例年年末前の天皇誕生日を加えた休日に、早めの大掃除を行う。
そうすれば、年末年始はゆっくりと過ごせる。
今年も明日から・・・。
以前は、年末の休暇に入ってから掃除に取り掛かるが、そうすると大みそかまでかかり、結局年末は掃除で明け暮れ。
また、その疲れがたまり、年始もぐったりとしてそのまま終わってしまう。
3年前には、それでプチぎっくり腰にもなった。
こんなことがあり、それからは早めの大掃除となっている。
まあ、普段から整理整頓して入れば、こんな心配はいらないが・・・。
例年年末前の天皇誕生日を加えた休日に、早めの大掃除を行う。
そうすれば、年末年始はゆっくりと過ごせる。
今年も明日から・・・。
以前は、年末の休暇に入ってから掃除に取り掛かるが、そうすると大みそかまでかかり、結局年末は掃除で明け暮れ。
また、その疲れがたまり、年始もぐったりとしてそのまま終わってしまう。
3年前には、それでプチぎっくり腰にもなった。
こんなことがあり、それからは早めの大掃除となっている。
まあ、普段から整理整頓して入れば、こんな心配はいらないが・・・。
N藤氏からさっそくコメント。
「おかげ様でポンコツ車は復活しました。
しかもベースでリードをカバーするとは・・・
そのチャレンジ精神、恐るべし
そう、私たちの音楽は、まだまだ進化を続けているんですネ。
楽しみながら全てを磨きましょう
そこには輝く未来が待っている~。」
携帯からなのか、携帯用の絵文字をふんだんに入れ込んでいますネ。
磨きましょうには、実感がこもっている!?
輝く未来のためには、困難な課題も苦労して克服しなければ、か・・・。
そこまでの情熱は・・・、まあ何とかやってみるか!
N藤氏のポンコツ車が、バッテリー上がりでエンジンがかからないということで、私の家にあったブースターを貸してやった。
これでエンジンがかかり、そのブースターを返しに来てくれたが、ついでに、とんでもないものをおまけに持ってきた。
表紙の写真も色あせだいぶ年季が入った、というより、懐かしいお宝弾き語り特集。
オフコース、チューリップ、そして言わずもがなチハル・マツヤマ!
N藤氏が青春時代に毎日のようにギターの、歌の練習に使った教本。
だいぶ使い切ったのだろう、擦り切れている。
ところで、ブ-スターのお礼にこんな古ぼけた教本か、と思っていたら、携帯にメールが入る。
何と、教本を見て、長い夜の最後のリード部分をベースで弾いてくれと言う。
そういえば、教本にフセンが何箇所か貼ってある。
よくよく見ると、そのひとつが、松山千春の長い夜のところである。
でも、フセンのところは、どうみてもエレキギターの担当部分。
そこをベースでやれという。
ベーシストはもちろん、曲のベース部分を基本的に受け持つが、時には、リードらしきものを弾く時もある。
私の好きなマーカス・ミラーは、ベースで主旋律を弾き、エレキギターと張り合う時もある。
そうはいっても、こちらは、ベースの基本すらもろくろく抑えられない素人。
リードギターのようにベースを弾けと言われても、そう簡単にはいかない。
しかし、今の組み合わせ、アコースティックギターのN藤氏とベースの私だけでのバンド構成では、どうしてもリード部分がほしいときは、やはり私のベースギターを使わなければならないのか!!??
また、N藤氏からもう一つのミッションをいただく。
「時の過ぎゆくままに」のリード部分。
あれって、あの頃一世を風靡した井上堯之のリードギター。
それをベースで・・・。
いっそやってやろうじゃあないか、という気持ちはあるが、如何せん指が思うように動かない。
今、「時の過ぎゆくままに」「長い夜」のフレーズが頭から離れられない。
この時期、大学時代の教授、友人などにみかんを送る。
静岡のみかんを楽しんでもらいたいためだが、実は今年のみかんの出来が、少ないようだ。
私が送るみかんの品種は「青島」。
適度な酸味と、その分日持ちがよく、今年中に送っても、1月末まで十分味わえる。
その青島は、例年今頃からボチボチ量もまとまり、私がひいきにする地元JAの選果場では活況の様子を見せるが、今年は、収穫量が極端に少なく、収穫のめどが立たなく予約すらもできないようだ。
夏場の暑さのためか、あるいは、一気に来た冬の寒冷によることなのか。
いずれにしても、今年の異常気象が影響しているのだろう。
土曜日に電話をかけた時には、数日後にまた電話をかけ直してくれとのこと。
今出ている「早生」品種も、甘くておいしいが、味はやはり青島品種。また、賞味期限も数倍長い。
今しばらく様子を見るしかないか・・・。
大学のOB、山口県、岸氏から今日は、懐かしい母校校舎の映像の資料を紹介された。
私の大学母校の校舎は、今では都内及び町田にあるが、私が卒業した当時は、都内だけ。
そのいくつかある都内校舎も老朽化で、順次建て替えられている。
そして都内の本校敷地内にある校舎の中で唯一残っているものが、55年館と58年館。
ただしその校舎も、時代の流れとともに取り壊しの時期に来ている。
このことは、5月に石坂教授から、その計画を知らされた。
http://blog.goo.ne.jp/oishi21/d/20100513
私にとっては、良き大学時代の想い出の校舎ということで、いまでもその残像を糧に片田舎で精いっぱい動き回っているつもりだが、その校舎が取り壊されるということには、特にどうしようもなく反対という気持ちは、起きてこない。
もうすでにあれから30年。
歴史的価値のある建築物の取り壊しは、それは、そう簡単にしてもらっては困るが、一方で、相当の理由があれば、やむを得ないと考える。
でも、世の中には、やはりこういう時には、さまざまな立場から反対する方々がいる。
最近グループ化したそんな皆さんのコメントに、次のようなものがあった。
「55年館、58年館は、すでに取り壊された53年館に続いて、戦後の日本の復興期に、新たな日本の未来を担う若者の教育の場として、当時、〇〇大学建築学科教授であった、大江宏によって設計され、建設されました。
前面をガラスとスチールの黒いラインで構成するその清冽なデザインは、戦後日本を代表する現代建築として、様々な評価を受け、1959年には文部大臣賞芸術選奨および日本建築学会作品賞を受賞しています。
その姿は、現在でも決して古びることなく、日本国内だけでなく、世界に誇れる学校建築として、外濠の緑豊かな景観の一部を形成しています。」
私が入学時期初めて校舎を見た時、中はゴミだらけ、ビラの張り紙だらけの校舎だな、と思ったが、外見はモダンな建築物という印象であった。
この校舎にお世話になった多くの学生は、この校舎に思い入れがあり、取り壊しなどは言語道断と思うのかもしれない。
以下は、岸氏から紹介された竣工当時の資料。
http://www.55-58saisei.sakura.ne.jp/data/archives/58_rakusei_pamph.pdf
そして、55,58年館の取り壊しを考える会の方々のHPから、素晴らしい55.58年館の映像。
http://www.55-58saisei.sakura.ne.jp/gallery/photo4/photo.html
http://www.55-58saisei.sakura.ne.jp/gallery/photo1/photo_k.html
http://www.55-58saisei.sakura.ne.jp/gallery/photo2/photo_y.html
これらを見て、あらためて、私たち母校の校舎の行く末を今、考えることが必要かと思う。
今までくだらないコメントが時々入っていましたが、この頃その間隔が頻繁になってきました。
投稿されたその都度コメントを削除していましたが、それもいたちごっこ。
いや!せっかく皆さんで和気あいあいと作られているこのブログに、良識のない者のコメントが時折入ること自体、私としては不愉快です。
おそらく自動メールのソフトを使った投稿と思いますので、皆様にはひとつ手をわずらわすこととなりますが、しばらくコメントの際、最後にキャプチャ認証(コンピュータから提示されたランダムの文字をそのまま入力する)の入力を申し訳ありませんがお願いします。
コメントの送信の前に求められますので、入力して送信してください。
こんなことをお願いすること自体残念ですが・・・。
お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。
このところ、年賀状に印刷する画像は、Rickとももの写真。
先週ちょうどいい天気があったので、来年の年賀状用の写真を撮りに出かける。
もちろんモデルは、Rickなのだが、この頃このモデルのご機嫌を取りながらの撮影が苦労する。
Rickは、来年10才。ということはRickをモデルにするのももう10回。
最初の頃は、何をするんだろうと、カメラに近づき、あるいはカメラをじっと見て、それがいい映像になっていた(このブログのタイトルの中のイチョウをバックのRickはまさに初期の頃の逸品)が、いつのまにか、正面を向くことがなくなってきた。
おそらく、餌が飛び出るでもない、私が遊んでくれるでもない、ただじっと動かないようにしているのがいつの間にか面白くもなく、苦痛になってきたのだろう。
ましてや、時々フラッシュが発光されるカメラには、警戒心が生まれ、とにかくカメラを見ようとしない。
だから、いつも撮影は、Rickのご機嫌を取りながら、カメラの方になんとか向かせながらの撮影となる。
でも、今使っているカメラはコンパクトデジカメで、シャッターにレスポンスがあり、Rickが正面を向いたとシャッターチャンスと思ってボタンを押すが、シャッターが切られた頃には、その時にはすでにRickは、どこかほかのところを向いている。
こんな繰り返しをさんざんやりながら、苦労して写真撮影をするが、結局思うような写真が撮れていない。
でも、この中から選ばなければ・・・。
取りあえず、Rickは撮り終えたが、残る難関は「もも」。
もうこれは、猫特有の警戒心で、カメラを構えようものなら、一目散に逃げていく。
また、あの毛並みが、ピント合わせに不都合で、なかなかピントが合わずボケる。
ももにはどんな手で、御機嫌を取ろうか・・・!?
【写真:自宅から5分も車を走れば、吉田港。こんな絶好のシチュエーションの中での撮影だが。】
N藤氏からコメント。
「バンド活動。
今、ナニを望むのか、期待できるのか、自問自答。
たいした演奏もできないけど、何かを伝えたい。
こんな生き方あるんだと。
チャレンジは続くんだと、そう信じたい。
お互い、精一杯、進化しようヨ!」
最近バンド活動も木枯らし(!?)状態。
その中で常に燃えているN藤氏としては、熱い情熱がたまる一方で、もう堪忍袋の許容量も限界と言ったところか・・・。
早めに具体的な目標を立て、本格的な練習を始めなければ・・・。
みなさん、何か発表の場の情報がありますか?
初登場の末端審判員KS氏からコメント。
KS???
いろいろ想像できるが・・・、えてして男性のイニシャル文字の使い方がまちまち。
名前・名字の順でイニシャルを付けている場合と、名字名前の順がある。
でも、おそらく日ごろ川根高校のオープン戦を受け持つ審判委員、ということは、いつも顔を合わせている審判委員仲間。
と思ったが、川根高校が遠征に行った先でのオープン戦かもしれない・・・。
もしよろしければ、これからもぜひ投稿いただき、末端のお名前でもそれとなく教えていただければと思います。
その彼からのコメントは・・・。
「川根高校、11月14日に練習試合ですが2試合審判させていただきました。好印象でした。勉強させていただきました。」
「好印象」、「勉強」。あ~審判をまさに今エンジョイする時の究極の言葉。
ジャッジが楽しく、すべてが楽しく・・・。
おそらくこの審判委員は、今一番審判をすることが楽しいと思う時期のようだ。
この言葉、感動をしがない印刷屋審判員に聞かせて上げたい。
しがない氏は、この頃みょ~に、ベテランぶりを装いながらジャッジに手を抜いている姿がありあり(!?)。
バッターランナーと一緒に1塁まで走りぬけるぐらいの勢いがほしい!
KS審判委員、来年もがんばりましょう!
あの当時の日本人のギターブームは、音楽を楽しみたいためにギターを求めたのではなく、ギターそのものにあこがれ、いわゆる楽器に飛びついていった。
だから、ギターの技術がうまくならなければ、自然とギターから遠ざかることとなる。
これを具体的に記述しているのが、「F」コードを抑えられないばかりにギターを挫折した愛好者の例である。
私も、手が小さい分「F」には泣かされた。
最初購入したのは、本当に安い、あの時はクラッシックギター。
初めからフォークのスチール弦だと、指が痛いような気がしたからである。
ただ、クラッシックギターのナイロン弦でも、指さきが痛くなるほど強く抑えて何度も何度も「F」を出そうとしたが、なかなか出なかった。
その後少し慣れてきたところで初めてフォークギターを手にするが、弾いたところ、なんだ、こんなに楽に「F」が抑えられるのかと思った。
ここで、ギター設計者の著者であるがゆえ嘆くことは、ギターが売れた時代は、いい加減な設計でギターを作るメーカーもあり、それは弾きづらいギターとなり、初心者の挫折につながった、ということである。
もっと初心者が使いやすく、ギター愛好者に応えられる品質のギターを提供したかったというのだ。
「F」が素直に弾くことができれば、みんなその後もギターを続け、仲間と演奏に、自作自演に、愛好者が拡大して今頃日本は、ギター文化旺盛であったかもしれない。
私は、かろうじて、挫折からのがれることができ、今もギターを楽しんでいるラッキーな人間である。
著者のギター製作者、提供側からのギターに対する思いが熱く感じられ、今あるギターを大事に、そしてできるだけ長く演奏し続けていたいという気持ちにあらためてさせてくれた、私にとって久しぶりの秀逸の本であった。
さすが図書館長(!?)のM野女史、この本を紹介してくれ感謝である。
M野女史からギターに関する新刊本が出たと紹介され、図書館から借りて読んだ。
どんな本だろうと興味シンシンだった。その冒頭にビンテージギターの写真がいくつか掲載されている。
昔、私がギターを弾きだした3、40年前、国産ギターと言ったらグレコ、モーリスといっていた頃のギターの設計、製作をした著者が、ギターの歴史からギターメーカーの生い立ち、そして自身が設計製作に関わったギターの紹介、ギターの各部品材料の説明、ギターの音色の良しあしなど、ギターに興味がある者にとっては、知識として必要なもの、満足させる情報が満載されている。
いや、ギターばかりではない、ピアノ、バイオリンなどにも幅が広がり、著者の楽器に関する造詣の深さが分かり、ギターづくりのベースとなるものが、幅広い知識から成り立っているということを知る。
それにしても、あの昔の日本製のギターが世界にも通用する、あるいは物によってはリードするほどの優秀な作品であったとは・・・。
世界の名だたるギター工房などを回りその作成現場、職人の技術、魂などを垣間見ながら自身が満足するギター作成に取り掛かった。
オリジナル豊かな作品もあれば、世の名器をコピーしたものもある。
ただし、著者のコピーは、素材を安価にして、オリジナルをただ真似て安くみんなに売れればばいい、という代物ではなく、形はコピーだが、その中身は独自の技術などを施している。
著者が言うには、コピーは、オリジナルと同じ素材を使うわけではないので、素材の知識、製作のノウハウは、オリジナル制作者以上のものが必要だという。
もちろん独自の優秀なギターを作成していた著者だからこそ、コピーも単なるコピーではなく、世界に認められる技術が内蔵された作品となるのである。
こんな著者が過去に依頼され設計したグレコ、モーリスなどのギターが、当時世界的にも優秀であったのだ。
著者はその経験、知識から本の中で多くの優秀なギターメーカーとギターの名器を紹介しているが、アコースティックギターで言えば、やはりマーチンとギブソン、そしてギターはコバサンが絶賛するD-45が挙げられている。
今もアコギのトップと言えば、マーチン、ギブソン、また音質も値段も最高なのがD-45で、当たり前と言えば当たり前だが、やはり著者は、その根拠を理路整然と解説する。
アコースティックギターを評価するにあたり、2つの言葉が用いられている。
一つは「音量」、つまり弦楽器の弱点は、音量だという。
したがって、ギターの制作者に常に求められるのは、前に広がりを見せる「音量」である。
次は、「倍音」。マーチンのD-45は、その倍音がいい、またそれは、分かりやすく説明されている。
これ以上内容を説明すると、営業妨害(!?)となるかもしれないので、ここまでとするが、私がこの本で一番共感を得たのは、フォークブーム、そしてそれに伴う「ギターバブルの時代」の「功と罪」のところである。
つづく・・・。
昨夜は、久しぶりにPTAバンド「茶レンジ」の過去の姿、吉田高校香蘭祭の乱入(!?)や、その後の榛南3高連での演奏会を見た。
たまには見るもんだ!
あの時の情熱、楽しさは今ある茶レンジの原点。
それにしても、よくもあんな演奏で人前で歌うことができたもんだ。
これは、怖いもの知らずのおやじ、おふくろパワーの勢いのなにものでもない。
この勢いは、仕事に、茶レンジバンドの演奏活動に、活かされる。
「翼をください」「あの素晴らしい愛をもう一度」など、あの時あんな歌を歌っていたかと思うが、結局今でも歌っている曲が多い。
それだけ、茶レンジバンドメンバーの心の中に常にしみ込んでいる曲なのか。
静岡おやじバンドコンテストの映像も、まだピーズ氏のサーバーから見られる。
http://www.psclub.ne.jp/tumagoi/
あの時の熱い思いをいつまでも持ち続けましょう。
今年の審判活動はひとまず終了。
今年の反省としては、ルール適用の単純な凡ミスが結構あった。
http://blog.goo.ne.jp/oishi21/d/20100313
http://blog.goo.ne.jp/oishi21/d/20100816
http://blog.goo.ne.jp/oishi21/d/20100815
この辺は起こるべくして起こったこと。
若いころは毎日のようにルールブックを見ていたが、最近は、何かあった場合に見る程度。
ということは、特異なケースにはその場でルールをひも解くが、平凡なプレーでのルールについては、安心しきってなおざりにしているということ。
だから、平凡なプレーでとっさの場合、素早い判断ができないのだ。
来年は、ルールブックを最初から見直すか!!!???。
それと今年は、足のふくらはぎや大腿筋の張りと痛みを常に気遣いながらの審判であった。
ただし、これはその原因が分かっている。
高野連の夏の大会に出る審判員を集めての審判講習会が、例年6月にある。
これを受けなければ夏の大会でジャッジできないが、その講習会前に何もトレーニングせず、いきなり講習会を受けたことが、その後の足の筋肉にダメージと疲労を与え、結局夏の大会終了まで引きずっていたのだ。
運動不足なところでいきなり、審判講習会でも最も内容の濃い高野連講習会を受ければ、それは足腰のどこかはダメージを受ける。
しかも今年は、再登録の関係で2週続けての講習だったので、初回の講習から回復する間もなく次の講習会を受けたことで、よけい疲労の程度が強くなった。
この前の高野連納会の野球試合は、久しぶりの野球だったが、試合中、あるいはその後、次の日にも特に足腰を痛めることがなかった。
実は、夏の大会後、意識して足腰の運動を続けている。
これが効いたのか、ダメージを受けずに済んだ。
日ごろのわずかながらの運動が、結構効くのである。
来年は、やはり常日ごろの運動を欠かさず行うことが、最低限の目標になる。
2010静岡県高野連納会 おわり。
No8のつづきから。
川根高校の監督は、私がブログの張本人だと知っていて、ワザと聞いているのかと少し様子を見ていたが、その気配はまったくない。
先生が言うことには、以前たまたま検索していたら川根高校の試合を取り上げてくれたブログがあり、そのときの記事が、生徒の励みになっているとのこと。
部員達にいつも、こんな小さい高校の野球部でも、しっかりと皆さんから見られているんだぞ、お前達も胸を張って頑張れよと励ましているとのことであった。
それ以降、時々ブログを見ているようだ。
ここまで、経緯を、またブログが何らかの役に立っていると言われれば、名を明かさなければ、失礼にあたる(!?)
こちらはその場では先生がいう記事を思い出せなかったが、あらためてブログを確認すると、4年前の今でも印象深い秋季大会の川根高校と静岡市立商業高校との対戦の記事であった。
http://blog.goo.ne.jp/oishi21/d/20060821
このとき私は3塁を担当。試合は延長になり、川根高校がサヨナラ勝ちした試合であった。
そんなことで、先生とは色々話し、私も母の出身が川根本町なので、時折川根高校の前を通りますよといったら、また機会があればきれいになったグラウンドを見に来てくださいと誘われた。
きれいになったグラウンド???
私が今までに川根高校にいったのは、ちょうど娘が高校の女バレー部で、バレー大会で応援に出かけたときであった。
その時グラウンドでは野球部が練習をしていたのを見て、娘の試合はそっちのけで練習を見ていた。
そのときの川根高校の各施設は、実はあまりいい印象を持っていなかった。
グラウンドの外野部分はでこぼこ、部室などの施設は古く、しかも窓ガラスが割れたりしていたのだ。
実は、S木先生も赴任当時このような環境を憂い、生徒の教育、部員の活動には施設の整備をしなければならないと感じ、それに取り掛かった。
今では、見にきてほしいというほどグラウンドなどは整備されたようだ。
来シーズンの天気のいい日でも、ドライブがてら行ってみるか・・・。
それにしても、思わぬところで私のブログが見られているようだ。
こんなくだらないことで綴ったブログを、それでも見ていただいているということは、それこそ励みになる。
ありがとうございます。
そういえば、懇親会の中で、バイキング料理を皿に入れていたら横から「Rickは元気か」との声が掛かる。
私の家のワンコの名前をこの場で知っているのは、しがない印刷屋審判員ぐらいしか居ないのに、それにしては声が違うと声の主にふり返ると、いた~!
もう一人私のブログを見ていて、Rickの名前を知っている人物が。
善男連(!?)技術委員のK藤氏であった。
ご尊顔を拝すると同時に、大事な盆栽の映像が一つ消えていったのは気のせいか・・・。
つづく・・・。
N藤氏からとんでもない告白!?
「時の過ぎゆくままに。
実はこの曲には深い思い入れがあるのです・・・。
それは高校当時、まだ髪があったころでしたが、山口百恵らを生み出した(ここは、N藤氏携帯の絵文字なので表示できない)スター誕生!のオーディションに行き、この曲を歌ったんですヨ。
サビの前に審査員のブザーで止められてしまいましたが・・・。」
え~!N藤氏が、あの伝説のスター製造番組「スタ誕」のオーディションに出ていたとは・・・。
どうりで、どこかスターのオーラを持っていると、常日頃感じていた・・・。
あの頃のスター誕生は、山口百恵や、桜田淳子、森昌子、伊藤咲子や私の永遠のアイドル、ひと昔前は、2時間ドラマの女王と言われた片〇な〇さなど、そうそうたるスターを生み出した人気番組。
mmm、男は誰かいたか???
いた、城みちる、そして!藤正樹!
そんなアイドル生産番組に出たとは、、、。
と、よく見れば、サビの前にブザーで止められたということは、各レコード会社からの立て札を見ることなく、落選と言うことか!?
しかし、まかり間違えばその一人として、歌手デビューしていたのか!!??
歌は、「シュモクザメに乗った少年」、はたまた「忍ぶ髪」
m(_ _!)m
それにしても恐ろしきはN藤氏。
過去には、ポプコン予選会にも出たとかの噂も聞く。
世が世であったら、N藤氏も松山千春の後を追う、世を席巻するフォークシンガーになっていたのかも。
そんなN藤氏とバンドを組めることに誇りを感じ、明日からの練習を、今まで以上真剣に取り組んでいくことをここで宣言いたします。(・◇・)