まつたけ山復活させ隊運動ニュース

 松茸は奈良時代から珍重されてきたが、絶滅が心配される.松茸山づくりは里山復活の近道であり里山の再生は松茸復活に繋がる.

10周年記念誌原稿集(10周年記念誌web先行公開)

2016年04月07日 |  マツタケの林地栽培 

記念誌は、10周年祝賀会後に間をおかずに冊子として刊行する事を目論んでいたのですが、原稿がなかなか集められないまま時間が経ってしまいました。今回、現状を考えて、すでに頂いている分だけを先ずブログ画面に移して公開することにしました。

完成してない記念誌を公開することになったのはただただ編集子の力不足に因るものであり、平身低頭おわびしますが、ここに集まっている10周年記念誌原稿はそのような事由には全く関わらない執筆者等の素晴らしい活力、精神力を表しています。次の10年も、この勢いと心を失わないで各面に活躍をつづけられますように読みとっていただければ幸いに存じます。

記念誌は、1部:10周年記念報告、2部:記念祝賀会記録の2部で構成しています。

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目次

1部   各班の活動

         まつたけ山presen(榎本輝彦) 各班の現在の活動概要を10周年講演会に報告したものを記録 

            玉城山Ⅰ活動記録 榎本班 (榎本輝彦)

           澤田山1地区 阿閉班 (阿閉仁美)

           ヤマガラ班活動報告 (前田 勲)

           ヤマガラの里D地区整備計画

         米作り班活動報告 (玉城 秀夫)

           造営班 活動報告 (橋本敏夫)

           陶芸班 行ってこい帰ってこい窯 (橋本敏夫)

      10周年記念誌に寄せられた、まつたけ山復活させ隊員からの記録

         まつたけ十字軍結成十周年祝賀会によせて     加藤邦彦さん

         京都東山のツブラジイ(小椎)の分布北上を見守る  小吹 和男さん

         まつたけ山復活させ隊 感想文(活動総括)  川本 勝さん 

         私にとって、マツタケ山の活動は  村岸 秀夫さん

         里山を次世代へ託す   堀井 公男さん

         山がより身近になるために  TAKE

         新しい自分を育ててくれた「まつたけ山復活させ隊」   宮崎 昭さん

         まつたけ復活させ隊10周年記念原稿  三輪 新造さん

2部

  10周年記念祝賀会 次第

  集合写真(後ろの方は顔の見えるものを選んでください)  ほか

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 1部 記事

まつたけ山presen(榎本輝彦) (画像で添付)(10周年記念講演会で発表)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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玉城山Ⅰ活動記録 榎本班(画像で添付)

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澤田山1地区 阿閉班(画像で添付)

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ヤマガラ班活動報告                           

1まえがき

 私たちヤマガラ班はH20年2月にグループを結成し、澤田山を中心に活動してきました。山作業はきつく危険を伴うもので、仲間どうし信頼しあい力をあわせることで安全で効率的な作業ができます。ヤマガラは夫婦仲が良く、春先山が芽吹き始めるころ心地よいさえずりで山に入っている私たちを和ませてくれます。 そのような仲睦まじいヤマガラにあやかり、グループ名を「ヤマガラ班」とし活動域を「ヤマガラの里」としました。

2ヤマガラ班の仲間たち

 「ヤマガラの里」整備に取り組んで来た主なメンバー(敬称略)は堀井公雄、小吹和男、周田光男、松浦輝雄、多田博一、小原清、中川肇、吉川均、斉藤武、橋本敏夫、女坂三、斉藤和夫、松本忠明、武田直樹、下鳥大輔、蔡浩光の方々です。

 他にも多くの皆さんが作業に参加されました。

3活動域概要

 (整備期間は補正作業を除く主要な作業を行った期間を示す)

(1)ヤマガラの里A地区

 ・所在地・・・左京区静市静原町842,844番地

 ・整備期間・・・H20年8月~H24年1月

 ・面積・・・・・O.37ha

(2)ヤマガラの里B地区

 ・所在地・・・左京区静市静原町841番地

 ・整備期間・・・H21年9月~H24年1月

 ・面積・・・・・0.28ha

(3)ヤマガラの里C地区

 ・所在地・・・左京区静市静原町842,844番地

 ・整備期間・・・H23年4月~H27年12月(予定)

 ・面積・・・・・0.55ha

4整備前の状況

 活動域は概して、高中木層はヒノキ、コナラ、ソヨゴ、ネジキが多く、アカマツやリョウブ、アオハダなどの広葉樹が散在~点在していました。低木層はコバノミツバツツジ、ヒサカキ、アセビ、サカキを主体としていまいた。

 ヒノキ、ソヨゴが密生し日照が届かないこととニホンジカ(以下シカ)の食害によりコバノミツバツツジ、ヒサカキなど生育の悪い樹木が多く見られました。アカマツの枯立木が多く見られ、林床の大部分は枯死し腐植化したアカマツの残骸で被われていました。いわゆるエスケープヒノキは40~50年前から進入してきたと思われ、それ以前はマツタケの発生するアカマツとコナラを主体とする雑木林であったと推察されます。

5整備方針

 ・整備に当たっては班内で協議し合意形成を図りながら進める。

 ・30年後のマツタケ発生を目指し抵抗性アカマツ苗木を積極的に植える。

 ・植生生態や景観に配慮しつつアカマツを主体とした雑木林に再生する。

 ・シカの食害を受けていないヒノキ、ソヨゴは日照を妨げることもあって皆伐す  ることとし、食害で減少したと思われるツツジ類他落葉樹は極力残す。

 ・シカによる食害を防ぐため整備域周囲にシカ防護柵を設置する。

 ・伐採材は薪材やシカ防護柵の補助材として極力活用する。

6整備作業概要

(1)ヤマガラの里A地区

 アカマツは残し、ヒノキ、ソヨゴは皆伐しました。コナラは比較的小径なものは残し全量の約2/3を伐採しました。ネジキ、アセビは大半伐採しましたが、他のツツジ類や数少ない落葉樹は出来るだけ残しました。

 伐採したコナラやアカマツ枯損木は搬出し、薪に加工して隊の炊事用や活動資金源としました。ヒノキも資材として活用しました。その他の伐採木は大部分を、シカの侵入を防ぐために整備域周囲に巡らせたシシガキに使用しました。

 伐採後は全体に地掻きを行い腐植層を取り除きました。

 作業を始めた頃は樹齢50年前後のアカマツが数十本残っており、同時期に玉城山でマツタケが発見されたこともあってマツタケ発生を期待して地掻きに力を入れたましたが、マツ枯れにより年間数本のペースでアカマツは失われていきました。

 そこで抵抗性アカマツ苗木を積極的に植栽することとしH22年7月70本(広島産)、H25年3月75本(京都産)、H26年3月50本(京都産)を植えました。それと共に畑で育てたり現地採取したコナラ苗木約70本、アベマキとコナラのドングリ約200個を植えました。地掻き材はヒノキ丸太で囲った置き場に集積した後、繁見峠に設けた堆肥置き場を経由して田んぼへ搬入しました。

 当地区整備についてはB地区とともにH23年度の造林事業(天然林改良)の補助金を受けることとなり、伐採率を70%に上げるとともに外周にシカ防護柵274mを設置しました。設置後3~6ヶ月毎に点検していますがシカやイノシシが防護柵を潜って進入した痕跡が時々見られ、シシガキに使った材により補強しています。 設置して約3年経ちますが、以前食害を受けていたツツジ類、ネズ、ヒサカキなどは本来の樹形を取り戻しつつあり、設置前見られなかったアカメガシワ、タカノツメ、ネズミモチ、ヤマハギ、ヌルデなどの稚樹、幼樹が沢山見られるようになりました。秋にはコナラの樹下にドングリが沢山見られるようになりました。

(2)ヤマガラの里B地区

 A地区整備作業をスタートして約1年後、併行して当地区に取りかかりました。

 生き残っていた数本のアカマツは残し、ヒノキ、ソヨゴは皆伐しました。コナラは比較的小径なものを残し全量の約2/3を伐採しました。ネジキ、アセビ、サカキはその大半を伐採しましたが、他のツツジ類や数少ない落葉樹は出来るだけ残しました。伐採した樹木は薪やシカ防護柵などの資材として活用しました。

伐採後は全体に地掻きをした後、抵抗性アカマツ苗木をH22年7月30本(広島産)、H25年3月75本(以下京都産)、H26年3月50本、H27年3月100本植栽しました。これと併行して、畑で育てたり現地採取したコナラ苗木約70本、アベマキとコナラのドングリ約200個を植えました。

 当地区整備についてはA地区とともに補助金を受けることとなり、伐採率を70%に上げるとともに外周にシカ防護柵313mを設置しました。

 設置後の防護柵の点検状況、林内の植生状況はA地区と同様です。

(3)ヤマガラの里C地区

 ヤマガラの里A、B地区の主な作業を終えた時点でC地区整備に取りかかりました。当初は約0.8haの平地部を主体とした区域について、造林事業の補助金を受ける予定で整備を進めていましたが、森林法がH25年に改訂され「森林経営計画」の範囲外は補助金を受けられないこととなり、取りかかった区域の約半分はその対象外とされました。そこで途中で平地部を縮小し、ヤマガラの里A地区に接する山側の急斜面を整備域に加えました。

 生き残っていた数本のアカマツは残し、ヒノキ、ソヨゴは皆伐しました。コナラは比較的小径なものは残し約2/3を伐採しました。サカキ、アセビは大半伐採しましたが、他のツツジ類や数少ない落葉樹は極力残しました。伐採した樹木は薪や板、シカ防護柵の補助材として活用しました。大部分が急斜面であることと残したい樹木を極力避けて伐倒したため、作業は困難で危険度も高かったがH26年末に伐採作業を大半終えました。伐採後大まかに地掻きを行った後、H27年2月尾根部を中心に抵抗性アカマツ苗木を500本植栽しました。

 「特定間伐等促進計画」による補助金を受けることとなり、今年7月中にシカ防護柵を設置する予定です。

7考察および今後の課題

・マツ枯れ対策について

 整備域では競争樹を排除しても地掻きをしてもマツ枯れの進行を止めることが出来ませんでした。アカマツ成木は現時点でA地区9本(1本/410㎡)、B地区1本(1本/2800㎡)、C地区7本(1本/740㎡)しか残っていません。   ベース基地およびその周辺で枯死したアカマツを年間数本~十数本伐採していますが樹齢40年に達したものは皆無です。このような状況から、マツタケ発生には樹齢30年を要するのでマツ枯れ対策としては多少信頼性に欠けても抵抗性アカマツ苗木を積極的に植栽するのが良策と思われ、今後もそのようにしたいと思います。

・ナラ枯れについて

 ヤマガラの里A地区を整備し始めたH20年7月ごろ、当整備域およびその周辺でナラ枯れが発生し、A地区内ではコナラ成木が全部感染しました。A地区内のコナラ成木57本(平均直径18cm)について追跡調査したところ、枯死したものは4本で他は今も順調に育っています。日当たりが良く湿気が少ない場所では比較的小径な(概ね直径20cm以下)コナラは感染しても生き残るようです。

 今後ナラ枯れを防ぐためにも大木となる前に伐採したいと思います。

・シカによる食害対策について

 整備域周辺の山域はシカによる食害のため多くの植物が失われつつあります。放置すれば樹種の大半を占めているシカの嗜好する樹木の稚樹、幼樹が育たず将来歪な植生構成となるのは明らかです。また、近年マツタケのシカによる食害が問題となっているように、菌類の生育にも悪影響をもたらします。私たちは生物多様性をも意図して荒廃した山林をマツタケの発生するアカマツ林に変える活動をしていますが、それを希求するからにはシカによる食害防止対策が必要と思います。これからもシカ防護柵を設置することにより植物や菌類など多様な生き物が生息する里山を復活したいと思います。

・伐採材の有効利用について

 山作りのため樹木を伐採しますが、樹木も我々と同じくこの地球上に生を受けた仲間です。私たちはその命を絶つのですから活用しなくては伐採木は報われません。 そのような観点から、放置する場合の2~3倍の労力を必要としますが、大半の伐採木を搬出し薪材などに加工しています。これは地球温暖化防止の一助ともなります。薪割りなど伐採材の処理はほとんど活動日外に行っていますが、そのようにしてでも伐採材は有効に利用したいと思います。 

・新規整備域について

 既にメンバー全員でヤマガラの里D地区として候補地を選定しています。官庁への必要な手続きを済ませたのち取りかかりたいと思います。

8あとがき

 私たちが住む地球は「先代からの授かりものである」と同時に「次世代からの預かりもの」です。私たちの整備域でマツタケが発生するのは少なくとも30年後と思われ、後に続くメンバーがマツタケを見つけて喜ぶ姿を想像しながら、それを楽しみとして仲間どうし力を合わせて山作りをしています。

 ヤマガラが絶えることなく毎年春先さえずるように「まつたけ山復活させ隊」のなかで「ヤマガラ班」は活動し続けると信じています。

                            (文責 前田勲)

 

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ヤマガラの里D地区整備計画(画像で添付)

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米作り班活動報告

玉城 秀夫

 私たちは活動日の賄い用として、水田(約12a)を借用し米作りをしています。

 多くの方々が米作りに携わっていますが、メンバーは有山さん、斉藤(T)さん、前田さんと私で活動日外も必要な作業を行っています。

 当初は循環型農業を目指し、山作りに伴い発生する腐植土を利用していましたが運搬や施肥に多大な労力を要し、マツタケ発生を目指して山作りをしている私たちにとっては大きな負担となるので次第に使用しなくなりました。 また、無農薬農法が理想ですが雑草取りに多くの労力を要し、怠れば近隣農家に多大な迷惑をかけます。試行錯誤を繰り返してきましたが、今では減農薬・半有機栽培としており、今年を例にとると種籾はキヌヒカリを用い、肥料は堆肥(馬糞と米糠を混合し発酵させたもの)軽トラ4台分(約2000kg)と化成肥料40kg、それに香川山で発生した草木灰(篩いにかけたもの、雑物混じる)約15kgを使い、農薬は標準より少なめとしています。

 これまでの収量(玄米)はH19年14袋(1袋30kg)、H20年15袋、H21年16袋、H22年16。5袋、H23年18袋、H24年12袋、H25年16.5袋、H26年11.5袋でした。

 米作りは田起こしに始まり籾すりまで多くの手間を要し、雑草取りなど他の皆さんの協力無しには出来ない作業も多々あります。収穫の喜びを得るため、また活動日の食費負担を軽いまま維持するために、これからも皆さんの協力を得ながら米作りを続けたいと思います。

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造営班 活動報告(画像で添付)

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 陶芸班 行ってこい帰ってこい窯(画像で添付)

 

   

 

まつたけ山復活させ隊 個人原稿

まつたけ十字軍結成十周年祝賀会によせて   加藤邦彦さん                              

まず ご結成十周年おめでとうございます。
2005年9月から参加させていただいている者ですが病気(極度の免疫低下)のために今回の栄えある祝賀会に残念ながら
出席出来なくなりました。
当初は香川山や玉城山の手入れをさせてもらっていましたが2009年頃から病気により欠席せざるを
得なくなっています。
今では活動報告により かつて一緒に作業したメンバーの多くの方々が元気に山の手入れに活躍されている
姿を見せて頂いておりますが、私も早く元気を取り戻してメンバーの皆さんと共に岩倉の山で汗を流し、この活動に更に貢献して
行きたいものと思っております。
今後とも宜しくお願いいたします。
 
最後になりましたがこの祝賀会の企画推進に当たられました皆様に感謝しますと共にこれを機会に久しぶりなる”まつたけ”の
発生を期待しております。
 
加藤 邦彦
 
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京都東山のツブラジイ(小椎)の分布北上を見守る  小吹 和男

 私は1984年、日本自然保護協会の呼び掛けに応じて講習を受け「自然保護の種を播く」自然観察指導員となって30年になります。

 その講習の中で、近畿地方本来の植生は常緑照葉樹林帯であると話されたものの、京都の山々の現状を見て、その荒れように驚いたものでした。

 当時鴨川二条大橋の西に住した私は、日夜、二条大橋より「ふとん着て寝たる姿の東山」三十六峰を眺め、又、その尾根部分を見てまわりましたが、殆どが表土を露出した荒れようで、どこからでも鴨川や京都市内が見下ろせる状態でした。

 しかし、その後、燃料環境も善くなってか、徐々に山裾からの緑が回復して来て、自然の生命力をたのもしく思っていました。そんな観察を続けるうちに、毎年5月上旬になると、山々の中腹あたりの所々が黄色く染まる事に気づき、知恩院あたりへ見に行くと、それはツブラジイの開花であることがわかりました。

 私は、それなら、毎年5月のツブラジイの開花を記録すれば、京都山地のツブラジイの分布状態がわかるであろうとカラー写真を用いた記録を始めました。航空写真をとれば恐らくタッタ1枚で京都盆地のツブラジイ分布がわかるであろう、更に毎年続ければ分布の移動する速度もわかろうと考えて「追っかけ」を始めました。

 さて、ここに掲げます写真は平成17年、5月に、二条大橋西詰めのホテルフジタ(当時)の屋上から東山の将軍塚を撮ったもので、北は南禅寺から南はイナリ山までを望めます。原画はカラーですので、北限の南禅寺から南は稲荷山まで ツブラジイの花によって黄色く写っています。

 以来、10年になる今年平成27年。当時、南禅寺を北限としていた黄色いツブラジイの開花は徐々に北進してようやく修学院に到りました。その間地図によって求めれば、偶然でしょうか10km。したがってツブラジイの分布北進の年速は1km。なんとも切りの良い答えが出ました。

 ご興味あるお方のご参考になれば幸いです。なお、それぞれの種毎の開花期をとらえて・ドローンによる写真を用いた分布調査も面白かろうと提案いたします。

 

 

 

 

 

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 まつたけ山復活させ隊 感想文(活動総括)    川本 勝

私がこの会に入ったきっかけは、まつたけが採れたという新聞記事でした。

丁度会社を退職し、パソコンで株の売買を頻繁にやっていた時で成績はまずまずでしたが、朝から夕方までパソコンに向かう日々で酷い腰痛に悩まされていて、

気分転換とまつたけ探しが出来、腰痛も治ればと気楽な気持ちで参加・・・ 

あれから6年8ヶ月が経過。手弁当で作業は結構きつく正に土方仕事、でも何故か楽しい。達成感も味わえて晩酌も美味い。又親しい友人も出来て今では一番の宝になっています。会社時代の友人と違い距離感が程良い。

私は友人は多い方ですが、退職後の私の生き方に皆ビックリしています。

   (私の好きな言葉 “万事塞翁が馬”かな)

“まつたけ産業で地域起こしを” 正に壮大で魅力のあるテーマです。

しかし振り返って作業完了地を見ると、松枯れの速さにガッカリします。

何としても我々が手入れしている間に成果を出すことが一番だと思います。

そこで10年を区切りに新しい方法も取り入れたら如何でしょうか?

 

我々が成果を出すことが全国的な活動に広がる契機になると信じています。

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私にとって、マツタケ山の活動は  村岸 秀夫さん (画像で添付)

 

 

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里山を次世代へ託す  堀井 公男さん (画像で添付)

 

 

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山がより身近になるために TAKE

 この活動に参加して確か今年で5年目だと思います。とにかく吉村先生を初め先輩方々には山の事はもちろんのこと、それ以外、普段の生活では得がたい知恵、技術等を教えて頂き大変感謝しています。そして、やればやるほど、ただ単に山自体整備すればいいという事ではなく、社会全体、政治、経済教育等、ありとあらゆる今の生活環境を見直す必要があることに気付かされました。つまり、このまつたけを復活させるという活動はいかに、どれだけの、多種多様の、しかも世代を越えた大勢の人を巻き込めるかに係っていると云うことを、10周年記念のイベントを通してさらに強く思いました。

じぶんは元々「ゆいまーる」という地域通貨みたいなものを使って物々交換会を催してきました。今、考えているのは、その通貨自体、山で廃棄されてしまう木枝を輪切りにしたメダルにし、それを活動の各参加者に手渡します。そして森のサポータになってもらった店を利用した時、そのメダルを渡すと何らかの特典が受けられるようにします。メダルは各店で「ゆいの木」という置物にひっかけて飾ってもらい、オブジェとして他のお客さんにこの活動のアピールをする一方、興味を持った方々には活動への参加を促してもらい、さらにお店側には、メダル特価で山の産物を提供します。

結局、山は山だけで活性化することはあり得ず、かって薪に頼っていた時代が示す通りたくさんの人が生活している街の需要こそ、山の活性化には不可欠であるはずで、そのためには山がより生活の近くにあることを一般の人達に気付いてもらえるようなきっかけ作りこそ、今一番、大事かとおもいます。

 

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新しい自分を育ててくれた「まつたけ山復活させ隊」   宮崎 昭

長かったサラリーマン生活をリタイアして「さあ、これからはやりたかった自然生活を思う存分楽しむぞ」と意気込んではみたものの、場所も知識もスキルも無い身ではなかなかままなりませんでした。そんなときに偶然、当時の「まつたけ十字軍」を知り、活動地が自宅近くだった幸運もあって参加するようになりました。

会員には、山作り、キノコ、動植物、木材、林業道具や機械、アウトドアなどの豊富な知識とスキルを持った方々がおられて、私自身の知識とスキルも少しずつ上がり、今では自分が一番やりたかった自然木を材料とした木工や木彫刻を中心に自然と関わる生活を楽しめるようになりました。

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まつたけ復活させ隊10周年記念原稿  三輪 新造

 今から10年前に発足したまつたけ復活させ隊の活動に参加したのは、9年前の4月のことでした。

それ以来、一年を通して参加して来ましたが、誰に気兼ねをすることもなく仲間と山に入り木を伐ったり、地掻きをしたりして里山の整備をしてきました。それまでは近くに里山があるにもかかわらず、この中に入ってやる作業については何の知識も経験もない何から何まで初めて体験することばかり。岩倉の里山は長い間放置状態が続き土壌は栄養過多の常態で、まつたけが出てくる環境下にはありません。まつたけに会うことはほとんどないにもかかわらず、この会がこれだけ長く続くのは、参加した仲間一人一人が里山の魅力に取りつかれたからではないでしょうか。ここでの活動は誰かに命令されてやるものではないということ。それぞれが里山に入って、自然と向き合い、会話が出来る喜びを感じているのだと思います。仲間の平均年齢はかなり上がってきていますが、参加してくる仲間は元気一杯で、

楽しくこれからも活動を続けて行きたいと思います。 三輪 新造

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(手許原稿終了)

 

2部

10周年記念祝賀会 次第

 (まづ集合写真撮影)

司会挨拶(川本 勝さん) 

実行委員会挨拶(榎本 輝彦さん)

故杉山廣行さん・大月健さんへ黙祷 

香川山地主 挨拶 (香川春男さん) 

乾杯

出荷・販売者挨拶

  京都錦 かね松 上田 耕司さん

  京都寺町 とり市 山本 雄二さん

  兵庫県三田市 丹波屋 丹羽 嘉孝さん

  岩手県山田町豊間根 ますや 升屋 聡さん

演奏(アルトサックスとピアノ)

  Aサックス:小原 清さん、ピアノ:藤林 由里さん

山づくり・生産者挨拶

  石川県能登町 中山 吉男さん

  長野県上田市 宮原 文夫さん(代)

  京都府亀岡市 今西 好文さん

  京都府城陽市 山本 薫さん

  TAKE & DAI(アジアンダンス)

閉会辞(三品 伍樓さん)

 

集合写真(後ろの方は顔の見えるものを選んでください)  ほか

 

 

 

 

 

 

 

(手許原稿終了)

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