び独立する日』   『日本が普通の国となる日』
 
 氏が応援してくれる気持ちは有り難いとしても、世界に認められるより、以前のような独立国となり、国を守る軍を持つ「普通の国」になりたいと私は願っています。昭和天皇は私たちに、こんな言葉を残しておられます。
 
 「国が独立するには、国を守る軍隊が必要である。」
 
 陛下は、独走する軍を嫌悪されましたが、国防のための軍は否定されていません。神がかりな保守と狂信的な左翼が愚かなのは、何れもが陛下のお言葉を理解していないところです。国の平和と独立のためには、右でも左でも過激な主張は不要です。役に立たないだけでなく、有害なのです。
 
 戦後74年間の米国従属期間に、私たち日本人が学んだことがあるとすれば、軍を持つことの重要性と危険性ではなかったかと思います。国を守る軍は、運用次第で国を滅亡させる組織にもなるという事実です。
 
 氏の著書をあと少しで読み終えますが、息子たちに伝えておきたいことがあります。多くの点で同意していますが、私は氏と異なった意見を持っていますので。書評に入る前にそこを整理します。
 
 《 ウォルフレン氏の考え 》
 
  ・  アメリカは、世界を武力で支配しようとする危険な国である。
  ・   特に共和党政権にいるネオコンは力の信奉者たちで、米国が世界一だと考えている。
  ・  中国とロシアは、アメリカに比べれば、平和的な国である。
  ・ 日本は米国への従属をやめ、むしろ中・ロとの協力関係を持つべきである。
  ・ 日本は、EUにもっと接近し、協力関係を持つべきである。
 
 《 私の考え 》 アメリカに対する理解は、ほとんど似ています。)
 
   ・ アメリカは、常に世界一の大国であり続けることを目指している。
   ・ アメリカ以外の強国の存在する地域の安定を、常に乱す政策をとる。
   ・ 世界の安定と平和を目指すのでなく、不安定化する政策を取る。
   ・  世界の海を支配するため、他国に強力な海軍を作らせないようにしている。
   ・ 海軍を強化しようとする国に対しては、周辺国との紛争を生じさせる方策を取る。
 
 戦後の日本人は「平和憲法」をもたらしたアメリカを、自由、平等、人権尊重の国として好感を抱いています。反日左翼の学者、政治家、マスコミを中心にこうした世論が作られ、多くの人が信じています。しかし残念ながら「温故知新」の読書が教えたのは、思いもよらないアメリカの姿でした。
 
 しかし私は氏と違い、中国とロシアも同様の国と思っています。縁を切と言われて、それを正しい選択とは考えません。全体主義の社会主義国を選ぶくらいなら、民主主義国のアメリカとの協力を選びます。今まで正論を述べてきた氏が、なぜこのような提案をしてくるのか疑問が生じてきます。
 
 この本の出版は今から14年前の平成17年、小泉・ブッシュ (ジュニア)政権の時です。中国もロシアも、韓国・北朝鮮も、大きく変化しています。EUも氏が語るように、欧州の未来をもたらす希望の共同体であり続けるのかどうか、微妙になっています。
 
 「ねこ庭」のブログはいつも通り、惑いつつ躊躇いつつ、進めて行くしかなさそうです。息子たちに言います。お前たちはもう大人ですし、親の権威を振りかざし説教したのは昔の話です。対等な普通の人間同士として、一緒に考えてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界が日本を認める日 -2 ( 官僚支配からの脱却方法 )

2019-12-16 18:22:12 | 徒然の記
 平成25年の読書で一番印象に残っている氏の意見は、次の二つでした。強く共感を覚え、今も私の中で生きています。
 
 ・ 日本における不毛な左右の対立は、知的麻痺状態である。
 
 ・  大江健三郎氏の平和主義は、常識のない作家の偽善である。
 
 読後の本を小学校の有価物回収の日に、資源ゴミとして出していますので確認できませんが、本の題名は、『日本人は、なぜ自分の国が愛せないのか』だったと思います。同じ題名で日本の学者が出版していますが、これは別物です。
 
 〈 2.  平成25年の9月の書評 〉
 「憲法第九条は、軍隊を保持しないと決めている。」「ところが、軍隊はある。しかも世界で、三番目に金をかけた軍隊なのだ。」
 
 平成10年の出版ですから、橋本内閣か小渕内閣の時です。日本のバブル経済が破綻し、国力が落ち目となり、台頭する中国が軍事費を倍増している頃です。世界一金をかけた軍隊とはアメリカ軍のことですから、世界三番目の軍隊(自衛隊)という言葉が、事実なら、ロシアに次ぐことになります。西欧諸国も抜き、当時の自衛隊は装備だけ見れば「立派な軍隊」だったのです。このことを念頭に置き、過去ブログの文章を再確認します。
 
 「この条文は、責任あるメンバーの一人として、国際社会への参加を期待される国に対し、実現不可能なことを要求している。」「戦争を行う権利を放棄する国は、国としての主権を、みずから放棄しているということなのである。第九条は、おそらくアメリカ占領軍の、最大のミスだろうと考えることを恐れないで頂きたい。」
 
 最大のミスだったから、4年後に朝鮮戦争が勃発した時、マッカーサーは自衛隊の前身である警察予備隊を作らせました。その1年後のサンフランシスコ条約締結時には、ダレス氏が訪れ、再軍備を促しました。
 
 ところが吉田首相は、日本経済が立ち直るまでは正式の再軍備をせず、米軍の傘の下に入ると決めていました。「吉田ドクトリン」と呼ばれていたそうですが、それが今日では厄介な憲法問題を引き起こしています。私は、ウォルフレンの著書を読んだ時、自分と同じ意見を発見し喜びました。
 
 「日本人の、第九条支持の根底には、純粋に理想主義的な考えがあること、賞賛に値する思いから、生まれて来たものであることを、私は信じる。」「しかしそれはやがて、人間の本質や、政治のリアリティーに関する、歪んだ見方につながっていき、長期的には、政治にダメージをもたらし、思いとは正反対の結果に至る恐れさえある。」
 
 その通りのことが、現実問題として生じています。この憲法のため政治が歪み、国民の意見が混乱し、国の根幹を腐らせる原因となっています。真珠湾を攻撃した日本軍への復讐と、GHQ内の理想主義者たちの夢の産物として生まれた「九条」は、戦後の74年間で、アメリカの思惑とは違った形で日本を蝕みました。
 
 ・ 日本における不毛な左右の対立は、知的麻痺状態である。
 ・  大江健三郎氏の平和主義は、常識のない作家の偽善である。
 
 氏が指摘する2点は「九条」がもたらしたもので、反日左翼思想と結びついて、ニッチもサッチも行かなくなっています。反日勢力を応援する、中国、韓国、北朝鮮と、日本の混乱を喜ぶアメリカの干渉で、日本の世論はこんがらがった糸の塊のようになりました。しかしオランダ人の氏は、日本についてだけ語ります。
 
 「この平和憲法は、戦争にもいろいろな種類があるという事実を無視している。」「そのため日本人には、正当化できない戦争と、正しい動機のある戦争とを、区別する必要がなくなっており、このことが、非現実的な世界観を生んでいる。」
 
 「力を合わせて、現実的な日本の憲法を作るという計画(憲法改正)で、」「私を強く引き付けるのは、それが、新しいチャンスを切り開くと言う点である。」「旧来の左翼の硬直化と、憂うべき行き止まり思考から、精神を解放するチャンスが与えられる。」
 
 戦後の日本を支配してきた不毛な左右の対立、氏の言葉で言えば、「知的麻痺状態」の原因は、左翼側にだけあるのではありません。アメリカに従っていれば何とかうまくいくと、安易さに安住した保守側も同罪だと、氏が語ります。
 
 「この計画 (憲法改正)は、自国への誇りを持ちたいがため、旧来の右翼がめざす方向に、引きつけられてきた人びとも、真に愛国的であるとはどういうことかを、発見させるだろう。」「この計画 は、現在の左翼と右翼のあいだに存在している、ばかばかしい時代錯誤のギャップを、埋めるかも知れない。」

 ここで氏は、私たちに具体的な提案しています。官僚に支配された社会主義国が日本だという認識ですから、官僚支配からの脱出方法です。
 
 ・ 選挙で選ばれたわけでない役人をコントロールするには、政治家が唯一の頼みの綱である。
 
 ・ そうはいっても、彼らのほとんどがかなり凡庸であり、役所を管理するためには何を知っておかねばならないかを、知らない。」
 
 ・  政治家自身が本物の政府を作る知識と技能を磨くべしと、国民が政治家に伝える手段は選挙である。市民は、信頼に値する政治家を生み出して行くことができる。

 ・  この国民的な計画(憲法改正)では、新聞が極めて重要になる。日本の新聞は、官僚との近親相姦的な関係を断ち切り、これまでしてきたように、官僚集団を守るのでなく、彼らを、厳しく突き放して眺めるようにしなくてはならない。
 
 ・  つまり日本の新聞の内容を決定している人びとこそが、真の愛国心とは何かを理解し、その理解を紙面に生かさなければならない。
 
 凡庸な政治家を、選挙の一票で作り替えるのは国民で、政治家を通じてしか官僚のコントロールはできないという、氏の意見に賛成しています。最後のマスコミ批判も、その通りです。
 
 長いブログとなり、息子たちが果たして読んでくれるのか。訪問される方々が辟易されるのではないかと、心配します。しかし継続は力なりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする