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花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

映画「アイガー・北壁」を観て・・・

2010年07月11日 | 映画、観劇
丁度一ヶ月前、まだ母の入院騒ぎが起きる以前のこと・・・
私は近くの駅前のショッピングセンターに買い物に出かけた際、ミニシアターのポスターに
”本日「アイガー・北壁」最終日”と書かれているのを見つけて、思わず入って観てしまいました。


《ナチス政権下、若き登山家が挑んだ前代未聞の絶壁ーー》
《アルプス登攀史上、最大の事件と呼ばれた衝撃の実話!》
ポスターに書かれた文字に惹きこまれてしまったのです。


1930年代、ヨーロッパ最後の難所と呼ばれ、何人もの一流アルピニストの挑戦を阻んできたアイガー北壁。

ベルリン・オリンピックを目前に控えた1936年夏、
ナチス政府は国家の優位性を世界に示すべく、ドイツ人によるアイガー北壁初登頂を
大きな目標に掲げ、成功者にはオリンピックと同じ金メダルを授与すると約束していた。

そして、トニー・クルツとアンディ・ヒンターシュトイサーの2人のドイツ人と
オーストリアの2人の登山家がアイガー北壁への挑戦を開始する。
麓には、今度こその期待を膨らませた記者や見物客が押し寄せ、彼らの命を懸けた闘いを固唾を呑んで見守る。
そんな中、快調に北壁を登っていく4人の登山家たちだったが…



スイスのベルナーオーバーランド地方の美しい山岳風景を舞台に話は進み、前半は楽しんで観ていましたが
一転、後半の壮絶な猛吹雪の中の遭難場面は悲惨で、観ている私も力が入り体中が固くなってしまいました
「人間は何故?こんな危険を冒してまで山に登るのだろう」
征服欲?功名心?

山国で育った幼馴染の2人はただただ純粋に「山が大好きで、山を愛していた」だけだったのに・・・

「ベルリンオリンピック」を政治的に利用しようとしたヒットラーは、登山の領域までも手を広げ、
そしてマスコミもそれに加担して、国家高揚を煽って行ったのです。


気象観測も今ほど発達していない中での「運まかせの登山」
山の装備も貧弱です。

若き登山家トニー・クルツの元恋人、雑誌記者のルィーゼは、ユングフラウ登山鉄道駅
「アイガーヴァント駅」の氷河への出入り口から大声でトニーの名前を叫びます。
ナント!その声が聞こえる位置で生死の戦いに挑んでいるトニー・クルツがいるのです。


10年前の結婚30周年の時に行った私の「スイスハイキング旅行」のアルバムを開いてみました。
その中にユングフラウヨッホ駅から自宅宛に出した1枚の絵葉書があります。
日付が2000年7月11日
10年前のまさに今日、私たち夫婦がユングフラウヨッホで書いた絵葉書でした

<>

マウスオンでご覧下さい

標高3456mの所にあるユングフラウヨッホ駅には、日本でお馴染みの見慣れたポストがありました。
現地の郵便局が日本の富士郵便局と姉妹関係にあるそうで、この世界一高い所にあるポストは日本製

この絵葉書には
「今、ユングフラウヨッホのスフインクス展望台です。一面雪の世界・・・
何も見えなくて残念ですが、いつか叉必ず訪れたいです

という私の文字が綴られています。

そして
「頭がボォ~っとしています。外は真っ白、世界で一番高い郵便局より発信します」
という主人の文字が並んで書かれています。
この時、主人は高山病気味だったことが分りました


2000年7月11日
朝一番の電車に乗ってホテルのあるインターラーケンからグリンデルバルトに向かいました。
残念ながらお天気は下り坂・・・


山々は雲の中でした。

童話の世界に出てくるような美しいグリンデルバルトの村から更にゴンドラに乗って上ります。
一面霧の中で何も見えません。
牛さん達のカウベルの音だけが下から聞こえてきました。


我々も「アイガー」「メンヒ」「ユングフラウ」の三山を眺めながら、
このような美しい中を歩くはずだったのですが・・・


7月上旬だというのに雪がどんどんひどくなり、まるで「「八甲田山雪中行軍」状態


私の持っていたミニ傘の骨も雪の重みで折れました

スイスのお天気が安定しているのは9月と聞きますが、やはり高山植物の美しい季節に行きたいものです。
この時も、スイス三大名花の一つ、ピンクの「アルペンローゼ」が綺麗でしたが


トラノオもご覧の通り雪に埋もれていましたよ


ようやく「クライネシャイディック」に到着して昼食タイムでしたが、
手足がすっかり凍えていました。

「お天気が良ければ、目の前がアイガー北壁よ~」と添乗員のみ~ちゃんが説明してくれましたが
今考えると、この時の北壁は強烈な吹雪状態だったのでしょうね。
まさに「山には魔物が住んでいる」と言われる所以です。


私たちはクライネシャイディックからユングフラウヨッホまで登山電車に乗りました。

この「ユングフラウ鉄道」は1896年着工、1912年に開通した、全長9.3kmの山岳鉄道です。
そのほとんどがトンネルで7.4キロメートルにも及びます。

途中の「アイガーグレッチャー駅」(2320m)と「アイガーヴァント駅」(2865m)からは
外の氷河を望むことが出来るので、停車時間も長く設けられています。


私たちもシッカリと氷河を覗きました。

この映画でも、ルィーゼはこの「アイガーヴァント駅」から、必至でトニーの名前を呼び
頭を下げて来てもらった救援隊共々氷河へと一歩を歩み出すのですが、
猛吹雪に阻まれて・・・

今回観た映画は、このように10年前の「スイスハイキング旅行」を思い出させてくれた映画でした。
日本での封切りは今年の3月だったので、今興行している劇場はないかもしれませんが、DVDも出ているようです。
興味のある方はオフィシャルサイトのこちらをご覧下さい。


こちらのザックは、ユングフラウ鉄道のキオスクでしか売っていないもの・・・
肩賭けショルダーとリュックの両方が使える優れものです。

ベルト部分のチロリアンテープがとても可愛い

スイスで連日一緒にハイキングを楽しんだ奥様同士、現地ガイドさんが持っていたこのバッグが気に入り
親しくなった4人が買いました。

夫たちは「どうせ押入れのゴミと化すから止めておけ」と反対したのですが・・・
私はカメラを入れて、近場の鎌倉歩きなどに重宝していますよ

これを買ってもう10年が過ぎたのですね。
まだ全然傷んでいません。

鎌倉でこのザックを背負った中高年女性を見つけたらそれは私です。
是非声をかけてくださいね。

 
       

母の入院に関しては皆様からたくさんの温かい励ましを戴き感謝しております。
お陰様で最近の母は38度以上あった熱も37度前後の微熱に下がり、少し食欲も出てきました。
「肺炎」は併発していないようなので私もホッとしています(まだまだ楽観はできませんが)

すると途端に医師から「退院話」が出てきて、大変戸惑っています。
まだ微熱もあり血尿も出ていますし、タンの吸引などもやってもらっているのに何故
「つまりは病院を追い出されるってわけ」ですか?


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20 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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☆夢路さんへ (naoママ)
2010-07-15 21:58:04
スイスからの無事の帰国、おかえりなさ~い♪
12日間、晴れ間が続いたとは羨ましい限りです。
ご夫妻の日頃の行ないが良かったせいでしょう・・・
私たちもシャモニーとツェルマットでは晴れていたのですが、最後のベルナーオーバーランドでお天気が崩れました。
「次回はドイツロマンチック街道&ユングフラウヨッホ」と添乗員さんに勧められて10年が過ぎました。

ウェンゲンからクライネシャイデックまでのハイキングコースが落石ですか
地球温暖化の影響で「氷河」が短くなったとは聞きましたが、夢路さんは実際に同じコースを歩いて実感したのですね。

この実際にあった映画の物語は1930年代ですから、今よりきっと寒さが厳しかったのでしょうね。

私は母の入院騒ぎで、暫くは遠出は出来ませんが・・・
日本の蒸し暑い梅雨時に思い出すのは最近行った「エジプト」ではなく、断然「カナダ」や「スイス」の山々です。
夢路さんのスイストレッキング紀行を楽しみにしておりますよ。
返信する
☆紅さんへ (naoママ)
2010-07-15 21:32:33
紅さんのユングフラウ観光はお天気にも恵まれ、アイガー北壁をシッカリと眺められたのですね。
素晴らしいです。
それにしても、アテネから北欧までの旅とは恐れ入りました。
日時も、お金も、体力もさぞかしかかったことでしょう。
でも若さがあれば乗り越えられますね。
出来る時にやって正解でしたね

母の主治医からは「社会的生活がちゃんとできる人でないと治療しても無駄」というような意味のことをいわれました。
両親の世代は、生まれた時が大震災、青春時代は大戦争・・・
そして苦労して戦後の日本の復旧に力を注いだ世代なのに
人生の最終章でこのように言われては哀しすぎます。

母は昨日退院しましたが、紅さんの義兄さんと同じ様に、これからも何度か入退院があるでしょうね。

返信する
☆magamikさんへ (naoママ)
2010-07-15 21:12:43
私と主人が着ている色鮮やかなものは、山用の雨具です。
ハイキング中、雪が降ってきたので身につけ、その後寒さもあり脱げませんでした。

映画は我々が味わったと同じ様な雪と寒さの中、あの絶壁にアタックする山男の物語です。
観ている方も緊張して、体中が固くなってしまいました。

母は弟夫婦が仕事の休めた昨日退院しました。
「退院おめでとうございます」と言われても違和感がありましたね。
病院は患者の病気は治してくれるかもしれませんが、人間的ふれあいがなく、年寄りはあっと言う間に「認知症」が進みます。

母はモチロン、周りの方々からも辛い現実を見させてもらいました。


返信する
スイスハイキング (夢路)
2010-07-15 10:53:28
naoママさん、ただいま!
一昨日帰国しました。
奇しくも7月11日私達もグリンデルバルドにいましたよ。
naoママさんには申し訳ありませんが、12日間見事な晴天続きでした。
10日にユングフラウヨッホに上がり、メンヒヒュッテまで雪原を歩きました。
午後ヴェンゲンからクライネシャイデックまでハイキングの予定でしたが、
落石でコースが通行禁止、今回唯一歩けなかったハイキングコースです。

11日はフィルストからファウルホルン登頂。
私も32年前子供達を連れて同じコースを訪れましたが、雪が多く雪原を歩きました。
同じ時期にも関わらず、今回は緑青々で地球温暖化を感じました。

「アイガー北壁」の映画は是非観たいと思っていましたが、残念ながら観る時間がありませんでした。
映画はあまり好きでない主人が出発前珍しくひとりで観に出かけました。
アイガー北壁を目の当たりにして、無理をしてでも見ておけばよかったと思いました。
DVDが出ているそうで、嬉しいです。

ボチボチですがスイス旅行記して参ります。
お暇な折、お遊びにいらしてください。
返信する
懐かしいです。 ()
2010-07-15 08:51:08
>童話の世界に出てくるような美しいグリンデルバルトの村から更にゴンドラに乗って上ります。
私がここを訪れたのはもう40年近くも前です。
お天気が良くてアイガー北壁も見ることが出来ました。
さすが「アイガーヴァント駅」で下車して氷河を見た時には寒くてぶるぶるでした。
アテネから北欧までの長旅の途中で立ち寄りましたが、最も印象に残ってます。
未だ海外旅行が一般的ではなく、とても高価な旅行だったと記憶してます。
主人と一緒でしたが、当時未だアパート住まい、
両親から「少し将来のことも考えなさい」と言われながらの借金旅行でした。(笑)

お母様、心配ですね。もう退院なさったのでしょうか?
義兄も同じような理由でもう3回も入退院を繰り返しています。
今までの日本の復興、繁栄を担ってきた人生の先輩です。
もっと手厚い看護をと思うのは人情ですよね。
返信する
スイス旅行 (magamik)
2010-07-14 21:47:53
こんばんわ~
10年前にスイス旅行をなさったのですね。
色違いのお洋服がお似合いの素敵なカップルですよ。
折角の旅行でしたのにお天候に恵まれなかったのが「アイガー・北壁」と重なり、身に迫るものを感じられたことと思います。
日本の郵便ポストがとてもよい感じです。
嬉しくなりますね。

お母様快方に向かわれ何よりです。
しかし、今の病院はどこも長くはおいてくれないようですね。
また、新たな心配が生まれそうですね。
人生の終末期がどうなるのか、noaママさんから
教わってるような気がいたします。



返信する
☆ごん魔女さんへ (naoママ)
2010-07-13 22:36:50
ごん魔女さんにとっては、お母様と旅した思い出の「ユングフラウヨッホ」でしたか・・・
ごん魔女さんも主人と同じ様に「高山病気味」?私は大丈夫でした。

私と母との二人旅はもっぱら伯母たち(母の2人の姉)のお見舞いを兼ねた札幌と佐渡行きでした。
札幌ではいつもシティーホテルに泊まり、ついでに富良野や小樽まで足を伸ばして温泉を楽しんだり美味しい物を食べたりしましたね。
海外は弟一家も一緒に全員で行った「ハワイ」だけですが良い思い出となっています。

昨日ジックリと主治医と話しました。
抗生物質の点滴を止めても高熱が治まっているので、施設で様子を見てくださいと言う事でした。
これからの課題は山積みですが、今週中の退院となりそうです。
決して元気になったわけではありませんが・・・
返信する
☆だんだんさんへ (naoママ)
2010-07-13 22:14:37
私たちのスイス旅行の行程は最後がこのベルナーオーバーランドでした。
その前に、シャモニーやマッターホルンの麓のツェルマットに滞在し、好天の中をハイキングしましたので・・・
正確には10年前の7月11日はアイガー周辺を歩き、ユングフラウ鉄道に乗っててっぺんのユングフラウヨッホに行った日ということです。

今回の映画にもこの登山鉄道のシーンがたくさん出てきました。
何しろ、命をかけてアイガー北壁に挑んでいるクライマーは駅から叫べば聞こえる位置にいるのですもの、驚きました
この映画のDVDはすでに発売されているようですよ。

母は腎盂炎は良くなったようですが、痩せて日に日に意識が朦朧としてきて反応が鈍くなりました。
これではとても快方に向かっているとは思えませんね。
返信する
懐かしい~~ (ごん魔女)
2010-07-13 20:40:31
ユングフラウヨッホは母と行きました。
グリンデルワルドで泊まりスイスの雰囲気にどっぷりとつかっていました。
登山電車で頂上まで行き降りた瞬間気分が何やらふわふわしたのを覚えています。
あの時の母は元気で私と二人の旅行が嬉しくてとても喜んでいたのが昨日のことのように思い出されます。

山に興味のない私でも雪に包まれた山々は迫りくるものを感じました。

お母さまの状態が快方に向かっているようでホッとしています。
病院と言うところは難しいものですね。
お母さまにとって一番良い方向にと祈る思いです。
返信する
アイガー北壁 (だんだん)
2010-07-13 14:35:46
naoママサンが、10年前、7/11にスイスへ行かれたのですね。
奇しくも、あの時の北壁を思い出す映画をご覧になって、甦りましたね。
是非レンタルで探します、まだ出てないでしょうけど。
以前ドイツの夫婦に招かれて、夫婦四人で走り回りました。
スイス、サンモリッツ、どこか知らない氷河の峠、ザルツブルグ、ウイーンと。
初めての海外旅行でしたね。
「あれがアイガーだ!」と言われて、車のルーフを開いて見上げました。
天に突き刺さるような頂上に大感激!涙がでました
ユングフラウヨッホでは、短パン、キャミソール姿の外人に仰天!
スイスはクーラーが無かったのですが、今は温暖化の影響で夏は暑いそうです。

母上の容態が少しよくなったのですね。
どこでも追い出されるので、家族は落ち着きませんよね!
返信する
☆marriさんへ (naoママ)
2010-07-12 22:31:00
梅雨の鬱陶しい中、日々病院通いが続いている私・・・
思い出すのはもっぱら「カナディアンロッキー」や「スイスアルプス」の雄大な景色と爽やかな風です。

ブログネタとしては「エジプト紀行」の画像が山ほどあり、早くまとめねばと焦りますが・・・
今、気分的に「砂漠のお話」を綴る気持ちになれないのです。

このユングフラウ鉄道のキオスクで買ったザックの模様は、スイスの代表的なお花が描かれています。
白いエーデルワイス、ピンクのアルペンローゼ、ブルーのゲンチアナバーナ(りんどう)がスイス3大名花です。

身辺が落ち着いたら、季節の良い時にこのザックにカメラを入れて叉鎌倉に出没するつもりです。
是非marriさんをご案内したいものですね。

返信する
☆616さんへ (naoママ)
2010-07-12 22:15:24
お久しぶりです。
616さんのお誕生日旅行で行かれた「サイパン島」の美しい海を見て驚きましたが・・・
足跡も残さずに失礼しております。

初めての海外旅行が「ドイツロマンチック街道&ユングフラウヨッホ」でしたか・・・
それもお天気に恵まれたなんて羨ましい限りです。
私はずっとそのコースに憧れつつ10年が過ぎてしまいました。

スイスの風景はまさに「ハイジの世界」そのものですね。
でもお天気が崩れると7月でも雪に変る厳しさで・・・
「アイガー北壁」での悲劇も想像できました。

母は今の私の歳のときに、2週間にわたって父と「ヨーロッパ熟年の旅」に出かけてユングフラウヨッホにも登っています。
病室ではその時の思い出も話しかけているのですが「忘れた」という反応しかないのが哀しいですね

返信する
紹介の仕方が素晴しい! (marri)
2010-07-12 20:20:05
この映画観たくなりました。
それに、貴女の旅行が被さって来るのね!心憎いね!
折角の写真、ザンネンだわ。想像の世界に押し込めてしまいました^^;;
ザックは私好みの柄です。鎌倉で会おうぜい~♪
旅の思い出、いい紹介の仕方されましたね!さすがです。いつもながら楽しめました!
返信する
思い出します (616)
2010-07-12 15:09:36
私の生まれて初めての海外旅行がヨーロッパ、
ロマンティック街道のツアーでした!
あの頃は海外に全く興味もなく、
ただ母親に連れられて行っただけでしたが…

年配の方々に、
「その歳でこのツアーなんて贅沢!」
と言われたのを覚えています(笑)
(ハタチくらいだったかな?)

でもユングフラウヨッホ懐かしいです。
大きなセントバーナードがいて、
カウベルを付けた牛たちがいて、
家々の窓辺にはキレイなお花があって…
ハイジの世界だ!と感動しました。

私たちは天気に恵まれて、
美しい景色を堪能できました。

naoママさんのブログで、
久しぶりに写真を引っ張り出そうと思います。

お母様のことで心労も多いでしょうが、
くれぐれもご自愛下さい。
スイス再訪日記、楽しみに待っていますので
返信する
☆地理佐渡さんへ (naoママ)
2010-07-12 09:55:59
私が参加した「スイスハイキングの旅」はジュネーブからフランスのシャモニーに入り一泊、次ぎにマッターホルンの麓のツェルマットで三連泊をして自由にハイキングを楽しみました。
ここまではお天気も良かったのですが、氷河特急に乗ってベルナーオーバーランドに移動した頃からお天気は下り坂となりました。
インターラーケンで2泊しましたが、2日とも小雨模様でした。

「次回はドイツと組み合わせてのグリンデルバルト泊まりを薦めるわ」とこの時の添乗員さんに言われてはや10年が過ぎました。
スイスのハイキングなら少々脚力が衰えても歩けそうです。まだまだ諦めてはいませんよ。

最近の医療機関は老人には冷たいです。
「健康保険を圧迫している原因」とはっきり言われましたよ
返信する
☆山小屋さんへ (naoママ)
2010-07-12 09:42:11
最近の地域の中核病院は、ボケている老人は相手にしてくれません。
「社会生活がちゃんとできる人を助けるのが最優先」なんだそうです。
そして「今の日本の健康保険制度をひっ迫させているのは老人」と決め付けています。
判らなくはありませんが、医者からそうはっきり言われると「カチン!」ときます。
つくづく「死ぬまで元気でいたい!」と改めて思いましたよ。

スイスはマッターホルンの麓では晴天の中、心行くまでハイキングを楽しみましたが、
このグリンデルバルト周辺はまだまだ心残りです。
「アイガー・北壁」は無理としても、クライネシャイディック周辺は是非もう一度歩いてみたいところです。

軽飛行機から雄大な山々を見下ろすのも気持ちが良かったでしょうね。
ツェルマットでのフリータイムの日、私たちがハイキングを楽しんでいた時、「ヘリコプターで氷河見物」を楽しんだツァー仲間がいましたよ。
返信する
☆ekoさんへ (naoママ)
2010-07-12 09:27:03
10年前の「スイスアルプスハイキング旅行」、良い思い出として残っています。
ツェルマットに3連泊して、各自自由にハイキングした時は晴れて、目の前のマッタホルンが良く見えましたが・・・
こちらのユングフラウヨッホでは雪となり「アイガー・北壁」も見損ないました。

スリル満点のロッククライミングの世界は、私の行く「山登り」とは全然違う世界なので、私はとても真似できません。

母が救急車で入った病院は2~3週間の入院がせいぜいで、「若くて元気な社会生活が出来る人の完治が最優先」のようです。
「取り合えず施設で様子を見てください」と言われてしまいました。
施設では「医療行為」はできません。
施設から入所を拒否されたらどうなるのだろう?と不安がよぎります。
今日の午後、主治医との面談がありますので、行って色々聞いてくるつもりです。

返信する
ヴェルナーオーバーラント (地理佐渡..)
2010-07-12 06:35:42
おはようございます。

懐かしい響きです。当方がこの地を
訪ねたのはもう20年近く前のこと
です。残念ながらハイキングのために
言ったわけではないのですが、クライ
ネシャイデックからの登山電車や、
ユングフラウヨッホも懐かしい風景で
した。いつかは再訪をと願いたいです。
ただ、妻が別にツェルマットに行って
いまして、あちらも良さそうです。
迷います。
さて、お母上のこと気になりますね。
病床が混雑しているんでしょうか?
患者家族にとってはやっと回復の兆しが
見え始めた時にもう退院なんて言われま
してもねぇ。なんか不安ですよねぇ。
返信する
アイガー北壁 (山小屋)
2010-07-12 03:24:49
スイスに仕事で行った時、1度目はピラトスの頂上から、2度目は軽飛行機に乗って上空から眺めました。
スイス人はなかなかサービス精神が旺盛で、会議中
でしたが、「気象条件がよいから・・・」といって
自家用機を飛ばせてくれました。
サンモリッツに着陸して「うまいコーヒー」を
飲ませてくれました。
スーパーでザックを買ってきましたが、20年
経った今でも健在です。

今の日本の医療制度はどこかおかしいです。
健康保険の他に介護保険がどっときました。
お母さん、元気になられるとよいですね。
できるだけ顔をみせてあげてください。
返信する
naoママ様へ (eko)
2010-07-11 18:34:54
普通に登るだけでも大変なのに、ロッククライミングなんて、私には、想像もつきません。
よくザイル一本に命を託せると、思います。
当時の、用具は今と違い、相当不備なものだったでしょう。
10年前のスイス旅行、お天気に恵まれなかったんですね。ユングフラウヨッホ駅の日本のポスト、本当に珍しいですね。naoママさんも、おきれいで、いい思い出ですね。
お母様良い方向になられて、良かったですね。
でも、熱が下がったら、退院を促されるなんて
冷たいですね。
施設でも、寝たきりの、手のかからない方向をすすめる事が多いと先日、聞きました。
最後の日まで、とにかく元気で、頑張らないとと、思っています。
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