朝日新聞の「声」という読者投稿欄に、「文庫本」という課題でエッセイの募集があった。8月29日に3篇が掲載された。その中の1篇に運良く私の作品が掲載された。
「学生時代に買って読んだ古い文庫本を、いまも大事に書棚に並べている。妻からは『汚いので捨ててください』と言われ続けているが、妻よりも古くから付き合ってきた大事な友なので、そう簡単に別れられない」というようなことを書いていた。
今日(9日)の新聞に、福岡市の60歳のある女性が、私のこのエッセイを読んでの投稿をしている。冒頭に「読んで苦笑しました。逆説的な表現で、掛け替えのない存在は本当は奥様でしょうけれど、どうしても手放せない1冊があるってすてきです」と書いてある。
私は文中で、妻よりも文庫本のほうが大切だとは言っていないが、この女性はそう読み取ったのだろう。書いたものは、自分の手を離れた途端一人歩きをしてしまう。そんなつもりで書いたものではないといっても、そう読む人がいるのは文章が未熟だからに違いない。
まあ、そうは言っても、自分の書いたエッセイに対して、このように具体的な反応があるのは嬉しく楽しい。エッセイを新聞に投稿し始めてから3年が経つが、今までにもこのようなことは2度あった。
何かを書いて投稿すると、それを基にまた新しいエッセイがどこかで生まれる。遠くの見知らぬ人に、強制ではなく自発的に何かを書かせるという不思議な力を生み出してくれる。
このブログを読んでもらっている皆さんも、是非何でもいいから書いて投稿してみませんか。思っても見なかった新しい世界が広がること請け合いです。
もう少し涼しくなれば、読書の秋、燈火親しむ秋。食欲の秋は少しそばにおいて、エッセイ作りの秋にしてみましょう。そして、よろしかったら「岩国エッセイサロン」に入会してみませんか。歓迎いたしますよ。
(写真は、盛況だった錦帯橋での「舟遊び」)
「学生時代に買って読んだ古い文庫本を、いまも大事に書棚に並べている。妻からは『汚いので捨ててください』と言われ続けているが、妻よりも古くから付き合ってきた大事な友なので、そう簡単に別れられない」というようなことを書いていた。
今日(9日)の新聞に、福岡市の60歳のある女性が、私のこのエッセイを読んでの投稿をしている。冒頭に「読んで苦笑しました。逆説的な表現で、掛け替えのない存在は本当は奥様でしょうけれど、どうしても手放せない1冊があるってすてきです」と書いてある。
私は文中で、妻よりも文庫本のほうが大切だとは言っていないが、この女性はそう読み取ったのだろう。書いたものは、自分の手を離れた途端一人歩きをしてしまう。そんなつもりで書いたものではないといっても、そう読む人がいるのは文章が未熟だからに違いない。
まあ、そうは言っても、自分の書いたエッセイに対して、このように具体的な反応があるのは嬉しく楽しい。エッセイを新聞に投稿し始めてから3年が経つが、今までにもこのようなことは2度あった。
何かを書いて投稿すると、それを基にまた新しいエッセイがどこかで生まれる。遠くの見知らぬ人に、強制ではなく自発的に何かを書かせるという不思議な力を生み出してくれる。
このブログを読んでもらっている皆さんも、是非何でもいいから書いて投稿してみませんか。思っても見なかった新しい世界が広がること請け合いです。
もう少し涼しくなれば、読書の秋、燈火親しむ秋。食欲の秋は少しそばにおいて、エッセイ作りの秋にしてみましょう。そして、よろしかったら「岩国エッセイサロン」に入会してみませんか。歓迎いたしますよ。
(写真は、盛況だった錦帯橋での「舟遊び」)