まつたけ山復活させ隊運動ニュース

 松茸は奈良時代から珍重されてきたが、絶滅が心配される.松茸山づくりは里山復活の近道であり里山の再生は松茸復活に繋がる.

まつたけ十字軍運動NEWSLETTER-229(写真変更)号-

2007年08月15日 |  マツタケの林地栽培 
103回活動に、参加した子供達とお母さん






まつたけ十字軍運動はなにをするのか?
-結成2周年を記念して-

私たちは、何故山づくりをするのか?
 私たちの活動の場-岩倉-は、いわゆる里地里山と呼ばれるエリアの、林業用地として利用・活用されてきた山林で、典型的な里山と呼ばれる生態系である.昔、健全なアカマツ林で京(みやこ)まつたけの生産地であったが、生活の近代化によって、林が利用されずに放棄され、アカマツ樹勢は衰えた.そこへ追い打ちを掛けるようにマツノザイセンチュウ病がやってきた.被害は激甚で、その処置もままならず、荒れ放題となっている.この生態系をこのまま放置することは生物の多様性の保全上、また、京都の景観上も由々しき問題では無いかと考えている.

 昭和45年頃から始まる高度経済成長下で、農業の変貌や林業の衰退が著しく、里山も価値のない林と考えられ利用されなくなった(1).初期には、「山の緑が豊かになり、樹を伐らないことは良いこと」と考えられたが、昭和65年頃になると「緑豊かで貧弱な生物相」であることが問題になり、今では、環境省のレッドデータブック記載の絶滅危惧種の50%強に当たる生物の生息域は里地里山であることが判明している.国際環境NGOコンサベーション インターナショナルが、「地球規模での生物多様性が高いにもかかわらず、破壊の危機に瀕している地域(ホットスポット)」に日本列島を指定している.里山も、生物の多様性を守る上で、可及的速やかに対策をすべき生態系であろう.

 森林をその成立過程で分けると、原生的な森林、里山林と人工林の三つに区別できる.原生的森林は森林を維持する能力を生来的に内包している生態系である.ある意味では、放置も妥当なエリアであろう.里山林は、原生林に人の激しい働きかけの結果生み出された生態系で、その保全には何らかの人の働きかけが必要である.人工林は材の生産を目的とする林で、人が保育活動を施さねばならない生態系である.

 森林の再生を目的とする活動において、原生的森林や人工林のケースでは望ましい林相が誰にでも分かるが、いわゆる里山においては日本人に共通の林相イメージを欠いている.これが里山再生運動に一定の混乱と停滞を生じせしめている.
 岩倉で活動の場となる林は、京まつたけの生産地であったアカマツ林を中心とする里山である特徴を生かした自然再生方法を取ることが望ましい.すなわち、自然再生推進法第二条に見られるように「過去に損なわれた生態系その他の自然環境を取り戻す」ことである(2).
 従って、山林を、マツタケの生活するアカマツ林を中心とする里山に再生する事業を実施するものである.山と畑・水田と川と海という一連の生態系を重視し、山で生まれる有機物(バイオマス)などを山-畑・水田-川(海)と言う循環系で徹底して活用する.
 事業母体は、団塊の世代と学生を中心に組織されたまつたけ十字軍運動のメンバーと岩倉地域住民によるボランティア活動である.全国的にもマツタケの増産と里山再生を組織の課題にしている団体はここだけである(3).

 この市民運動は、見学者もマスメディアの取り上げも増え、山主である林家も行政も、私たちの運動を理解し、新たな活動の場を提供下さる状況が生まれつつある.また、この運動が全国的な広がりも見せている.私たちの運動が評価されている証であろう.

岩倉の林の現況
 東山はシイ林に置き換わりつつあるが、ここは、それとは異なった遷移を呈している.尾根筋や斜面上部はアカマツを中心とする林であったが、マツノザイセンチュウ枯損木の放置とカシ類、ソヨゴ、ヒサカキなど常緑広葉樹が増加を見せている.下層植生は減少してきているが、まだ、林内は人が歩けないほど密度が高い.また、林床には5~20cmほどの腐植層が堆積していて土壌の富栄養化が著しい.そのため、マツタケが生活出来ない土壌に変化している.菌根性キノコ(マツタケ)とホスト(アカマツ)の共生関係が断ち切られている.中腹以下は、植林されたヒノキのエスケープが優占していて、その生長も悪いが、林床に陽が差し込まなくなってきている.

 全山ともに林床は日照不足を来たし、植物相が貧弱になってきていて、生物の多様性の保全と逆行する現象が見られる.
また、シカ、サルなどによる畑作物や樹木の新芽、樹皮等の食害が多いことも、今後新たな問題となってくるだろう.

作業方法と目標
 基本的には、菌根性キノコとホストがそれらの共生関係を発揮しそして維持され、環境の変化に強い里山林を造り出すことが目的となる.
当該林では、アカマツとマツタケが生活する林として復活させるために、マツタケ発生環境整備作業を実施する(4).また,新しい概念のマツタケ感染実生苗の移植を試みる(4).

 里山の整備には、必ず大量の除間伐材、粗朶、落葉、腐植層など有機物が生まれる.しかし、現在、その処置方法に様々な矛盾が生じている.全国的に見ても、それらを放置しているからだ.
 我々は、森林有機物を一定の保管地に搬出した後、センチュウ病害木は、必ず焼却する.その跡地には植物が生息するので二酸化炭素の収支は問題がないと考えられる.他の材は、石窯の燃料源や炊飯に供する.その他の植物残渣は炭にしたり、チップ化して堆肥とする.それを畑と水田に利用して、循環式農林業のモデルとする.

1)マツタケ発生アカマツ林の場合
手入れは、ゆっくりと環境の変化を与えたが良いので、ここでは5年計画で作業を終える.マツタケの発生位置は正しく知っておく必要がある.

初年度:腐植層は、シロの外側50cmは地面からの厚み3cmを残して、その上の層を林外に出す.ただし、近辺にマツタケのシロのない所はマツタケ未発生林作業と同様に堆積した腐植層を完全に掻き出す.

2年度:大径木(株元直径5cm以上)の広葉樹を根元から伐り、小さく切って林外に出す.

3年度:残った中小径木の広葉樹は、1m2に、3-5本程度残す. 他は根元から伐り林外へ搬出する.

4年度:膝頭より低い潅木は根元から伐り、草本類は引き抜き、すべて林外へ搬出.

5年度:アカマツは枯死木や病害木や被圧木だけを地際から伐り、小さくして林外へ搬出.他のアカマツは残す.

2)マツタケ発生終了アカマツ林の場合
①植生の調節
  植物の密度の適正化:アカマツがほぼ無くなり、他の樹種が優占している場合には、林床の浸食が起こらない場合に限定されるが、択伐もしくはパッチワーク状に皆伐することもある.
この作業は落葉量の調節,土壌水分含量の増加に貢献.伐る樹種、残す樹種にとらわれる必要はないが、有用樹種は残す.作業時期にこだわる必要はない.除間伐材は必ずマツタケ適地外へ搬出しなければならない.
アカマツ:
 枯れ木,被圧木は地際から切る.他のアカマツは残す.
広葉樹:
 大径木 株元直径5cm以上の木は地際から切る.
 中小径木 直径2~5cmの木は密度を3-5 本/m2にする.
 潅木等 草本や潅木は、林床の浸食に注意しながら、地際から切ったり,根から抜く.
②土壌条件の適正化=落葉落枝層と腐植層の厚みの適正化(地かき).
地かきの強さは、褐色森林土壌が見える程度に実施する.
この作業は、以下の(a)-(c)の条件を改善.
(a)物理的要因 土壌の硬度,土壌構造や保水力の改善,根のB層への移行
を促進.
(b)化学的要因 有機物供給源の除去=富栄養状態の改善.
(c)微生物的要因 土壌微生物の質と量の改善=競争微生物や病原微生物の
 減少(5).
③翌年には必ず補整作業 萌芽枝の生長が盛んになるためにこれを行う.
④マツタケマットによる感染苗などの移植
上記の作業を実施後、アカマツ実生の発生とその生長を観察をしながら、マツタケの感染実験などを行う.
 最近は、実験室内で実生アカマツにマツタケを100%感染させられる.野外で移植実験したところ、毎年伸びたアカマツの根に新たなマツタケの菌根が形成されている(6、7).

将来の予想
 アカマツが比較的多く残っている林は、他の高層木が無くなり、アカマツの生長が良くなるため、昭和30年代のように、「パラソルを差したハイヒールの女性が歩けるアカマツ林」に再生できるだろう. 
また、皆伐に近い作業を施した地域では、5年もたつと人の背丈ほどのアカマツが群生してくる.アカマツの生長が大きく、30年も経つともとのアカマツ林に近くなってくる.アカマツの平均樹齢25年くらいで、その密度は約25本/100m2 に自然に調整される.
 言い換えれば、現在アカマツの生育適地と考えられる生態系は、昭和30年代のアカマツ林の景観に戻っていることは間違いない.

では、マツタケの発生については、どうなっているだろう.このことを理解するには、マツタケの生活する条件をよく知る必要がある(略).
 長年の、しかも各地での林づくりでは、マツタケが1本でも発生している林であるならば、手入れをすれば必ずマツタケの発生増が見られた.しかも年を追う毎に、「えっ! こんな所にもあんな所にも、出る.」という現象以外に見たことがない.
 マツタケが生活出来ない状態になっている林を、理想的に手入れしても、マツタケは決して戻ってこない.林相は昔通りになっているが、土壌の富栄養化が進んでいるためだ.
そのような林は、皆伐してアカマツ林を再生しているが、その結果は、正直言って分からない.というのは、近代的マツタケ学は、師匠である故濱田稔先生が興された.それは戦後のことである.そのことは、マツタケ学は実験・観察を一代のアカマツ林でしか行っていないことを示している.二代、三代・・・・と続くアカマツ林での実験・観察がないのである.   

 都が奈良から京都に移って、原生林がアカマツ林に置き換わり、マツタケが採れ始めるのに、文献上であるが120年の時間を必要としている.地上部の林相は、マツタケが足の踏み場もないほど採れた時代の様子に30年もすれば戻せるが、土壌が、マツタケの生活できる状態に戻るために必要な時間は、今のところ誰も分からないからだ.
 成功すれば、皆さんが、世界で初めての人である.

                                 2007年8月
                            まつたけ十字軍運動
                            代表 吉村 文彦


参考・引用文献
1)田端英雄編著 1997 里山の自然、保育社
2)自然再生推進法 第二条
3)吉村文彦 2006 里山再生とマツタケ増産をめざし、動き出したまつたけ十字軍運動 特産情報 1月号 pp.4-7
4)吉村文彦 2005 ここまで来た! まつたけ栽培、トロント
5)吉村文彦 2003 土壌微生物社会における拮抗と協同 二井 ・堀越編著 土壌微生物生態学 朝倉書店 pp.134-150
6)吉村文彦と津田 格 2005 里山保全とマツタケ増産の取り組み エコソフィア 16号 昭和堂 pp.22-27
7)吉村文彦 2005 マツタケ菌根の人為的形成 化学と生物 第43巻 5月号 pp.285-287  

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