中近東の国々では、政権側の弾圧による死者数も増え続けているようですね。
昨夜、NHKスペシャル「独裁政権VS若者達・中東ネット革命の真実」を見ました。
デモという従来からあった行動の裏では、インターネットを遮断したエジプト政府と若者達、
そして世界中のハッカー達との凄まじい攻防が・・・
今までの革命とは全然違うネット戦争が繰り広げられていたようです。
死亡した365人の追悼式が行われたタハリール広場では、それぞれが権利を主張するデモが行われ
収拾が付かなくなりつつあるようです

エジプトの民主主義はこれからが正念場ですね。
この一連の動きは、ひょっとして中国にも飛び火するかも知れません。
歴史は今怒涛の如く動いていますね。
エジプトと言えば忘れられないのが、1997年にルクソールの「ハトシェプスト女王葬祭殿」で起きた、
イスラム原理主義の過激派集団による「外国人観光客襲撃テロ事件」です。
私たちの「エジプト旅行」6日目の見学は、その舞台となったルクソール西岸へ向いました。
1月28日
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古都「ルクソール」での2日目の朝を迎えました。
私たちが泊まったホテルは「シェラトン・ルクソールリゾート」
ナイル河畔の東側にあるリゾートホテルです。
西側の山々が朝日に赤く染まっていました。
あの山の向こうに「王家の谷」があるのでしょうか・・・?
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ホテルの部屋はちょっと狭かったけど・・・ | 朝食のビュッフェはパンが豊富でした。 |
さて「生者の都」と言われる東岸に対して、
夕日が沈む西岸は 「再生・復活」を意味する「死者の都」ネクロポリステーベと呼ばれ
墓所として利用されてきました。
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サトウキビ畑の続く牧歌的な風景の中に突然現れる「メムノンの巨像」
新王国時代絶頂期の「アメンへテブ3世」の像で、坐像の後には葬祭殿があったのが
後の国王が自らの葬祭殿設立の石材調達のために破壊してしまったそうです

「ハトシェプスト女王葬祭殿」
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そしていよいよ「ハトシェプスト女王葬祭殿」に到着です。
厳重なるセキュリティーチェックを受けてからトラムに乗って行きました。
岩を背にしたモダンな三階建ての建物が眩しい



この葬祭殿は、紀元前1500年頃エジプトで最初の女王となったハトシェプストのために
造られた葬祭殿で、ルクソール西岸・王家の谷の東側にある断崖を背に建てられています。
私たちは最初に向かって右側にある“アヌビス神の礼拝所”に行きました。
アヌビス神とは黒い犬の頭を持った神様で、お墓の守り神だったようです。
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この壁画は、ホルス神にワインを捧げるトトメス3世の姿が描かれています。
3500年以上も前に描かれた色彩が、色鮮やかに残っていることが奇跡ですね。
トトメス3世は幼少期に王権を奪われたことでハトシェプスト女王を憎み、
壁画を抹消したり、ファラオにとって大事な王名表からも女王の名前を削除させたそうです。
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女王の姿が削られています | アメン神への捧げ物 |
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天井一面に描かれた星が見事! | 犬の頭を持ったアヌビス神 |
モモちゃんの熱心な説明を受けてから自由時間となり、私たちは葬祭殿の上のテラスに行きました。
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14年前、ここで死者60名を出したテロリストグループによる外国人観光客襲撃事件が起きたのです。
日本人も10人が犠牲になりました。
まさに逃げ場のない舞台のような場所ですね。
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すっかり御馴染みになった「ホルス」がお出迎えです。
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当時、エジプトでは女性は王になれませんでしたが、王の嫡出の長女には王位継承権があり、
その夫が王になるという制度になっていました。
ハトシェプストはトトメス1世の嫡出の長女として王位継承権を持っており、
トトメス1世の側室の息子が彼女の夫でトトメス2世となりました。
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付け髭をつけた「ハトシェプスト女王」の像が並んでいます。
本物は破壊されましたので、これらはレプリカですが・・・
女王には息子がいなかったのか、トトメス2世の側室の息子が後継者に指名されました。
しかし、トトメス2世の死後、ハトシェプストは夫の側室の息子であるトトメス3世が幼少であることを理由に、
自らが王になりました。
トトメス3世は彼女の娘と結婚します。
う~~ん


エジプトの女王と言えば美人で有名なクレオパトラが浮びますが、
ドラマチックな点ではハトシェプスト女王も負けていませんね。俄然興味を持ちました。
現代はここで「写真を撮ってあげる」と言ってパクシーシ(チップ)を要求する警備の警官の姿が目立ちます

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どうやら我ツァー仲間が餌食になったようです | こちらは岩窟聖至所 |
この聖至所は女王の墓に続いているとも言われているそうですが、
未だに女王の墓は確認されていません。
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ハトシェプスト女王は、この葬祭殿を建築した(愛人であったとも言われている)センムトを後に追放し、
センムトの像を全て破壊させました。
しかし、女王もトトメス3世が成長し力をつけてからは結局失脚します。
テロの舞台となったこの「葬祭殿」には愛憎渦巻く物語がありました。








この日のルクソールはカンカン照りで、帽子を忘れた仲間のぷりんさんとK子さんは
この「ハトシェプト女王葬祭殿」のお土産屋さんで帽子を買いました。
エジプトのカイロが北緯30度ですから、この1月の時期は冬です。
でも・・・
太陽の陽射しは強烈で帽子とサングラスは欠かせません。
最低気温「8度」、最高気温「30度」の世界です。
太陽の照りつける茶色の世界のあとに、早春の日本の風景を最後に加えます。
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こちらは先日雪の後に尋ねた鎌倉「東慶寺」の鐘楼の周りに咲いた梅です。
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そしてこちらが春まんず咲くと言われる「マンサクの花」
こちらは「東慶寺」で写した画像ですが、今日見たら我が家の庭の「マンサク」も満開になっていました。
何となく嬉しいですね

青空が広がったら撮影したいと思います。
日本人の「春を待つ心」・・・
四季のある風景の中で培われた気持ちを大事にしたいですね。
よくここまでエジプトも歴史を勉強されました。
エジプトに行ってガイドで食べて行けそうです。
大統領が辞任してやっと正常化したようです。
でもこれからいろんな難問が待ち構えているようです。
この流れが中国にも飛び火しているようです。
武力で抑えているようですが、いずれ変わるかも
知れません。
東慶寺の梅をみて少し和みました。
やはり日本の家屋は落ち着きます。
あと1ヶ月もすればいろんな花が咲くと思います。
鎌倉の「花めぐり」も楽しそうです。
naoママさんの「エジプト紀行」は現在の情勢からかつての歴史まで興味深く拝見する事ができますよ。
ハトシェプスト女王にクレオパトラ、日本でも卑弥呼に始まり淀や北の政所から春日野局等々、
男社会の中でも大きな存在感のある女性たちが歴史を動かすしていたのを見ると、
「事件の裏に女有り」のごとく女性の力強さを感じます。
鎌倉「東慶寺」の梅景色、東慶寺と言えば駆け込み寺で有名です。
エジプトの景色とは大違いですが女繋がりを感じました。
エジプトの旅行記興味深く読ませていただきました。よく調べておありです。
沢山の壁画、今でも綺麗に色が残っているものですね。
エジプト政権もやっと少し落着いてきたようですが、其れが中東に飛び火し中国へも広がってきそうです。其れを考えると今の日本は平和ですね。
東慶寺のマンサク、もうこんなに咲いていましたか。まだ今年のマンサクは見ていません。
建物だけが印象にの私です。
ありがとうございます。
エジプト政権の民主化一歩前進でしょうか、
中国北朝鮮独裁者ありでしょうか、
裏が見えそうです、
モモちゃんの説明もありましたが、それだけでは不十分だったので今回調べましたよ。
複雑怪奇な人間関係でした。
尚、美人だったかどうかは定かではありません(笑い)
リビアをはじめ、中東はいま大揺れですね。
貧富の差が激しいのが原因でしょう。
中国もどうなりますか?
真っ青な空、乾いた空気、広大な茶色の土の世界・・・
エジプトの画像を見るほどに、梅一輪の美しさに春を感じる日本の気候風土との違いを感じます。
でも・・・
このハトシェプト女王も男の子さえ生んでいればここまで悲劇的にはならなかったはず・・・
今の日本の皇室や歌舞伎界でも通じるお話しですね。
昔から「歴史」は好きでしたが、遺跡旧跡めぐりも、その中で生きた人々を知ると、俄然面白くなりますね。
駆け込み寺の「東慶寺」も、山門の階段を登る度に、夫から逃れるために必至で駆け上がって行った当時の女性の姿がダブります。
あの大国ソ連さえも崩壊しましたものね。
それに引き換え日本の政治のお粗末さ・・・
平和と言えばそれまでですが、まるでコップの中の嵐です。
内わモメばかりで見苦しいです。
議員は皆党と選挙のことばかりが頭にあるようで、国のために働いているとは思えません。
TVで政治のことがニュースに流れると、観る度に腹がたって消したくなりますよ。
我が家の庭のマンサクも満開です。
今日は青空が広がったので写真を撮りたいと思っています。
今回のガイドさんの説明もお上手でしたし・・・
色々知調べてみようという気になりました。
中近東の国々に瞬く間に拡大した「民主化を求めるデモ」は、ベルリンの壁を打ち砕いた東欧の開放と同じようになるのでしょうか?
中国北朝鮮のこれからも気になりますね。
世界4大文明発祥の地が、21世紀には先進国でない事が色々考えさせられました。
どなたがどの時代かは記憶が曖昧ですが、
古代エジプト史にはやはり出てくる名の
お一人ですね。
女性と言いますと、一にクレオパトラで
すが、他にネフェルティティーあたりで
しょうかねぇ。いずれにせよ、古代エジ
プト史は長いですから..
タハリール広場の人口が膨れ上がって、入りきらない人民がたくさんいましたね。
これだけ死者が出ても、民主化の動きは止まらなくなりました。
すごいパワー、日本ではあり得ないです!
ルクs-ルは、未だに覚えています。
その後に観光に行った日本人の写真が、新聞に載りましたね。
ハトシェプスト女王の葬祭殿は、復元されたようですが。
あまり馴染みのない名前で、イマイチ歴史に疎くて・・・
アマゾネスみたいに、やり手だったのかしら?
エジプト紀行、見事にお伝えされてますね♪