それにしては真冬の寒さが続き、一昨日などは箱根や御殿場では結構な積雪となったらしい・・・
我が住宅地から見える丹沢の山々も雪で真っ白です

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サクラの開花宣言が出されて10日が経ちました。
寒さに耐えていた「ソメイヨシノ」も、昨日の青空に花びらを広げだしていました



両親がお世話になっている施設のサクラは、30日時点で3分咲きといったところでしょうか・・・
この所、1日おきに両親の顔を見に通っています。
父の検査入院が「痛くて辛いものだったら断ろう」と弟と決めていましたが
相談に乗ってもらった施設の担当医師は、
「是非受けてください。はっきり分った上で今後の療法が考えられるのですから」と・・・
医者ならきっとそう言うだろうなぁ~
帰路、私の頭は混乱していて、このサクラを見上げた時にふと「涙」があふれました。
”そうだ、イトコのコーちゃんに相談してみよう”
コーちゃんは父の長兄の長男で、私より9つ上の従兄です。
先般、一家で両親のお見舞いに来てくれたのですが、
その時、父が疑われている病と同じ病気を患っていると聞きました。
早速TELして詳しいことを聞きました。
「その数値ならガンである事は間違いないと覚悟したほうがいい」
「でも細胞診検査はそんなに辛くはないので受けても大丈夫だと思う」
「ただ骨のスキャナー検査は僕でも恐怖だったから、叔父さんには受けさせたくないな~」
「とにかくもう今更手術とか放射線治療とかは考えるなよ。薬で抑える方法もあるからね」
そうです

本家の跡継ぎ意識の強かったコー兄さんは、昔から私を可愛がってくれました。
「これからも何かと相談に乗ってね」
受話器を置いたとき、少し心が軽くなっていました。










さて、エジプト紀行がすっかり途切れていました。
帰国してから早2ヶ月が過ぎ、記憶も薄れてきそうで恐ろしい・・・
今考えると、私がエジプトから帰って来るまで父が元気でいてくれたことに感謝です。
きっと父が予定通りに行かせてくれたのでしょうね

<夕闇迫るギザの街>
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エジプト観光第一日目、午前中はギザの「三大ピラミット」を見学し
午後からは郊外の砂漠の中にある古い「階段ピラミッド」や「屈折のピラミッド」を見て周り
ギザに戻って、オリンピックで柔道の山下選手と戦ったラシュワン氏が経営する
「パピルスの店」でお買い物・・・
その後は夕食のためのレストランに向かいます。
バスの窓から、ゴミだらけの運河の向うに「ピラミッド」が見えてきました。
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カフラー王と、その息子メンカウラー王のピラミッドは、ギザの街のあちこちから見えるようです。
この日は夕方から風が強くなり、砂漠は軽い砂嵐のようでした。
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カイロ周辺も砂の影響でけぶっていて、夕陽がボンヤリと霞んで見えました。
「皆さん、明日は早朝出発の飛行機でアスワンに向かいます」
「今夜は早めに夕食を済ませてホテルに戻るので、明日に備えて早く寝てください」
「何時に出発かという事は僕は怖くてとても言えないです」
ガイドのモモちゃんはニヤリ

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こちらがこの日の夕食です。マウスオンでご覧下さい

「旅のしおり」には、この日のメニューは「コフタ(ひき肉の串焼き)料理」と書かれています。
白いライスは香辛料の入ったバターライス、その横にボーイさんがポテトフライをドサッと乗せると
お皿の周りにポテトがパラパラとこぼれました

テーブルには昼食時にもあったヒヨコ豆とゴマのペースト、ナスの炒め物が並んでいました。
7時過ぎにホテルに戻りました。
「明日は4時35分発の飛行機に乗ります」ロビーで添乗員さんが翌日の予定を説明。
「モーニングコールは1時半」、「ホテル出発は2時半です」

「荷物は2時までに、ロビーの正面玄関前に持ってきて下さい」
「朝食は出発前にレストランでお弁当ボックスを配ります」
お部屋に戻り、K子さんと順番に入浴し、それから2人で黙々と荷物の整理をしました。
飛行機となると手荷物や荷造りにもそれなりに気を使います。
2日目の夜も興奮していましたが、安定剤を飲むと起きられなくなる恐れがあり・・・
冷蔵庫に入れておいた成田で買った1本のカンビールを半分ずつ飲んで、11時過ぎに就寝しました。
1月25日・「アスワンへ」

カイロから飛行機で約1時間半で、南部の街「アスワン」に到着します。
上の地図をご覧下さい

エジプト南部の旅は、このアスワンから南の隣国スーダンに程近い「アブシンベル」まで南下し一泊
そして再びアスワンに戻って一泊
更にここから200km北上して「ルクソール」で1泊の、計3泊4日をバスで周る旅となります。
尚、このコースはナイル川をクルーズで巡る優雅な船旅もたくさんあります。
多少お値段は張りますが、体力的にはずいぶん楽かと思いますね。
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朝の6時半過ぎ、寝不足の目に突然湖が見えてきました。
アスワンと言えば、私たち日本人はすぐに「ダム」が浮んできます。
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ナイル川のダム湖(ナセル湖)の向うに朝日が昇ってきました。
睡眠不足でぼぉ~っとしていたせいか?、コンデジだけ抱えてバスを降り、
朝日をパチパチと写しました。
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年間を通じて水の供給を図るために、当時エジプトを統治していたイギリスが
1902年に「アスワンダム」を完成させましたが、予想を超える人口増加で目的は果たせなくなり
1964年にソビエトの協力で長さ約3600m、高さ約111mの巨大な「アスワンハイダム」が建設されました。
上の画像は完成を記念して建てられた「ハイダム記念塔」です。
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山の中の急峻な土地に建設される日本のダムのイメージとは大きく異なりますね。
幅が3.6kmもあるので、ダムというより長い長い堰きのようで・・・
その上が自動車道路になっているのです。
1973年にはダムによってできた「ナセル湖」の貯水も完了し、
充分な農業用水と電力が確保できるようになったそうです。
叉このダムは軍事機密地域になっていて、写真撮影も制限があるとか・・・
大きな望遠レンズは駄目だそうです。
ダムサイトの見晴らしの好い展望台に行くだけで、セキュリティーチェックを受けました。
このダムが決壊すれば、エジプトの主なナイル河畔の都市が水没すると言われていますから
このような厳重な警戒も必要なのでしょう。
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ダムはエジプトに豊富な電力を供給していますが、毎年起こっていた洪水がなくなることにより
下流域に養分を含んだ土砂が運ばれず、土地が痩せたり、塩害が出たり・・・
ナセル湖の蒸発によって生じた雲から雨が多くなり、遺跡を削り取ってしまうなどの問題も出てきているようです。
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アスワンから南の地方は、ヌビア人の国でした。
新国王時代にエジプトと同化しても、ヌビア人は独特の言語や文化を持ち続け
現在もその影響を見ることが出来るとか・・・
ヌビアの人々が暮らす村が正面に見えていました。
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ギザのピラミッドを見た時モモちゃんに
「砂漠の砂を少々お土産に持って帰りたいけど、何だかラクダの糞だらけね」
と話したら
「アスワンに綺麗な砂があるから、明日はビニール袋を用意しておいて」と言われました。
約束どおりアスワンハイダム近くの砂山で、砂を少々採取しました。
本当に白くてサラサラの「パウダー・サウンド」です。
でもまたまた荷物が重くなりそうで悩みます。
「皆さ~ん、明日の見学予定のイシス神殿ですが、今時間があるのでこれから行きますがいいですかぁ~?」
モモちゃんの話を聞きながら車窓の風景をカメラで写していたら、
建物の門の前に立った哨戒中の兵士と目が合いました。ドキリ

「軍事施設を写しちゃったかしら

あわてて画像を消去しました。
ここはテロ対策が徹底しているエジプト・・・
平和ボケの日本とは違うということを心しないといけませんね。
カイロからアスワンへ。夕食後から
モーニングコールまではほとんど仮
眠程度という状況でしたね。
ほんとにハードです。
飛行機が日中飛んでくれたらまた別の
風景が見られただろうと勝手に想像し
てしまいました。砂漠にナイルの流れが
筋状のオアシスを見せる。そんな風景を
イメージしました。
あっ、それで砂漠の砂は持ち帰れました
か?
青空に少し咲いた桜は今のnaoママさまの心かな?
心配しておりました。
私は今日までお休みで、また明日からーー;)
頑張ります~
で、私も気になるのですが、砂漠の砂は・・・
もしかしてラクダの何かが(笑)
あっ私、今日から中学生の母になりましたので
私の母も医者から手術を勧められましたが、高齢な
ので断りました。
自然の状態だったので、苦しむこともありませんでした。
エジプトはまだ未知の世界です。
ここは高齢になっても行けそうです。
今回のブータンでは80歳の男性がいてまったくの
マイペースでした。
やはり山が絡む外国は75歳くらいに制限して
欲しいと思いました。
横浜の「みろく山の会」のメンバーだといっていました。
naoママさんならご存知でしょうか?
4人グループで参加して一番賑やかでした。
父は良性でしたが心臓に腫瘍があり、病院側からは手術を強く勧められました。
父は80歳、矍鑠としており、お医者さまが驚くほど頭もしっかりしていました。
しかし今更と父は手術することを強行に拒否。そんな父に手術の安全性を分かりやすく説明、強く勧めたのは私です。
父はそれならと手術を決心してくれましたが、術後体力が戻らず、寝たきりとなってしまいました。
生きる気力を失ってしまったようです。
お父様思いのnaoママさん、お父様の意志を一番に尊重し、もっとも良い方法をお選びください。
エジプト旅行に関係の無いコメントでごめんなさい。
14年前に亡くなった父のことを思い出し、書きたくなりました。
興味深く見させて、読ませていただいてますよ。
早朝2時半の出発なんて、いつもなんでしょうか?大変ですね!
いつもひとり参加の私、朝の事考えるとねむれなくなりますね^^;;
砂のお持ち帰りですか!私も小さな石を必ず一個ポケットにねじ込みます。記念石です^^♪
お父様の事、従兄弟さんに相談して良かったですね。貴女により近い意見だったのでより納得できたのでしょうか。いつの場合もそうですが本人さんの意志こそ最優先かと。もの言えぬ患者になった時、そのことを本人に代わって主張できるのは、一番近い人間かと。
そういう意味に置いても自分の行き方は逝きかたに繋がるものと日頃からの絆を大切に思う私です。
とてもハードな旅でした。
ルクソールから叉飛行機に乗って、カイロに戻りましたが
ほとんど砂漠の上を飛んで、オアシスは見えませんでした。
ナイルの上を行ってほしかったですね。
一握りの「砂漠の砂」を持って帰りました。
このオハナシは叉後半に詳しくご紹介いたしますね。
今日父を連れて叉病院に行ってきましたが、正直まだ迷っているのですよ。
単なる検査とはいえ、若い人とは違いますからね。
このアスワンの砂山にはラクダはいませんので大丈夫でした。
エジプトのお土産に「砂漠の砂をもらった」という友人もいますから
どのツァーもここで砂を採取するのでしょう。
お嬢さんはいよいよ「中学生」ですね。
おめでとうございます。
治療としては「ホルモン療法」があるので、そのデーターとして
細胞診検査をして下さいと言われたわけです。
それすらも負担がかかり、私は躊躇しているのですが
施設の担当医師には熱心に勧められました。
「みろく山の会」というのは知りませんが
横浜にもたくさんの山岳会があるのでしょうね。
80歳の方がブータンへ山登りとは驚きました。
お仲間の方々もそれに近い年齢だったのでしょうか?
年代にバラツキがありすぎると、ツァーも難しいですよね。
今回の「エジプト旅行」は40代から60代がほとんどでしたよ。
すべては親への愛情からの判断ですもの・・・
語っていただきありがとうございます。
我が家の場合は父はもう90歳、痴呆も進み
父を説き伏せるとか、意見を聞くとは全然できず
判断はすべて私と弟がしなくてはなりません。
その弟も今丁度仕事が忙しくて
私一人が悩み駆けずり回っている感じです
手術とか放射線治療はもうできませんが、ホルモン療法があるので、
そのデーターのためにもと「細胞診検査」を勧められています。
昨日の診察での説明では、本人の抵抗や恐怖心を考慮して
「全身麻酔」になるらしいです。
これまたリスクが考えられ、悩むところです。
全体的にはハードな日程のツァーでしたね。
私たちは飛行機だったのでこのようなスケジュールでしたが
この間を夜行寝台列車で移動するツァーもあります。
ネットで調べると毛布やカーテンにファブリーズが欲しかった
と書かれていましたが・・・
「砂のお持ち帰り」はエジプト帰りの人には当たり前のようですよ。
「石」は経験ありませんが・・・
父の手術や放射線治療は、家族も医師もするつもりはありませんが
問題はこれからのお薬を決めるための、内視鏡による「細胞診検査」なのです。
従兄弟に「あまり辛いものではない」と言われてする気になり
昨日病院に行ってきましたが、何やら全身麻酔になるらしい・・・
またまた悩んでおりますよ。