温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

2021 コロナ禍が問題を突きつける都会志向

2021-02-06 07:11:54 | 日記・エッセイ・コラム
よく都会に住む若者、あるいは都会で家族を持つ中堅が、老後は田舎暮らしをしたいと将来のささやかなる夢を語る。
今の都会の殺伐とした乾燥しきった生活、あるいはがんじがらめの人間関係から解放され、田舎の田園風景の中で、おいしい空気を胸いっぱい吸い込んでの生活にあこがれているのだろう。

しかし、冷や水を浴びせるようだが、田舎の不便な環境で、足腰がおぼつかなくなった老後の生活を送ることは、相当の覚悟と都会との雲泥の差の生活環境を承知した上での選択になるのだ。

片田舎に住む私からすれば真逆の、老後は足腰を痛めた老人でさえ、わずかな距離の日常生活の買い物、健康のためのわずかな散歩で着く都市公園、そして、美術館、映画館、イベント広場がある都会の生活の方が、きっと老いる苦労以上に生きていく楽しみが多いだろう。

おそらく、田舎での暮らしは若いときが最高。
不便な交通事情も足腰が丈夫で、また運転もできる若いときなら苦にならない。

そして田舎暮らしは、自然を相手の趣味、例えば牧之原でいえば、釣り、サーフィン、ドライブ、行楽、地場産品の食材を使った料理など・・・、楽しむことに関しては、不自由しない。

私は、大学卒業時に、都会の環境が肌に合わず、地元静岡に帰ってくることが自然の選択だった。
ただ、帰ってくるにあたっては、適当な就職先がなければならない。

おそらく、若者は都会にあこがれるが、その若者すべてが都会に住むわけではない。
目先を田舎に戻し、田舎に帰る気持ちが起きるのは当然。

ただ、ここで、都会の就職先と田舎の就職先の事情が違うことで、田舎に帰る選択が狭まってくるのかもしれない。

しかし、ものは考えようだ、都会での優良企業の端末に必死にぶら下がって、毎日訳も分からず仕事に追われることがいいのか、田舎での中堅どころの会社で、めきめき実力を発揮し、企業の発展を支える存在になるのか・・・。

要は、魅力ある就職先は都会ばかりではない、自分の田舎、全国の田舎と言われるところには、魅力ある企業、事業所が星の数ほどきらめく。

都会に所在するというだけで訳の分からない企業に就職し、自分を見失うことは、最悪のケース。

若者が若いとき都会の夢あふれる生活で豊かな、満足な生活を送り、老後は余剰の資金で田舎で暮らすという考えはなかなか現実的ではない。

そしてまさに今、新型コロナウイルスの影響で、田舎の価値、あるいは都会を離れた仕事ぶりが新たなウィズコロナの生活として注目されている。

まさに、コロナが都会志向の若者に、田舎と都会の暮らしの考え方の見直しを、突きつけている・・・。
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