写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

「エッセイとは」

2012年02月06日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画

 パソコンでネットサーフィンをしているとき、エッセイストの宝彩有菜(ほうさい ありな)さんのブログに出会った。その中に「さぁ、エッセイを書いてみよう」という項があり、エッセイとは何かを書いている。

 「
日常はすべてエッセイです。 エッセイとは、『自分』が考えたり、感じたりしたことを、自分も含めた、他の人に伝えるということです。ですから、『自分』が必ず入っています。個性のある『自分』がエッセイの中に入っていませんと、それは、レポートとか、記事になってしまいます。

 また、エッセイは、その短い文章の中で、一つのテーマが完結しているのが特徴です。 作者はその文章で、言いたいことを、言い得ているということです。 このように考えていきますと、エッセイを書くと言うことは、つまりは、『自分』を書くことになります。一つの花を見て、その花の描写をするだけではなく、その花に対して自分がどう感じているのか、何を思うのか、何を思い出すのか、そのような自分の心の動きを文章にして書き出していくことになります。

 そこで、『ああ、私は、あまり日常に感動することがないから、エッセイはなかなか書けないわ。もっと感動的な人生ならエッセイも書けるのに』と思う方がいるかもしれませんが、それは、アプローチが逆です。 ビックリしたこと、驚いたことがあれば、エッセイが書けるのではありません。 エッセイを書くことによって、自分の『感性』や『思考』を掘り出していくことに、エッセイを書く意味があるのです。 日常をすべてエッセイにする。そのつもりで、まずは観察してみてください」と。

 今まで、内容の如何にかかわらず、よしなきごとを
何でもいいから文字にすればエッセイだと思っていたが、これを読んでみるとそうではない。大切なことは、書いた文章の中に個性のある「自分」が入っていなければエッセイとはいえないという。

 「写真エッセイ」と題して、今まで書いてきた私のブログを読み返してみると、「自分」の入っていないレポートとか記事に類するものも結構沢山ある。ブログのタイトルに偽りがあることになるが、まあ、前述のことが分かった上で、レポートとか記事も紛れ込ませているんだと思い直すことで、今日もエッセイもどきを書いてみた。明日からは正調エッセイを書いてみよう。その前に「自分」さがしが必要だ。