9月に入り、夜はエアコンをかけることは少なくなった。ここ数日は寝る時、エアコンは切ってジャロジーを開けただけで寝ていた。夜中に肌寒くなり、無意識のうちに足元に置いた薄い布団を器用に足でかけていた。
そんな今朝、普段より少し早く目が覚めて階下に降り、いつものように窓を開けた。その途端、冷蔵庫を開けた時のような冷たい風がスーと入ってきた。今季初めて、秋を感じた一瞬であった。
そう言えばこのところ、寝る前にハートリーの用を足させに外に出たとき、辺りの草むらからは虫の声が聞こえていた。夕方の散歩の折には、季節に乗り遅れたかのような法師蝉が、力のない鳴き方をしているのを聞くことがあった。
巡る季節、今、夏と秋がせめぎあいをしているのだろう。朝食を終えた後、机の上の片付けをしながらラジオのスイッチを入れた。松田聖子の懐かしい甲高い歌声が流れてきた。
♪ 風立ちぬ 今は秋
帰りたい 帰れない あなたの胸に
風立ちぬ 今は秋
今日から私は心の旅人 ♪
この「風立ちぬ」の歌は四半世紀も前のヒット曲であるが、「風立ちぬ」と言えば私はやはり堀辰雄の小説「風立ちぬ」を連想する。軽井沢を舞台とした自伝小説だ。軽井沢・高原・白樺・爽やかな風……。
「白樺の林に寝そべって果物をかじっていた。その時不意に、何処からともなく風が立った」と書いてある。「風が立つ」とは、いい表現だ。「風が吹く」でもなく、ふっと風がやさしく吹いてきたという状況だろうか。なんとなく感じは伝わる。
9月ももう中ば、風も立つが、間もなく秋も立つ。思うに任せられないわが身の回りだが、健康のために腹だけは立てずに、季節の変わり目をゆったりと過ごしたい。
(写真は、秋立ち枯葉舞う「我が家の庭」)
そんな今朝、普段より少し早く目が覚めて階下に降り、いつものように窓を開けた。その途端、冷蔵庫を開けた時のような冷たい風がスーと入ってきた。今季初めて、秋を感じた一瞬であった。
そう言えばこのところ、寝る前にハートリーの用を足させに外に出たとき、辺りの草むらからは虫の声が聞こえていた。夕方の散歩の折には、季節に乗り遅れたかのような法師蝉が、力のない鳴き方をしているのを聞くことがあった。
巡る季節、今、夏と秋がせめぎあいをしているのだろう。朝食を終えた後、机の上の片付けをしながらラジオのスイッチを入れた。松田聖子の懐かしい甲高い歌声が流れてきた。
♪ 風立ちぬ 今は秋
帰りたい 帰れない あなたの胸に
風立ちぬ 今は秋
今日から私は心の旅人 ♪
この「風立ちぬ」の歌は四半世紀も前のヒット曲であるが、「風立ちぬ」と言えば私はやはり堀辰雄の小説「風立ちぬ」を連想する。軽井沢を舞台とした自伝小説だ。軽井沢・高原・白樺・爽やかな風……。
「白樺の林に寝そべって果物をかじっていた。その時不意に、何処からともなく風が立った」と書いてある。「風が立つ」とは、いい表現だ。「風が吹く」でもなく、ふっと風がやさしく吹いてきたという状況だろうか。なんとなく感じは伝わる。
9月ももう中ば、風も立つが、間もなく秋も立つ。思うに任せられないわが身の回りだが、健康のために腹だけは立てずに、季節の変わり目をゆったりと過ごしたい。
(写真は、秋立ち枯葉舞う「我が家の庭」)