だらだら日記goo編

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甦る明治の偉才

2005-07-17 23:07:03 | アート・文化
会場に入るなりまるでターナーの水彩画のような気分になった。
こんな素晴らしい偉才が埋もれていたこと、むしろ外国で発見されたことに驚かざるを得ない。
東京ステーションギャラリーは「五百城分哉ーいおきぶんさいと読む」の展覧会だ、いつもながらここはいい展示をやる。
日光に住み着いた画家という、そのせいか日光の風景が多い。
「日光本地堂」は寺の内部の様子を描いたものだが、仏像の堂々たる風景はすばらしい。
その一方富士山を描けば写実的この上なく、写真を見るようだ。
しかしこのような華麗な表現は黒田清輝との出会いと日光定住によるもので、それ以前は古めかしい絵を描いていたという。
たとえば北茨城にある平潟港を描いた絵。
輪王寺宮が上陸するところを描いた絵は年代不明だが確かに暗い。
しかし1900年にここを描いた絵は明るくなっている。この人の日光定住は1892だから理屈に会う。
しかし色調の変化はともかく、この人の真髄は植物画だ。
何がこの人を駆り立てたかは知らないが、高山植物の写生に赴いているのだ。
その絵全94点が「科」ごとに展示されているのだから植物好きにはたまらないだろう。
岩陰にひっそり咲く花、渓谷に咲き乱れる花、蝶が舞う花、あれこれ。
一種の桃源郷を求めていたのだろうか。
「百花屏風」とか「御花畑図」といった絵にそれが集大成される。
こうした作品は水戸市立博物館にだいぶおさめられているようだ。
外国の著名作品も良いが僕たちはこういう日本人がいたことをもっと知るべきだ。
咲き競う花たちー明治の偉才が現代に甦ったことを喜びたい。
展示は8/28まで、東京ステーションギャラリーにて、ビューカード展示で入館料百円、カタログ二百円引き。


集光鏡としてのドレスデン

2005-07-15 22:40:58 | アート・文化
展示のはじめにいきなり集光鏡があった。
光を集めて高熱を発生させてものを溶かす装置で裏には太陽が描かれていた。
展示を見終わって、この鏡こそまさにこの展覧会にふさわしいとわかった。
ドレスデンはアウグスト強王、財力と権力とでまさにあらゆる美を集めたのだ。
国立西洋美術館は「ドレスデン国立美術館」の展覧会、まさに「世界の鏡」の副題にふさわしい展示だ。
オスマン帝国から始まって、イタリアの古典絵画、日本や中国の陶磁器、オランダ絵画ありとあらゆるものが集まっている、そのスケールや尋常でない。
音声ガイドを借りて聴いたが、音声ガイドの使われる展示品だけで32件もあり、全部で二百点を超える展示だ。
印象に残ったのをいくつか。
カタログ番号88「エルベ川左岸のとりでの下から眺めたドレスデン」、芸術都市の象徴といい、アウグスト強王のつくった「日本宮殿」もみえるが一方、洗濯物を干す女性がいるのはどういうわけか。カタログ番号208「満月のドレスデン」という作品にも洗濯物を干す風景が見られる。日常の一こまを取り入れたものか。日常と理想が入り混じる。
「アウグスト強王の騎馬像」圧倒される、ローマ法王と同じ衣装に身を包み、台座には人間四人がいる。ものすごい権力の象徴だ。
日本や中国の陶磁器とそれを模倣したマイセン磁器を並べてあるのも良い。
カタログ番号172「伊万里焼壺」の大きいことといったら!
フェルメール「窓辺で手紙を読む女性」、はじめはレンブラント作とされて購入されたとは面白い。
窓ガラスに映る少女の顔にも注目。
レンブラント「説教するキリスト(百グルデン版画」百グルデンとは大学教授の年収とか、そんなことまで書いてある。
いろいろ見て、最後はドイツロマン主義。
ゲーテはロイスダールを賞賛したというが自然の中での人間の小ささが良くわかる。
でこれで1400円の入館料、同じ1400円でも目黒区美術館の変な展示とはえらい違い。
僕はJuneさんからチケットいただいたので無料、ありがとうございました。
しかしこういう大規模な展覧会見ると普通の美術館の展覧会がばかばかしく思える。
それはともかくドイツの権力と財力に圧倒でした。




「当館の命運をかけた展覧会」?

2005-07-13 22:57:08 | インポート
1400円の入館料が無料になる展覧会が二つある。
一つは国立西洋美術館のドレスデン展、Juneさんからチケットをいただいた、もう一つは目黒区美術館「アートオブスター・ウォーズ」の展覧会、友の会会員で無料になる。
どちらに行こうか悩み、今日は目黒区美術館へ行く。
何でも東京国際フォーラムと「第一会場」「第二会場」となっており、両方見ると2500円もかかる。
映画にまったく興味のない僕はそれでも「アート・オブ」とついているのだから、スター・ウォーズシリーズの源流や、「アエラ」にルーカス監督が語っていた「ベトナム戦争末期の影」「神話を積極的に映画に取り入れた」そんな要素も出ているのだろうと思ったからだ、だがその予想はまったくはずれた。
会場に行くと、特設の入場券売り場ができてはいるが、こんなに高い展覧会、行く人はそんなにいないので手持ち無沙汰の模様、会場に入るとスタッフもやたらいるが鑑賞の妨げにはなっても、積極的に何かしてくれるということもない。
で、展示は映画について予備知識がないとほとんどわからない。解説もまったくなく、○○の衣装とかそんなものばかり展示される。
目玉の展示というのがアナキン=ダーズベイダーの生まれた手術台であり、アナキンの担架であり、といったそんなものなのだ。
そこには思想性のかけらも感じられない。
映画も立派な芸術である。
かつて近代美術館では手塚治虫の回顧展を催したことがあるときく。
展示は知らないが、カタログを見る限り、手塚の思想を良く捕らえた、大人にも鑑賞に堪える展覧会のようだ。
映画や漫画の「アート」を論ずるとはそういうことであろう。
しかし目黒区美術館のこの展覧会にはそういう視点はまったくない。
ただ映画がはやっているので、それに便乗しようとしたとしか言いようがない。
「映画で使用されなかったポスター」の展示、こういうものはあっても良い。
しかしなぜ「使用されなかった」のか分析に欠けるから、展示の空虚さだけが響く。
映画のコアなファンには楽しめるかもしれない、しかし目黒区美術館がこれを「当館の命運をかけた展覧会」と評するのはいかがか。
普段は地味な展示をやる美術館にとって所詮は人寄せパンダにすぎないのか。


小宇宙から大宇宙へ

2005-07-08 23:33:09 | アート・文化
行く前に何の期待もしていなかったのにいってみて驚いたということがある、その逆もまたあるが。
だから美術館めぐりはやめられない、思わぬ拾い物をする。
今日夜間開館を利用して行った「江里佐代子、きりかねの世界」の展覧会など何の期待もなかった。
そもそもこの人を何も知らないし、泉屋博古館など展示室が狭いのでものめずらしさに「ぐるっトパス」で無料になるのでいってみただけだ。
展示室を入ると小さな鞠がたくさんー見事な小宇宙だと感心する、しかし本当はこんなことで感心している場合ではなかった。
もともときりかねは仏像の装飾とのことで仏師と結婚したこの人が仏像に装いをつけるのは当たり前だ、ということで彫刻が夫、長男、義父、三代にわたる彫刻、弥勒とか大黒天とかも展示される。
第二展示室へうつるといささか様相が変わってくる、この人独特の世界が展開される。
屏風作品○△□というのがある、題名もへんてこだがどうも江里はこの表現で万物をあらわしたかったらしい。
第一展示室に「万象」という作品があるが、それが○△□なのだ。
第二展示室は鏡を用いた作品が多く展示されている、鞠が鏡面に映し出されるのだ。
「風の音色、大地の音色、水の音色」など心象風景を歌った作品も散見される。
しかし圧巻は「遊万象、The Universe at Play」だ、これには参った。
うまく表現できないが、大きな円の中に九つのパートがあり、おのおのが存在を主張している。曼荼羅みたいだ。
大宇宙の遊戯だ、こんなことまでこの人は創造したのだ、すばらしい。
そう思って眺め返せば「美意延年、Eternal Beauty」なる作品もある、この人の関心のありかはおのずとわかる。
ともかく六本木に行ってこの人の作品を観てほしい、主催の朝日新聞はもっとこの展覧会を宣伝しても良い。
展示室は二つの小さな美術館だが作品そのものが小さいので物足りない印象はない。
全国巡回しているようで東京のあとは佐川美術館で開催されます。
ともかく今日は参った、打ちのめされた、その言葉しかない。



遊びをせんとやうまれけん

2005-07-07 23:28:14 | アート・文化
久しぶりのいい展覧会だった。
現代のスローライフの先駆者とでも言おうか、武相荘でも知られる白州正子の回顧展を日本橋高島屋で見てきた。
「かくれ里のひっそりした真空地帯を歩くのがすき」と白州は言う。
だから彼女の集めるのは彼女の眼にかなったものばかり。
ハートリッジ・スクールに留学していたのだから欧米の文化にも造詣が深いだろうが、ゴッホを集めることはしない。
その代わり、長命寺参詣曼荼羅なる、どうでもいいように見えるものを人を介して捜し求めたりする。
だが「伝統を受け継ぐとは過去にしがみつくことではない」と語るごとく、審美眼にかなえばなんでも求める。
たとえば展示品にデルフトの色絵のジョッキがあったし、当時としては前衛の梅原龍三郎も集める。
白州は梅原先生は「心底からのロマンティスト」ではないかと語る。
なるほど、展示されている楊貴妃の絵を眺めるとそんな気もしてくる。
しかし魯山人の器を毎日使っていると聞くとなんとも贅沢と思う。
その審美眼には夫の次郎の影響も強かったのだろう、今回は次郎関係の展示もあれこれある。
なんでも戦後吉田茂の下でGHQと交渉したとかで、startからobjektまで、米国は一直線だが日本はジグザグ思考だとといたり、憲法はあまりに「事務的」過ぎると考えていたり、今の改憲論議を次郎はどう思っていたろうと思う。
トヨタのソアラという車との関係での白州あての手紙があるが、「鶴川村」だけの宛名、これでよく白州に届いたものだ。
しかし今回の最大の目玉はおそらく「織部よびつぎ茶碗」ではないか。
「よびつぎ茶碗」なるものを僕は知らないが、荒川豊蔵が持っていたもので荒川は白州がこの茶碗に見とれている間、「どうだ参ったか」といわんばかりだったという。
おそらくそうなのだ、文化とはこの茶碗がそうである様に、人間のリレーで継承されていくものなのだ、おそらく白州さんはそのことをよくわかっていたのだろう。
そのほか、熊谷守一の「かみさま」「ほとけさま」の字あり、十一面観音あり、ビデオありと盛りだくさん。
今日から「電車男」なるドラマが始まったようで、帰りの電車ではその話題するものもいたが、そんなことを超越した世界がここにはある、18日まで日本橋高島屋にて、東京新聞の主催。