写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

K Y

2007年09月15日 | 生活・ニュース
 長いサラリーマン時代は、製造業で生きてきた。少しでも油断をすれば大事故につながりかねない現場はもちろん、一見安全そうに見える事務所の中でさえ、「KY」という活動が教え込まれ、それをみんなで実行していた。

 「KY」、それは「危険予知」という活動の頭文字をアルファベットで表現したものである。何か行動を起こそうとした時、それに伴って起こるかもしれない危険を、その作業に従事する者一人一人が立ち止まって考えてみる。

 そしてその対策を講じた後に、作業することで安全を確保するという活動である。事務所の中でさえ、重いロッカーを移動させる時などにはKYをやった。

 私生活では、信号のない道路の横断などで、左右を指で差して車が来ないことを確認して渡るなどが、まさしくKYである。こんな類のものは、日常家の中でもいろいろ見られる。

 「KY」とはこのことだと、すり込みのように思っていた先日、テレビを見ていたら20歳前の若い女性が「あの人はKYだ」というような話をしている。かつての仕事柄「KY」という言葉に敏感に反応して、私は身を乗り出して話を聞いてみた。

 すると、何ということか。この女性の言っている「KY」とは、「空気が読めない」という言葉の略称だという。そう言えば最近トーク番組などで、その場の雰囲気が理解できていなくて、ふさわしくない気まずいことを言ったり行動した時に「KYだね」と指摘される場面を見ることがあった。

 最近の若い女性の言葉は、短縮された略語が多い。この「KY」もその一つだろうが、「危険予知」とは全く関係のない略語であることを初めて知った。

 そう言えばここ数日の出来事で、「KY」の場面をよく見せられている。安倍首相の辞任という、下手なサスペンスドラマの結末のような、どんでん返しのすったもんだの後、「私が……」と次期自民党総裁選に手を挙げた人の中にも「KY」な人がいるようにも思う。

 この場合の「KY」は、空気も読めないし危険予知も足りないという2足のわらじを履いているようにも思えるが、自民党員でもない一市民はそこは我慢して、じっとこれからのお手並みを拝見するしか能はない。 
(写真は、危険予知をし安全対策万全な「ガスコンロ」)