写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

ショルダーバッグ

2012年02月19日 | 生活・ニュース

 サラリーマン現役時代、毎朝、脇に抱えるタイプの革製のカバンを持って出かけた。週刊誌を3、4冊入れればいっぱいになる程の大きさのものであった。会社勤めを終えてから、買い物に出かけたり、ちょっとした外出をするとき、財布や携帯電話や、買ったものを入れたりするものを何も持っていないことに気が付いた。

 この対応策として、メンズバッグと称する手で提げるタイプの小型バッグを買い、以来ずっと愛用してきた。最初のものは黒色で革製のもの、次はイタリア旅行で買って帰った褐色・革製のもの、今使っているものは、3年前に息子が贈ってくれた黒の布製のものである。

 この布製のバッグにはチャックが2個付いていて、入れておくものの仕分けが出来るので、必要なものを取り出すとき容易に取り出すことができる。また布製なので、大きなものでも無理をして押し込めば入れることができるという利点があった。

 一方、片手はいつもバッグをぶら下げているので、自由がきく手はもう一方の手だけ。本屋で立ち読みをするにも、買い物で商品を選ぶにも、片手だけではかなりの不便をかこってきた。外観も少しくたびれて来たこのバッグに、そろそろ暇を出してもいい頃だと考え広島に出かけた。

 バッグを求めてデパートを2館回ったあと、商店街のカバン専門店も何店かのぞいてみたが、気に入ったものが見つからない。男物のバッグなんて、種類もデザインも限られている。最近は手で提げるものよりか、リュックやウエストバック、もしくは斜めに背負うような若者向けのタイプのものがほとんどであった。

 昼食をはさんで3時間探し歩いた結果、あるホテルの専門店でやっと気にいったものを見つけることが出来た。濃い茶色の革製ショルダーバッグである。大きさは約25cm角、ベルトは同色のキャンバス地。容量は今まで入れていたものが楽に入る大きさだ。手でぶら下げるも良し、肩にかけても良しである。

 定年後4代目のマイバッグは、初めてのショルダーバッグとなった。鏡の前で肩から斜めに掛けてみたら、その昔、学生帽をかぶって白いキャンバス地のカバンを掛けていた中学時代の私の姿が浮かんできた。


頭熱足寒

2012年02月16日 | 車・ペット

 先日、17年乗ってきたBMWを車検に出した。ここ2、3年は、老朽化に伴い何かと故障が多い。大きな故障としては、走っているときにラジエーターが破れてボンネットから水蒸気が間欠泉のように噴き出したことがある。小さなものでは、運転席側のパワーウインドウが動かなくなり部品を交換、燃料計の故障修理、ブレーキパッドの摩耗交換などがあった。

 

 預けた翌日、車屋の顔なじみのメカニックから電話がかかってきた。「あの~、運転席側のヒーターですが、足元から暖かい風が出てきませんがどうしましょうか」と、修理をするかどうかを聞いてきた。

 この冬、車に乗ってエアコンを効かせたとき、別に寒さを感じるようなことはなかった。話を聞いてみると、助手席側の足元からは、まともに暖気が出てくるようだ。いってみれば、暖房の片肺運転になっていたことになる。寒さが厳しいときには少し寒いかもしれないが、かなり費用もかかるので修理はしないことにした。

 車検から戻ってきた車を運転して、暖房の効き具合を確認した。状況はメカニックが話していた通りであった。暖気を足元からでなく、ダッシュボードの位置から出るように切り替えてみると、大量の熱風が狭い車内に噴出してくる。

 ああ、これなら寒い日でも大丈夫だ、修理しなくても問題はないと思ったが、暖気の噴出口が頭の高さの所である。ルーバーを調節して頭や顔に暖気が直接当たらないようにすることは出来るが、いかんせん、暖房の基本である「頭寒足熱」とはいかない。
 
「頭寒足熱」とは、頭を冷やし足を温め、体全体の血流を良くする健康法をいうが、逆に足を冷やすと血流が悪くなり、高血圧・心臓病・動脈硬化の原因になるという。そんなことより、集中して勉強するようなときには、頭を暖めると頭の外側の血管ばかりに血が巡り肝心の脳は血流不足となる。つまりぼーっとした状態になりやすく、眠気を誘う原因になるので「頭寒足熱」が必須だと昔教えられていた。

 こんなことを考えてみると、クラシックカーとなったBMWで「頭寒足熱」ならぬ「頭熱足寒」での運転は、眠気を催す危険な運転につながりかねない。危ない危ない。
ここは寒くても暖房の片肺運転で、我慢しながら寒さをしのぐという悲愴な決意をした。 


文殊の知恵

2012年02月13日 | 生活・ニュース

 毎週、日曜日の毎日新聞にクロスワードが掲載される。縦横13個の升目があり、タテノカギ、ヨコノカギとして各36個のヒントが出されている。朝起きて着替えを済ませると、このパズルを解くために、いそいそと新聞を取りに外に出る。取り込んでダイニングテーブルに座ると、待ちかねていたようにまず奥さんがクロスワードが載っているページだけを取り外し問題を解き始める。

 私はトーストを片手に、コーヒーを飲みながら新聞を読む。20分が経ち、30分が過ぎるが、「できたっ!」という声は聞こえてこない。毎週のことではあるが、一人ですべての答えが分かるということはまずない。料理や家庭的なことは奥さんの得意分野、メカや自然科学の分野は私の得意分野に分かれている。

 「これでギブアップッ」と奥さんが新聞を放り投げてからが私の出番だ。書き込んである欄でも、それが必ずしも正解だとは限らない。それらをチェックしながら空欄を埋めていくが、すんなりとは埋まらない。思い込みがあったり、誤解があったり、思い出せなかったり、知らないことがあったりと色々である。

 しかし、2人の知識を合わせれば大抵すべて埋めることができる。時にどうしてもわからない問題があるが、そんなときには止むを得ずパソコンで調べて答えを見つける。その週は残念ながら敗戦ということになる。

 今週のパズルは、多くの空欄を残して奥さんがギブアップした。見ると4割方しか埋まっていない。ヒントを読んでみるがなかなか手ごわい。毎日新聞のこのクロスワードは、結構ハイレベルの問題が多いように感じるがどうだろう。広範囲の知識が要求されている。一人ではとっても全問正解とはいかない。私に替わって20分後、すべての問題が解けた。これで気分爽快。日曜日の朝の行事が無事に終わった。

 こんなクロスパズルでさえ、奥さんとの2人がかりでやっと解決。考えてみると、家庭内のことも外のことも、何に対しても2人がいい分担をして過ごしてきた。かごかきと同じで、我が家も一人では何もできない構造になっていることが改めてよく分かった。「3人ならぬ2人寄れば文殊の知恵」であるのに、終わった後必ず「私の方がたくさん解いた」とのたまう。お互い競争心だけは未だ衰えていないようだ。


到る処 酒盛りあり

2012年02月11日 | 生活・ニュース

 先日、小中学時代の同級生18人が団体で、下関に出かけてフグ料理を楽しんだ。料理もさることながら、朝9時に新岩国駅に集合し、夕方戻ってくるまでの8時間、久しぶりに会った仲間と楽しい時間を過ごすことが出来た。

 この仲間と、このような小旅行をするとき、いつも決まった光景が展開される。集合した時に、すでに2、3人の吐息から酒の臭いがする。持っているポリ袋の中には缶ビールの空き缶がすでに入っている。旅に出かける雰囲気を出発前から漂わせている。

 間もなく、やってきた新幹線に乗りこんだ。すぐには発車せず、のぞみに追い越されるのを待っている間に、早くも大吟醸が紙コップに注がれて回ってきた。ガラ空きの車内で酒盛りが始まった。飲み終わったと思ったら、今度はウイスキーの水割りが回ってくる。酒に弱い私は発車前から顔は真っ赤になっている。

 あたかも修学旅行の列車の中のようにワイワイ騒いでいると、いつの間にか下関に着いた。待望のフグ料理をいただくときには、もちろんフグのヒレ酒を頼む。満腹のお腹をなでながら、帰りの新下関駅に向かった。発車まで30分の待ち時間があった。がらんとした待合室に大きな半円状のソファーがおいてある。座って休んでいると、誰かが紙袋からウイスキーのボトルを取り出して、ハイボールを作って配リ始めた。また小さな酒盛りが始まった。

 中学時代の同級生が集まっての、久しぶりの小旅行は、暇さえあれば酒盛りが始まる。頭が薄くなった者、髪が白くなった者、眉まで白くなった者、外見は随分変わってきてはいるが、笑った顔の中には、55年前の見覚えのある表情が残っている。

 帰りの新幹線車内、貸し切り状態だったのでよかったものの、大きな声が飛び交った。無事新岩国駅に到着しての別れぎわは「じゃーな」と、お互いが片手を上げただけの簡単なあいさつ。今度はいつ会うかも分からない中、いとも簡単な別れ方である。久しぶりに会った時も別れる時も、これが幼馴染の別れの流儀。「同級生 到る処 酒盛りあり」。いつも時空を超えた再会である。


応急同級生

2012年02月09日 | 生活・ニュース

 「君は、身体がどこか悪いんか?」。新幹線に乗り、向かい合って座っているとき、N君が心配そうな顔をして私に訊いた。「うんまあ、年なりに色々あるが……」と、言葉を濁して答えておいた。久しぶりに会う友から見ると、元気がなさそうに見えたのかななどと、少し気になっていた。

 年に数回、小中学時代の仲間が声をかけ合って昼食会をやっている。昨年、「2月に日帰りで下関にフグを食べに行こう」ということが決まっていた。世話役は現役時代に駅長をやっていたU君。人集めから切符・食事するホテル、空き時間のつぶし方など綿密な計画を立ててくれた。

 年が明けて、U君が手作りのパンフレットを作って話に来た。参加する同級生は17名しかいないという。女性はわずか3人。しかもその内のひとりは、病気の後遺症でやや歩行に難がある友の奥さんだ。荷物を持ったり階段を登ったりするとき、ほんの少し手助けがいるので一緒に参加するという。大歓迎である。

 「JRの格安キップでいくためには最低20名くらい集めたいんだが……」という。「心当たりの同級生に、私も声をかけてみよう。奥さんでも誰でもいいから参加したい人がいたら一緒に行ったらいいのになあ」と答えておいた。

 2週間後、再びU君がパンフレットの改訂版を持ってやってきた。「最終的に参加者は18人になったよ」。U君が帰った後、もらったパンフレット裏面の参加者リストを見て驚いた。参加するとも言っていないのに、うちの奥さんの名前が載っている。すぐに奥さんに確認すると、まんざらでもない。この瞬間、一緒に参加することが決まった。

 かくして中学の同級生の日帰り旅行に、奥さん帯同者が2組となった。1組は言ってみれば主人のお世話係で付いていかざるを得ない奥さん。うちの奥さんはというと、人数合わせというか、知らぬ間に参加者になっていた。とにかく同級生でないことは明らかである。

 そうしてみるとあの時、N君が私の体調を気遣ってくれた理由は、私が体調不良で介護をしてもらうために奥さんを連れて来たと勘違いしたからではないかと、今気が付いて苦笑している。おかげで当日、介護ならぬ監視されながら、旧友と楽しい1日を過ごすことが出来た。友に感謝である。
   ( 壇ノ浦御裳川公園にある平氏総大将知盛像)