写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

誤配歓迎

2020年04月21日 | 生活・ニュース

 いつものように、いつもの時間に目を覚まし、いつものように「毎日新聞」を取りにポストに向かい、いつものように新聞を広げた。

 まずは記事を読むことはなく第1面の大見出しに目を通した後、下段に載っているコラムを読む。コラムのすぐ隣にはいつもなら18首の読者投稿の川柳が掲載されるが、今日はそれが載っていない。こんな日が時にあるので、気にすることなく最後のページから目を通し始めた。 

 「今日は山口県東部の記事が日ごろになく多く掲載されているな」と感じながら読み進めていく。関心を持って必ず読む読者投稿のエッセイのページが出てこない。おかしいなと思いながらもページをめくっていく。あるページをめくったとき「こだま」という女性専用の投稿エッセイ欄が目に留まった。「???」。一体どうしたのだろう。「こだま」といえば「中国新聞」が掲載する欄である。

 その時やっと気がついた。「毎日新聞」だと信じ込んで読んでいた新聞は実は「中国新聞」であった。読み始めた時から、少し違和感を感じていた。新聞が誤配されていたことにやっと気がついた。

 販売店に電話をすると、恐縮して直ぐに持ってきてくれるという。新聞の販売店も合理化が進み、複数の新聞社のものを一手に取り扱う合売店となっている。きっと配達人も一人が複数社の新聞を配達しているのであろう。時には誤配もあるだろう。

 そこは鷹揚ぶって待つこと10分。毎日新聞がティッシュ1箱を添えて届けられた。新聞配達という仕事、早朝から雨が降ろうと嵐が吹こうと毎日きちんきちんと届けてくれる。感謝こそすれ、咎める気なんて毛頭ない。「ありがとうございました」とお礼を言いながら毎日新聞を受け取った。

 それにしても、直ぐに気がつかなかった私の鈍感力を再認識した出来事であった。時には誤配があれば、その日は2紙が読めるという利点もあって、私はむしろ誤配を歓迎する派である。