臨済宗・建長寺派の大本山の建長寺は、北条時頼が建長五年(1253)に宗から来日していた
高僧・蘭渓道隆を招いて建立した我が国最初の禅寺です。
回春院
私たちが脇道を下って着いた大覚池の畔には、建長寺の塔頭・回春院がありました。
この一帯は朱垂木やぐらなど、多くのやぐらが点在する広大な谷戸を擁しています。
天園ハイキングコースから巻いて下ってきた建長寺
この日のルートは仏殿をお参りしてから、半蔵坊経由で登り
再びハイキングコースの「勝上献」の展望台に戻るようです。
方丈入口の「唐門」
重要文化財で仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人(お江さま?)崇源院霊屋から移築したもの。
関東大震災以来の大修理が2011年5月に終了し、移築当時の姿が再現されました。
(ウキペディアより)
新しくてピカピカの「唐門」です。
時間があれば方丈の中に入り、夢想国師作の名庭園を見物する事もできます。
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ここで各自自由に仏殿に安置されている御本尊の地蔵菩薩坐像をお参りしました。
この地蔵菩薩は室町期のものと考えられ、像高は371.5㎝
創建当時の伽藍配置は、総門、三門、仏殿、法堂などの主な7つの建物が中軸上に並ぶ
中国の禅宗様式の伽藍配置になっており、49の塔頭(小寺院)を有する大陸的な荘厳なものだったとか
その後、14,15世紀に起こった数度の火災で、その多くが焼失してしまいましたが
江戸時代に入り、高名な沢庵和尚の進言で再建されたそうです。
半憎坊へ
建長寺裏山の中腹にまつられているのが半僧坊、およそ200段の石段を歩いて登ります。
天狗の像や寄付者の石碑が面白い・・・
明治時代に静岡の方広寺(奥山半僧坊)から建長寺の鎮守として勧請しました。
金200円って、当時では今のいくら位だったのでしょうね?
半僧坊からさらに石段を登っていくと、天園ハイキングコースの「勝上献展望台」にたどり着きます。
途中振り返って見た「建長寺」
オニギリを食べた展望台に、一時間半かけて戻ってきました。
この一週間前にはオフ会や学生時代の友人たちとの食事会で
ちょっとお洒落して5㎝のヒールのロングブーツを続けてはいて、左足の薬指にマメができ
それが痛みだしました
再び天園ハイキングコースを歩きだし、覚園寺方面に下ります。
覚園寺は寄らずに鎌倉宮前をかすめて、一路住宅街を歩いて最後の「浄妙寺」を目指します。
鎌倉宮の鳥居の横に早咲きの桜(河津桜?)が咲いていました
鎌倉五山第5位「浄妙寺」
午後3時過ぎにようやく浄妙寺に着きました。
途中神奈川県警の機動隊の腕章をつけた屈強な男性たちが、四辻ごとに立っていました。
「何事」
どうやら鶴岡八幡宮で皇太子殿下が会議に出席なさり、この通りが帰路となるらしい・・・
機動隊の方々の物々しい警備は朝比奈インターまで続いているのでしょうね。
ご苦労様です。
こちらは2012年3月12日に行った時の浄妙寺です。
この時は梅が見事で、ユキワリイチゲも咲いていましたこちらです。
今回行った1月24日は、まだすべてが固い蕾でしたね。
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私たちはご本尊の釈迦如来が祀られている本堂をお参りして、一休みし・・・
神奈川県警さんが立ち並ぶバス停からバスに乗り、鎌倉駅に出ました。
解散は午後4時近く・・・
休憩時間を入れて6時間以上の鎌倉歩き
流石にワンゲルの会、たくさんたくさん歩きました。
我が家の家庭菜園
去年は色々ありすぎて、畑まではとても手が回らずやめるつもりでいましたが
お隣の畑をやっているご近所仲間のノンちゃんのご主人が綺麗に草を刈り土を施してくれたので
やらないわけにはいかず・・・
ブロッコリーの苗を八本買ってきて植え付け
葉物と大根のタネを蒔きました。
1月には小さいながらもみな見事に茂り・・・
私も毎日食して、お蔭で風邪もひかなくなりました。
それが何と言うことでしょう
2月になったら鳥たちに、見事なまでに食べられました。
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ブロッコリーは脇芽も次々に出て、春先まで楽しめるのですが
葉っぱがなければそれも無理
菜園をやって20年以上になりますが、こんなことは初めてです。
それだけ鳥たちにとって、今年の冬は餌不足ということでしょうか
辛うじて食べられるのは大根だけとなりました