温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

出張「鹿児島・熊本」へ行ってきました(最終)

2008-02-12 21:03:09 | 日記・エッセイ・コラム

頴娃(えい)高校は、鹿児島薩摩半島の南端にある、広がる丘陵と海を間近にみる場所にある。

あとから分かったのだが、私たちが行った日から2年生が修学旅行。なんとなく校長先生も時間に余裕があるといった感じで、その分いろんな話が出てきた。

特に歴史には詳しく、昨日訪問した人吉市と牧之原市の関係が、鎌倉幕府時代に現在の牧之原市地域から相良(さがら)氏が人吉に移り住み統治した縁であるのだが、その相良藩のことを実に詳しく話すほど。

あるいは、江戸時代、江戸からの隠密が、この鹿児島に入り込むにあたり、方言で江戸の者とすぐばれるので、事前に人吉で数年暮らし、方言に慣れてきたところで、鹿児島入りした、とも言う。

また、この頴娃高校に来る途中、次第に大きくなってくる開聞岳のことを話すと、戦争のとき、知覧から特攻隊が開聞岳に最後の別れをし、帰らない戦地への出撃に行ったとも、語ってくれた。

P1010049 (写真:頴娃市街地手前から写した開聞岳)

ただし、話も弾みこちらの用件も一応校長先生に話したので、ぼちぼち、と思っていたら、校長先生が、では進路指導主任を呼びますから、といったのには、少しまいった。

それから、進路指導主任に校長先生に伝えた訪問の目的と就業の依頼を改めて話すことに・・・。

実は、頴娃高校訪問のあと、この3日間まったく南九州の名所、観光地を見ていなかったので、最終の今日早めに切り上げ、車の中から、頴娃に向かいながら次第に大きくなる、その清楚でかつ雄雄しい姿の開聞岳に帰りがけ寄って行こうと考えていた。

しかし、進路指導主任の先生も、結構熱心に話を聞いてくれ、あるいは、事前に静岡県、牧之原市、スズキのことを勉強してくれていたようで、質問なども沢山いただいた。

したがって、話が終わる頃には、むしろ急いで鹿児島空港まで直行しないと飛行機の時間が間に合わないほどとなっていた。

今回の出張は、様々な大変すばらしい方々に会うことができ、また、一応の成果があったと満足している。

だが、ひとつだけ残念であったのは、開聞岳を間近に見ることができなかったこと。

富士山をスリムにし、その分、天に向かっているようにも見える開聞岳。

日ごろ富士山を見ている者にとって、新鮮な気持ちを抱かせる。

しかも、特攻隊員が最後開聞岳を見て戦地へ果てていったともなると、感慨もひとしおである。

今回、市長から是非知覧特攻記念館を見るように、とのお勧めもあったが、時間がなくそれもできず・・・。

この開聞岳、知覧特攻記念館の2つの名所は、今後何かの機会にと楽しみに取っておくこととする。

「出張「鹿児島・熊本」へ行ってきました。」おわり。

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