写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

追 憶

2012年02月20日 | 生活・ニュース

 室の木にあるスーパーに買い物に出かけた。奥さんが買い物をしている間、車の中で買ったばかりのスマホを使ってぎこちなくネットサーフィンをしていた。その時、車の背後から、ガタンガタン、ガリガリと聞きなれない音が聞こえて来た。

 振り返ってみるとキャタピラーを履いた大きな重機が、白いシートで囲った隣の敷地で動き始めたところであった。この広い敷地には、三井化学の社宅として鉄筋2階建と3階建が各6棟、計108戸が建っている。1958年~1962年(昭和33年~37年)の間、工場が操業を始めた直後に、従業員のために整備をしたものであった。

 岩国工場には1970年代のピーク時、2,700人いた社員も今は1,100人ほどに減り、もはや社宅は不要となったため隣のスーパーに整理売却をすることになったという。スーパーとしては購入する2.2ヘクタールの土地を使って複合店舗を建設し、ますますの発展を期すとのことである。

 この情報は、昨年の秋、新聞を読んで知っていたが、現に崩されようとする建物を目の当たりにすると、ある種の感慨を覚えた。今から30年前にこの社宅に入り、、子供も育ちざかりの9年間をここで過ごした。仕事の面でも、家庭の面でも人生で最も充実していた時期だったように思い出される。

 休みの日には必ず、子供そっちのけで家の真ん前にあるテニスコートで日がな一日テニスに興じた。お互いが相手の奥さんと組んでの混合ダブルスが特に楽しかった。腕では負けるが、口だけは負けない主義を通したが、これも負けることが多かった。夏の夜、屋上でのビアパーティも楽しかった。

 そんな思い出一杯の社宅がついに解体されることとなった。当時一緒に遊んだ仲間も、今は東京をはじめ各地にばらばらとなっている。その仲間に、解体されていく状況を写真ブログで紹介したい。何ごとも生み出される時は楽しいが、消えていくのを見るのは淋しい。作家・檀一雄の「落日を 拾いに行かむ 海の果て」という詩があるが、「昭和を 拾いに行かむ 社宅跡」の心境である。小金井のT君、三鷹のUさん、このブログ見てくれていますか?