1週間前、桜を見るために錦帯橋へ出かけた。7~8分咲きの木の下にゴザを敷いて花見気分を満喫した。周りを見ると、各1本の木の下に2~3人の家族連れやカップルが1組ずつ陣取っており、例年のように所狭しと座っていることはない。適度に距離をとって静かに花を愛でる花見であった。
そして今日、久しぶりの錦帯橋へ行ってみた。花散らしの雨が2日間も降ったにもかかわらず、全体的にはまだ花は1~2分ばかり残っている。まだ何とか花を見ることができた。
上河原で賑わっていた3軒の茶屋は、早くも解体が始まっている。軽自動車が2台乗り入れて、職人が忙しそうに運び出ししている。3月の半ば、テレビや新聞であんなに桜の開花予想をしていたのに、咲き終わろうとしている今はもう、誰一人として桜の木に近づく人はいない。
とかく人の心は移ろいやすい。徒然草で吉田兼好が「色あせ散りゆく花よりも、うつろいやすい恋心」と書いている。恋心のみならず、友情や信頼、尊敬、感謝まで、尊い気持ちはどうしてこんなにも簡単に薄れてしまうのだろうと。
このように興味の対象をたやすく別のものに向けることを「移り気」という。華やかで盛んな時には多くの人が寄って来るが、衰退の気配を察するとたやすく離れていくのは世の習い。「そんな時にこそ、大事にしてあげるのが本当の人間なんじゃ」と、武田鉄矢は言ったかどうか。
最後までちゃんと見てやろうと思って行ってみた今年の錦帯橋の桜、ソメイヨシノこそ最後の時であったが、枝垂れ桜はまだ満開で楽しませてくれている。人気のない静かな吉香公園を、人の心の移ろいやすさを思いながら散策してみた。