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古い本 その115 古典的論文 中生代鳥類2

2022年08月09日 | 化石

 始祖鳥の羽化石に続いて、二つの全身骨格が発見されたことがよく知られている。19世紀中に発見された始祖鳥化石は、羽の標本を別にすると3点ある。発表順に記す。
 まず、いわゆる「ロンドン標本」BMNH 37001で、次の論文。
⚪︎ Owen, Richard, 1863(T) On the Archeopteryx of von Meyer, with a description of the Fossil Remains of Long-tailed species, from the Lithographic Stone of Solnhofen. Philosophical transactions of the Royal Society of London, 1863 vol. 153: 33-47, Plates 1-4.(MeyerのArcheopteryxについて、Solnhofennの石版石からの尾の長い種類の化石の記載とともに)
 頭以外のほぼ全身が揃った標本で、羽の痕跡もある。ただし前に記したMeyerの羽化石のように羽が残っているわけではないから、羽の構成はある程度わかるが、羽毛の構造までは見えない。

415 Owen, 1863. Plate 1. 「ロンドン標本」

 Owenの考え方は、上に記した標題によく示されている。まず、この動物の種類を決めていないこと。単に「尾の長い種類」としてあって、種名は提示されていない。よく見ると、「鳥である」ということは認めている。なぜか属名の綴りが間違っている。Darwinも同じ間違いをしているから、イギリスにはそのように伝わっていたのだろうか? また小さなことだが、標題で地名はSolnhofenとなっていて、MeyerのSolenhofenとは異なるが、これは現在でも両方の表記が混じっている。どちらかと言えばeの無い方が多いようだ。種類の考え方は、1ページ目の脚注に記されている。「A specific diagnosis deduced from the characters of a single feather presupposes that such characters are common to every feather of the bird so defined, (後略)」(単独の羽から導かれる種の特徴は、そのような特徴が、その鳥のすべての羽に見られることを前提にしている。)としている。この言明は正しくないだろうが、その後に続く長い脚注では、一枚の羽から提示された学名の取扱に関する問題点を論じていて、のちに起こった命名上の問題をよく予見しているとも言える。その中で、ロンドン標本について「Archaeopteryx macrura」という種名をその脚注で述べているが、本文では出てこない。
 なお、図版は4枚あってPlate 1は標本の全形、Plate 2は前肢(翼)の骨で、ロンドン標本、カンムリオオタカ、翼竜の一種、ワタリガラス(上腕骨)の比較、Plate 3 は後肢や尾椎などで、始祖鳥とともに翼竜や幾つかの現生の鳥類の比較、Plate 4は鎖骨や尾端骨と尾羽の構成の比較などが描かれている。

416 Owen, 1863. Plate 2. 前肢(翼)の骨格の比較 左からロンドン標本、カンムリオオタカ、翼竜の一種、ワタリガラス(上腕骨)
 次に発見された始祖鳥化石は、1876年のEichstätt産のもの。前の骨格がイギリスに渡ったことで、悔しい思いをしていたドイツでこの標本が研究された。公表された論文は次のもの。
⚪︎ Dames, Wilhelm, 1884. Ueber Archaeopteryx. Palaeontologische Abhandlungen, Band 20, Heft 3: 119-196, Tafel 15.(Archaeopteryxについて)
 ロンドン標本が頭骨の大部分を欠いていたのに対して、この「ベルリン標本」HMN 1880は頭骨も揃っているからさら保存が良い。現在までの始祖鳥標本の中で最も完全なものである。
 文中の図が数枚、それに論文の最後に図版が一枚添えられている。

417 Dames, 1884. Tafel 15. 「ベルリン標本」

 論文のデジタルファイルは幾つかのサイトにあるが、一部のファイルは作成に問題があって細部が全く見えない。また現在の姿では、それぞれの指先が剖出されていて、すり鉢型に母岩が取り除いてある。ところで、この図はカラー写真のように見えるが、時代を考えると疑わしい。どうやって印刷したものだろうか? インターネットで手に入る写真と重ね合わせてみると、頭骨の角度などにわずかな違いがある。そうするとこれは写真ではなくスケッチではないのか。色彩も大分異なるが、これは経過時間や画像処理でちがってくることもありそう。
 文中(127ページ)に(最も誇るべき)頭骨のスケッチがある。なお。論文のノンブルは、ページの上部にこの論文のページ、下部にカッコに入れたジャーナルの通しページが印刷してある。ここではカッコ内のページを記した。

418 Dames, 1884. 127ページの挿図 頭部スケッチ

 実は「ベルリン標本」とか「ロンドン標本」という名前もこの論文ではっきりと書かれている。ドイツ語論文なので、それぞれBerliner Examplars、 Londoner Examplars となっている。種名については何も書いてない。100ページ近い大論文だから探したといっても検索するしかなかったが、この論文中に「lithographica」という単語は出てこなかった。
 この論文はなにしろ本文78ページという長いものだし、ドイツ語だからほとんど読んでいない。試しに上腕骨の記載だけを読んでみた。

419 Dames, 1884 上腕骨の記載前半

420 Dames, 1884 上腕骨の記載後半

 9行の記載文と5行の計測値、26行の考察である。なお、翻訳はパソコンの自動翻訳を用いて英語に訳した。自然な文章に変換されたから、まちがいは少ないだろう。幾つかの用語は解剖学用語に直した上で読んだ。
 考察は上腕骨をどちらから見ているかを議論し、その結果として左右判定をしている。例えば「(上腕骨の溝などの位置関係を述べ)・・これが確立されると、内側から見た右上腕骨だけが、問題の骨がロンドン標本にある位置を持つことができることが簡単にわかる。その場合にのみ、稜は後方に配置できる。・・左側の上腕骨は、この位置に移動することはできない。」つまり、「Owenのロンドン標本での判定がまちがっている」ということが強調されている。自国産の進化史上最も重要な標本が他の国で記録されたことを残念に思い、さらに良好な標本が得られたことで、これを完全な論文として公表したいという思いがうかがわれる。