まつたけ山復活させ隊運動ニュース

 松茸は奈良時代から珍重されてきたが、絶滅が心配される.松茸山づくりは里山復活の近道であり里山の再生は松茸復活に繋がる.

まつたけ十字軍運動NEWSLETTER 53 号 シンポジウム「マツタケ再生に向けて」の報告

2005年12月28日 |  マツタケの林地栽培 
京都大学マツタケ研究会の大月 健さんより、11月26日に行なわれたシンポジウムの報告が寄せられました.全国から多くの参加者がありました.写真はシンポジウムの様子(京大マツタケ研究会提供)        
                          
 吉村文彦さんが「岩泉まつたけ研究所」の15年の実績を持って、京都に帰って来られました。京都で「都マツタケ」の再生を図りたいと吉村さんはいいます。はなしは「マツタケ」です、酒宴の席で吉村さんと農学部学生5名が意気投合します。京都大学マツタケ研究会はこんな感じで発足しました。
 
 京大北部祭典企画としてシンポジウム「マツタケ再生に向けて」を11月26日に京大マツタケ研究会で催しました。その報告をしたいと考えます。
 参加者は約60名です。岩手県大野高校の中村三千男校長、静岡から岡本さん、石川県珠洲市から水鶏さん・今井さん、岐阜から玉井さんと参加者は広範囲に渡っています。名簿を見て、私たちは驚きました。吉村さんのブログ「マツタケ十字軍運動ニュース」の影響でしょう。遠方から本当にありがとうございました。
 
 講演は吉村文彦さんの「マツタケ栽培の可能性」から始まりました。参加者は多くが年配の方です。「マツタケ」に対する想いが強く、異様(?)な雰囲気が会場を満たしました。異空間といった感じです。それがシンポジウムの最後まで途切れませんでした。これが「マツタケ」の秘めたる力なのでしょう。吉村さんは、マツタケ再生には「昭和30年代」の里山林に戻す事が必要だと提言します。当時、里山林は村人の生活と共にありました。燃料として木を伐り、肥料として柴を掻いていました。村のエネルギー源が石油に変わって里山は放置され、衰退することになります。マツタケ再生は里山保全と表裏の関係にあります。「都マツタケ」の再生は京都周辺の里山の復活を意味します。吉村さんの熱意は「マツタケ十字軍運動」として定着し、現在、素晴らしい人々のボランティア活動によって支えられています。
 
 津田格さんの「マツタケ菌糸マットによる人為的シロの形成」はマツタケ生産者にとって垂涎のテーマです。吉村さんが「岩泉まつたけ研究所」で考案し、津田さんが岐阜県立森林文化アカデミーの実験林で試行しています。「マツタケ菌糸マット」が有効に作用したとしてもシロの成就とマツタケの子実体形成には時間がかかります。5年先でもそれが確実ならば「人為的シロの形成」は魅力的です。「マツタケが発生しても取らず、開きにして胞子の発散を考え、腐植にも意味があるのでは」と津田さんは考えます。マツタケを採って食べることはないと、彼はいいます。研究者は過酷だな、と思います。
 
 パネル・ディスカションは「マツタケ―生産・流通の側面から―」というテーマで、吉村さんと津田さんに、錦の老舗「かね松」の上田耕司さんと「京北マツタケ生産振興会」の井本寿一さんに加わってもらいました。
 
 上田さんは明快に語ります。祖父の時代の口上は「マツタケといえば都マツタケやで、丹波のマツタケとは違うで」、父の時代の口上は「マツタケといえば丹波マツタケやで、広島のマツタケとは違うで」、私の口上は「マツタケといえば国産やで、外国産のマツタケとは違うで」。マツタケの衰退の歴史を示しています。吉村さんの「都マツタケ再生運動」に大きな期待を抱いていると、上田さんはいいます。
 
 井本さんは持山を「京北吉野山自然観察の森」として、子供たちに開放しています。マツタケの発生場所(シロ)は内密で、親父も教えてくれなかった。自分で新たに探さなければならない、といいます。井本さんはマツタケ山の施業の仕方を聞きに「岩泉まつたけ研究所」の吉村さんを訪ねたそうです。その熱意が吉村さんの帰洛を導いたのかもしれません。
 
 質疑応答のところで、吉村さんが中村校長を紹介し発言を求めました。大野高校はアカマツ林を借りて校内行事「マツタケ山プロジェクト」を展開、今年35本のマツタケを収穫しています。京都のマツタケ山試験林の貧弱さにはちょっと驚かれていました。質問者の内容もまた専門的です。マツタケの大きさはある意味では腐植層の厚みに比例します、妥当な腐植層の厚さは何センチでしょうか。実践している方の質問でしょう。
 
 司会は農学部三回生の星野君、ビデオ撮影は理学部院生大石君、写真は農図の水野君が担当しました。受付は「京大植物園を考える会」の影山さんと久松さんにお願いしました。
 
 場所を変えて懇親会を開きました。参加者は約20名。毎年、北部祭典に店を出す信州飯田の「ひさかた風土舎」の味も香りも濃厚なマツタケ酒がふるまわれました。吉村さんは岩倉村松の試験林でマツタケが発生するのは早くて5年後だといいます。迂遠な「マツタケ」の姿をそれぞれ幻視しながら語らいは続きました。酔いがそれをあおります。
(文責 大月)
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