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花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

秋のお花を求めて鎌倉へ・・・

2010年10月07日 | 鎌倉散策
ピンチヒッターで呼ばれて、一ヶ月に2週間ほど、横浜市の公的施設の受付業務の仕事をしています。
月末・月初めの忙しい週をこなしていたら、ちょっと腰に違和感が・・・

この週末のカンカン照りの中、孫の幼稚園の運動会で4時間カメラを抱えてウロウロしていたら
ますます腰が重くなり、どっと疲れました

翌日、町内会の防災訓練に参加した頃には頭や喉まで痛くなって・・・
それでも朝見たTVで「鎌倉の宝戒寺の萩が満開」と聞き、行ってみる気になりました。

「宝戒寺」の萩

去年は9月初めに見に行き、チョット早めの5分咲きでしたが・・・
今年は10月初めで満開、3日の日曜日が最後の見頃のようでした。

久里浜緑地のコスモスも遅れているとか、今年の夏の猛暑の影響はお花全体に及んでいるようですね。
今日のTVニュースではススキが一ヶ月遅れと伝えていました


「宝戒寺」は白萩で有名なお寺です。

このお寺の詳しい事は去年の記事を参考にご覧下さい。
嗚呼~、それにしてもちっともカメラの腕が進歩していない私だゎ
やはりちゃんと習わないと上達は望めないのかしら?


日曜午後の鎌倉のお寺は、どの風景を撮っても人の姿が入ります。


この日は夕方から雨になる予報で、時々雲が広がりますが、すぐ叉晴れて暑くなり、
上着を脱ぎました。
お花の誘惑に負け、無理して鎌倉に行きましたが、その内胃腸の調子がおかしくなってきました。

駅近くの「大巧寺」を通リ抜けて、足早に帰ります。

おんめさま・「大巧寺」の花々
シュウメイギク

「大巧寺」は産女(うぶめ)霊神「おんめさま」がまつられ、安産を願う人々に信仰されています。
この10月3日は日曜日で戌の日だったせいか、たくさんの若い夫婦がお参りに来ていました。


「シロシキブ」

健康診断は異常ナシでしたが、私、最近チョット健康に自信を失いかけています。

一ヶ月くらい前に、急に胸が苦しくなり10分ほど横になったことがあります
翌日観劇で明治座に行ったのですが、時々心臓がドキドキしていました。

心臓の手術をしたマルさんに訴えると、「神経性ね」と・・・
何度も検査したことがある友人のtaeさんに話すと「狭心症よ。ニトロを持ち歩いた方がいいわよ」と・・・

2ヶ月に一度かかっているお医者さまに相談しても、
「血圧は異常なし」と、さほど相手にされませんでした。

心電図の検査も、まさに苦しいその時でないと異常は出ないようですね。


「ホトトギス」

最近、友人の一人が市の60歳の無料健康診断で引っかかり、
精密監査の結果早期のガンが見つかりました。

たまたま受けたオプションのガン検診で発見できたそうで・・・
「ガンって案外簡単に出来ちゃうものなのね」
という彼女の言葉が忘れられません。

私は職場の健康診断ですからオプションはありません。
時々痛む胃や腸は「もしかしたらと不安になります。


「アマギノクサギ」

この日、家に帰ると完全に風邪の症状が出ていました。
頭が痛い、喉が痛い、お腹が痛い、全身がザワザワする・・・

食事もせずに早めの「○ブロン」を飲んでひたすら寝ましたよ。

翌日もゴロゴロ・・・
私は明日、背中にコブのような腫れ物が出来た母親を病院に連れて行く予定があるので
何が何でも風邪は治さなくてはなりません。

その次の日は友人との食事会、週末は山仲間と東北の山登り
予定が詰まっていて、寝てはいられないのです。

ひたすら睡眠をとって、今日はどうにか元気になりました。

狭心症の心配とガンノイローゼはまだちょっと残っているけど、元気な内に楽しまなくてはと焦ります。



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初夏の鎌倉ハイキング・その2

2010年06月27日 | 鎌倉散策
「葛原岡・大仏ハイキングコース」
6月17日に私が友人と歩いたこのコースは北鎌倉駅から出発し、
鎌倉五山第2位の円覚寺、花の寺で有名な東慶寺を散策し、その後淨智寺の脇から
葛原岡ハイキングコースの山道を登り、銭洗弁天でお金を洗った後、大仏ハイキングコースを歩いて
鎌倉大仏に下り、長谷寺を見学する、江ノ電長谷駅までの約3kmのコースを言います。

自然の中を歩く歓びと名刹を見て周る楽しみがドッキングした鎌倉ならではのこのコース・・・
若者からファミリー・年配者までが歩いていますので、興味がある方はこちらを参考に、地図も合わせてご覧下さい。
真夏以外はいつでもお薦めです。


この日は真夏の暑さだったので私たちは「円覚寺」や「東慶寺」はパスして、「浄智寺」を見てから
緑深い葛原岡ハイキングコースを歩きました。

葛原岡神社前の広場のベンチで、昼食とお喋りを楽しんでから、そのまま山道が続く
「大仏ハイキングコース」に入ります。

ここは左手に化粧坂から「源氏山公園」、真ん中の道を進むと「銭洗い弁天」があり、十字路のような所ですが、
私たちは「日野俊基の墓」の前を通って「大仏」に向かいました。

季節が良い時期なら是非「銭洗い弁天」へ立ち寄ることをお薦めします。


一昨年の春「海蔵寺」から化粧坂を登って「源氏山公園」を歩いたことがありますが、
その時に道端で見つけた「クサノオウ」と良く似たお花が咲いていました。
このビタミンカラーは元気が出ますね。


このコース、お子様連れでも歩けますが、梅雨の時期は足元が滑ります。
登山靴とまではいかなくても、底が滑らない靴を履いて歩きましょう。
最後の大仏への下りがちょっと大変です。

「鎌倉大仏」(高徳院)

「高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)」のご本尊が「鎌倉の大仏」「長谷の大仏」
と称される阿弥陀如来像(国宝)です。

開基(創立者)と開山(初代住職)はともに不詳。
以前は本殿の中に大仏様は鎮座していたそうです。

ここは鎌倉の代表的な観光地ですが、私は20年ぶりに訪ねました。
そういえば、新潟の中学時代の修学旅行が「東京・箱根」・・・
「この大仏様の前で写した集合写真があったのでは?」当時のクラスメートのT子さんと懐かしみました。


与謝野晶子が「美男におわす」と詠んだだけあって、端正なお顔をしています。

この日も、現代の修学旅行生の姿がたくさん見られました。

「長谷寺」
私たちは「大仏様」を見てから、歩いて5~6分のところにある「長谷寺」に向かいました。
この時期は、アジサイとハナショウブが綺麗でたくさんの人々が訪れていました。


門からすぐのところにある「池」には見事なハナショウブが、丁度見頃の時期を迎えていました。

池に浮ぶハナショウブ艶やかに咲いています



ハナショウブを堪能してから階段を登って行くと、「阿弥陀堂」「観音堂」「宝物殿」と現れます。

このお寺は、鎌倉時代以前からある古寺で、天平8年(736)の創建と言われています。
本尊の十一面観音は高さ9.18mあり木造では日本一だそうで、
大和の長谷寺の観音様と同じ楠の一木造りで、立ち姿が見事です。

この季節、裏山の斜面には数多くのアジサイが咲いていて、大勢の見学者が「宝物殿」横の階段を登っていきます。

竹林の横から裏山へ登ると・・・山の斜面にアジサイが咲き乱れています



「アジサイロード」は一方通行、渋滞待ちも覚悟です。


アジサイ散策路の上の方からは「湘南の海」が望めました。


アジサイ越しに見た「経蔵」です。

同じアジサイ寺でも「明月院」は、爽やかなブルーのヒメアジサイ一色ですが、
この「長谷寺」は多くの種類のアジサイが楽しめます。

私たちは下ってからこの「経蔵」前にあるお休み処で甘い「ぜんざい」を食べ、
再びお喋りに花を咲かせました。

この後、もう一つのアジサイ寺として有名な「成就院」に足を伸ばす予定でしたが
3時を過ぎ、暑さと人出に疲れて、江ノ電の「長谷駅」から帰路に着きました。

このアジサイと花ショウブが美しい「長谷寺」をデジブックに纏めましたので、お時間のある方はご覧下さい。

デジブック 『鎌倉「長谷寺」巡り』



              


25日(金)の夕方、母が高熱と意識不明の状態で病院に救急搬送されました。
弟から連絡が入り、私は仕事先から駆けつけましたが、うわ言ばかり言っていました。
「北海道に帰りたい」と・・・

白血球が異常に高いということで即入院となりましたが、当直医は耳鼻咽喉科専門
結果が出るのに時間がかかり、帰宅したのは真夜中でした。
弟も私も早朝から「サッカー・デンマーク戦」のTV観戦で寝不足だったので、
流石に疲れ果てました

母は24時間連続の点滴で熱は下がり、意識も回復しましたが、
本格的な検査は28日(月)から始まります。

私は毎日の病院通いが始まっていてバタバタし、
ブログ仲間の皆様の所へのご訪問ができずに失礼をしています

父が薬が効いて少し元気になったと思ったら、今度は母
「こうした騒ぎを繰り返しながら、人間は最終章に向かうのだ」と、
親は身を持って教えてくれているのでしょうね。




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初夏の鎌倉ハイキング・その1

2010年06月22日 | 鎌倉散策
梅雨の晴れ間の、30度を越す真夏日となった6月17日(木)
幼馴染のT子さんと一緒に鎌倉を歩いてきました。

横浜線経由ではるばるやって来るT子さんと北鎌倉のホームで待ち合わせましたが、
あまりの人の多さにビックリです。

ほとんどの方々はアジサイ寺で有名な「明月院」方面に歩いていきましたが
我々は右に分かれて「浄智寺」に向かいました。

「浄智寺」

鎌倉5山の第4位に数えられる臨済宗円覚寺派の「浄智寺」の事は、昨年秋にもご紹介していますので
詳しいことはこちらをご覧下さい。

父の転勤で小学校の5年生の時に、東京の中目黒から新潟市に転校した私
最初はイジメにもあったりしましたが、T子さんとは6年生の時に知り合い
中学時代はずっと仲良し4人組の仲間でした。

其の後私は山口県に移り、高校卒業と同時に父の東京本社転勤で東京に戻りました。
新潟の仲間は進学や就職などで順番に上京してきましたが、T子さんだけはそのまま東京で結婚したので、
今でも年に一度は会って交流を深めています。

最近私のブログを見て「ハイキング」に目覚めたようで、
去年の春は「高尾山~城山~小仏峠」と歩きました。
一丁平の桜が綺麗でしたね。


「浄智寺」のお馴染みの山門は鐘楼を兼ねていて、花頭窓をあしらった中国風の造りが特徴です。

今年の4月5月、私は父の病院通いに付き添って心身ともに忙しくて余裕がなく
Tちゃんとのハイキングも梅雨に入ってしまいましたが・・・

この時期は鎌倉のアジサイやハナショウブが綺麗な季節なので、それを絡めて
「浄智寺」からスタートし「葛原岡ハイキングコース&大仏ハイキングコース」を歩くことにしました。

まずは「浄智寺」を見学しましたが、とても嬉しい新発見がありました


ナント、お隣の「東慶寺」でしか見たことがない大掛かりな「イワタバコ」
群落を見つけたのです


境内を一通り見てから、鎌倉七福神の「布袋様」に会うため小さなトンネルをくぐると、
こちら側に三脚を立ててカメラを向けている男性がいました。

「何を撮っているのかな?」と振り返ってみると、トンネル横の崖一面に「イワタバコ」
そろそろ終りに近かったのですが、まだまだ元気に咲いているお花もありました。

<>

マウスオンでご覧下さい
イワタバコは本州、四国、九州、南西諸島に分布し、台湾にも見られる多年草。
谷間の湿った崖や水の滴る岩壁に着生するお花ですが、このような古い石灯籠の上にまで咲いていました。


布袋様の建っている洞窟の周りにも「イワタバコ」はありましたが
こちらはほとんど終わっていました。

布袋様のふくよかな耳とお腹をなでてから、人の少ない静かな「浄智寺」を後にして
いよいよ「葛原岡ハイキングコース」に向かいました。


こちらは民家でしょうか?

文化人が多くて風情があり、湘南の海にも近い鎌倉生活には憧れます
実際は山が迫って坂が多く道幅も狭くて、消防車や救急車などは家まで来てもらえない場合があるようです。


浄智寺から坂を登って5~6分も行けば、いつのまにか深い緑の中のハイキングコースとなります。

蒸し暑い日でしたが、この林の中は爽やかな風が心地よくて、気分爽快に歩けました。


何人かの小学生のグループとすれ違いました。
「山梨から来た修学旅行生」とか・・・

今どきの小学校の修学旅行は、各自でハイキングもするのですね~
子供にとってはお寺巡りよりは面白いかも・・・

「葛原岡神社」

山道を20分ほど歩くと小さな鳥居が見えてきました。
後醍醐天皇の側近・日野俊基を祀る「葛原岡神社」です。

日野俊基は鎌倉幕府の倒幕の謀議に加わり、正中の変(1324)で捕らえられいったんは許されますが、
元弘の変(1331)で再度捕らえられ、翌年ここで処刑されました。

鳥居をくぐると左手にアジサイが♪綺麗な青紫がカメラでは上手く出なくて・・・
右手の池にはハナショウブ♪梅雨のさ中に生き生きと咲いていいました



明治天皇が日野俊基に従三位を贈り、地元有志と全国の崇敬者の協力により明治20年に創建されました。
神社の南側に日野俊基のお墓があります。


近年、新しく建て替えられたようですが、私たちも「昇運の神龍」に深く頭を下げお参りしました。

このすぐ横には「日野俊基・終焉の地」の石碑が建っています。
鎌倉はどこを歩いてもいにしえ人の息づかいが感じられますね。

神社の前はあちこちにベンチがしつらえてあり、木陰の涼しい所で持ってきたオムスビを食べました。

東京で結婚し温かな良い家庭を作り、立派な息子さん2人を育てた良妻賢母のT子さん。
今ではご主人の実家のある島根へ、介護のためにご夫婦で通うとても良いお嫁さんでもあります

それゆえか?「長男の嫁が孫を連れてしょっちゅう自分の実家に行くのが気になるのよ」
「せめて我が家に来るのと五分五分にして欲しい・・・」
同じ様に息子しかいない私の前では、幼馴染という気安さもあり彼女の姑としての本音が出ます。

「今の日本は母系社会なのよ。周りを見ても自分を振り返ってもそう感じるわ」と私が言うと
「島根では違うのよ。娘は他家に嫁に行った身、息子があくまでも直系なのよ」とのこと。

この問題は深すぎて結論はでませんが・・・

「独立した息子一家の事はあまり気にせず、これからは大いに自分の世界を楽しみましょう
「1年に一回とは言わず、秋になったら叉ハイキングに行こうね」となりました。



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鎌倉「明月院」&「東慶寺」・花情報

2010年06月08日 | 鎌倉散策
「明月院」

今週は仕事があり遠出ができませんが、やはり見ないと気がすまなくて・・・
7日の月曜日に行ってきました「鎌倉・明月院」

目的の「ナツロウバイ」は盛りは過ぎていましたが、
ふんわりと上品でたおやかな姿は辛うじて健在で、私を待っていてくれました。

2年続けて逢いに行きましたので、今年はパスかなぁ~とも思っていましたが
ブログ仲間のモカさんがUPした「ナツロウバイ」を拝見し、やはり逢いたくなりました。


「明月院」は「アジサイ寺」として有名ですが、
その紫陽花の色付く前にひっそりと咲き出すこのお花を知って4年になります。

4年前の5月下旬にご近所仲間と「明月院」を訪ねた時、ほとんど人の居ない境内でこのお花を見つけて
「何のお花ですか?」と関係者らしき方に聞いた所
和尚様みずからお出まし下さり説明をうけました。

「これはナツロウバイというお花です」
「ロウバイは三種類あります。冬に咲くロウ細工のようなロウバイとこの白いナツロウバイ」
「そして黒いお花のクロバナロウバイ・・・この明月院にはこの三つが全部揃っています」

「ナツロウバイは私が京都から持ってきて増やしたものですから、
鎌倉のお寺ではここだけにしかないでしょう」と・・・



一番最初の出会い(5月22日)は、まだまだ咲きだしたばかりの初々しい「ナツロウバイ」でした。
去年は5月30日に来ましたが、今回見たのと同じ様な姿の終りに近い「ナツロウバイ」でした。

今年は去年よりお花が遅くて、どうにか間に合いました。
お花の数は今年の方がたくさん残っていますが、そろそろ最後のようですね。


こちらは木の上の方にあった「ナツロウバイの実」です。
200mmのレンズを使ってブレブレになりましたが、判りますでしょうか?


この季節の「明月院」を3年連続で紹介することになりますが・・・
「明月院」と言えばやはりアジサイですね。

山門に続く小道に連なるアジサイたちはそろそろ淡い青色に染まり出していました。


ここのアジサイの90%が日本古来の品種の姫アジサイで
「明月院ブルー」と呼ばれる爽やかな青色が魅力です。


他のアジサイ寺で有名な「成就院」や「長谷寺」のアジサイは色とりどりで華やかですが
この明月院はこの清らかなブルー1色です。

「単純でつまらない」という声も聞きますが、私はこのさっぱりとした爽やかさが大好きです。


この「明月院ブルー」が何ともいえません

雨の季節が進むと、この淡いブルーがどんどん濃くなっていくのでしょう。
その頃叉見に来たいと思いました。


この北国の初夏の空を思わせるような爽やかな「アジサイ」を見るために
今年も梅雨の中をたくさんの観光客が訪れる事でしょう。

<>

お馴染み「明月院」の丸窓です。
マウスオンでご覧下さい

この時期はあちら側の「花菖蒲園」の特別鑑賞が出来ます(500円)
私は一昨年見たことだし、今回は時間も無いのでパスしましたが・・・
見てきた方は「丁度見頃で素敵だったわ」と高揚した面持ちで語ってくれました。


平日の月曜日で、「アジサイ」は色づいたばかり・・・
見学者の数はまだ少なめですが、今週末辺りからどっと繰り出すことでしょう。


「東慶寺」

毎年、「ナツロウバイ」を見に行く時は、「東慶寺」の「イワタバコ」とセットなので行って見ましたが
今年の東慶寺は山門前の「アジサイ」の色付きもまだでした。


そして「イワタバコ」のお花は、まだほとんどが蕾みで開いているのは2~3輪のみ・・・

例年なら、奥の断崖の岩一面に可愛い星型の紫ピンクのお花が咲き乱れる時期ですが
ちょっと淋しい風景でした。


今年もこのキュートなお花にお花に会いたくてやってきましたが
受付の方のお話では、見頃は来週とのこと・・・
やはり4月の寒さが響いているのでしょうか?


でも「イワガラミ」の特別公開は始まっていました。
6月14日(火)まで見られるようです。
時間は上の写真を参考にして下さい。

今回は仕事があり時間が取れませんでしたが、去年見ているのでヨシとしましょう。

去年は「イワタバコ」と「ナツロウバイ」を見に来た(5月30日)後に「イワガラミ」を見た(6月9日)記憶があります。
お花の咲く時期や順序は、年によって微妙に違うことを実感しました。


「東慶寺」のお庭に元気に咲いていたのは、こちらの「カシワバアジサイ」
八重の「ドクダミ」、そして「ハナショウブ」でした。

イワタバコとアジサイはもう少しお待ちくださいね。

6月12日追記
ブログ仲間の山小屋さんからの情報によると、
東慶寺のイワタバコはこの週末は既に終りに近いそうです。
其の後の暑さで開花が早まったようですね。
見学を予定している方は直接お寺で聞いてからお出かけください。


                 

一週間前の6月1日、私はブログ仲間の紅さんが所属する写真クラブの「写真展」に行って来ました。
催しの詳しい事は「紅さんの所」でご覧下さい。

紅さんの個性豊かな写真にいつも惹かれていたのです。
写真は「(ドッキリ)・(ハッキリ)・(スッキリ)が大事」と教えて戴きました。
そしてお寄せいただくコメントも温かい人柄を感じました。

ブログ仲間にお会いするのは初めての経験で、
上野にある会場の「国立科学博物館」に入った時からドキドキしましたが
「naoママです」と名乗った瞬間紅さんがハグしてくれて、緊張感は嬉しさに変りました。

大きなカメラとレンズを抱え「鳥撮り」に、日本全国を飛び回っていらっしゃるお話しから
もっと野生的な方かと想像していましたが、とてもチャーミングで優しい方でした。

丁度、同じブログ仲間の「山小屋さん」もお出でになっていて、こちらも初対面でした。
山小屋さんは山と山野草の師匠のような方で、いつもお花の名前を教えて戴いています。

この日、私は会場で写真を撮ったのですが、お話しに夢中になって興奮していたのか?
設定を間違え暗い画像となってしまいました
この日の画像とお話しはこちらで山小屋さんが紹介していますのでご覧下さい。

目黒にある自然豊かな「しろがねの森」(自然教育園)に息づく
植物や鳥たちが生き生きと表現された写真に接し、
素敵なブログ仲間にもお会いでき、感激の一日でした


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緑の鎌倉・「名越切り通し」

2010年05月18日 | 鎌倉散策
我が街の「マロニエの花」

「風薫る五月」という言葉に相応しいお天気が続いていましたが
そろそろ西から下り坂でしょうか・・・

昨日は少々暑かったのですが「晴れている内に歩いてみよう」と思いつき、
近場の緑の中に飛び出しました

こちらは、普段私が利用するJR駅近くに咲いている「マロニエの花」です。
和名では「西洋トチノキ」、白色のお花もあるようですね。


駅前通りもデパート横の道路も「マロニエ並木」となっていて、丁度今が見頃です

マロニエと言えばすぐに「パリ」が浮びます(まだ行っていないけど・・・)
あちらは白いお花が多いとか。

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マウスオンでもう一度アップのお花をご覧下さい
と言っても背の低い私にはこれが精一杯のズーム写真ですが・・・

横浜市の「市の花」はバラ、「市の木」はイチョウですが
私が住んでいる区の花は向日葵、そして区の木がこのマロニエなのです。

そうそう銀座にも「マロニエ通り」がありましたね。
今頃丁度咲いているかと思います。

いつもは車で通り過ぎている道路の街路樹「マロニエの花」を写真に撮ってから、
電車に乗って目的地の鎌倉へと向かいました。


鎌倉七口「名越切通」

鎌倉は三方を山に囲まれ、一方は海に面した「天然の要塞」です。
敵からの攻撃を守る点においては非常に好都合だったのですが
物流を含めての出入りが大変不便でした。

そのために山を掘削し、外部との往来が出来るようにしたのが「切通し」で、
鎌倉には七つの切通しがあります。

「鎌倉七口」と呼ばれるこれらを踏破するのが私の目的ですが・・・

去年のゴールデンウィーク前に歩いた「朝比奈の切通し」が清々しい中のハイキングだったのを思い出し、
お天気に恵まれた昨日、まだ行っていなかった「名越の切通し」を一人で歩いてきました。


「名越切通」(なごえきりとおし)は鎌倉の東、逗子との堺の名越の山中にあります。
この道は往時は鎌倉から三浦半島に通じる要路で、戦略上にも重要な拠点でした。

この切通しを訪ねるには幾つかの方法がありますが、
私はJR「鎌倉駅」から「名越経由逗子行き」の京急バスに乗り「長勝寺」で下車・・・


地元の方に「行き方」を教わり、JR横須賀線の「名越坂踏切」を渡ってから
標識に従い住宅地の坂を上って行きました。


民家がなくなると、横須賀線のトンネルの上の山が目の前に迫ってきます。
初夏の光を浴びて「緑」が眩いばかりに輝いていました


途中仮設の桟道を渡るといきなり木々がうっそうと茂った中の山道に入ります。
これが中世の切通しの世界・・・
深山の趣が深い全くの山道です。


平らな所は敵を迎え撃つには最適な場所のようです。

源頼朝の時代が終りを告げ、北条氏の執権の時代を迎えると、
頼朝時代の旧臣たちの存在が、北条にとっては脅威になり、
梶原景時の追放から始まり、侍別当の和田義盛を倒すなど重臣達を次々と抹殺していきました。

ただし、一番の脅威は三浦一族・・・
この「名越切通」は三浦氏の居城の「衣笠城」に通じる重要な道であり
北条氏にとってこの道は鎌倉防衛の戦略上の最重要拠点であったようです。


更に進むと「曼荼羅堂跡」があり、ここでは矢倉や五輪塔などが見られ
アジサイや菖蒲も綺麗と聞いていましたが、今は修復中で入れませんでした。残念


アチコチに咲いていた「ヒメウツギ」がせめてもの慰めとなりました。


左手は断崖、右手にも大きな岩が迫って道をふさぎます。
人馬を容易に通さない典型的な「切通し」の風景ですね。

このまま進むと逗子側の住宅地に出ます。
私は右手の「小坪階段口」と書かれた標識に従って森の中を下りました。


歩いた時間はわずか40分くらい、猫はたくさん居ましたが、誰一人として出会いませんでした。

「鎌倉は我が家から近いし、観光客も多いし、一人で歩くには丁度良いところ」
と日頃から思っていて、時間があると気分転換に出かけていますが・・・、
今回のこのコース、一人では少々怖かった

下ったところの小坪には「名越隧道」「逗子隧道」「小坪隧道」とトンネルが続いています。

昔から地元では有名なお話ですが、これらのどのトンネルかは忘れましたが
夜に車でトンネルの中を走ると「幽霊に出会う」と聞いたことがあります

すぐ上の山は古戦場、あながち作り話でもないような雰囲気が今回歩いたコースにも漂っていましたわ
人が大勢居れば印象も叉違っていたかもしれませんが・・・

「緑ヶ丘入り口」のバス停から「鎌倉駅行き」のバスに乗り戻りましたが、
まだ歩行数は5000歩足らずです。

「鶴岡八幡宮」の倒れたイチョウの木がその後どうなったのか?
興味がありましたので見に行きました。


「鶴岡八幡宮の大イチョウ」

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3月10日の早朝、強風の影響で「鶴岡八幡宮」のシンボルのような大イチョウが倒壊しました。
県天然記念物にも指定されているご神木は樹齢1千年余とされ、
高さ約30メートル、幹回り約6・8メートル。
鎌倉幕府3代将軍・源実朝を暗殺する際、おいの公暁が身を隠した伝承で有名です。

この狛犬さんの奥に、それはそれは見事に茂っていたのですが・・・
マウスオンで、昨年の秋に写した画像と合わせてご覧下さい


倒壊した大イチョウは根元から4メートル付近で切断し、殺菌消毒を施し植え直されたそうです。

新しい芽を使った後継樹も育成されてスクスク育っているようでした。
立派な後継樹が育つことを祈るのみですね。

初夏の陽射しの中、八幡宮も小町通も修学旅行生たちであふれていました。



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新緑の鎌倉「円覚寺」と友の旅の顛末

2010年04月24日 | 鎌倉散策

今週は母の救急車騒ぎがあった上に、父の検査も始まり、
流石の私も連日の病院の付き添いに疲れ果て、昨日は帰宅後気分が悪くなり寝込んでしまいました
気温差の激しい天候も堪えますね。

久しぶりに晴れた21日(水)、孫達が大じ~じと大ば~ば(私の両親)の見舞いに行くと言っていたのですが
ハー君が風邪をひいて熱を出したので延期となりました。

私は一人で両親の様子見に行き、帰りに足を伸ばして北鎌倉の「円覚寺」に出かけて見ました。
この日は気温もグングン上がって半袖で歩ける気持ちの良い日だったのです

「円覚寺」はご覧の通り、眩しいばかりの新緑に包まれていましたよ


こちらは「三門」、この周りにはたくさんのモミジが見られました。

「円覚寺」は臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられています。
本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗・・・

このブログでも何度か紹介していますので、今回は詳しい事ははしょります。
お知りになりたい方はこちらをご覧下さい。

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マウスオンでモミジの花のアップもご覧下さい
あと一ヶ月もすれば、モミジの赤いヘリコプターが飛び出しますね。


今回の私の目的は、三門の左奥にあるこちらで「山野草」を見ることでした
癒しの時間が欲しかったのです。

なにやら「牡丹」も咲き出したようでした。


通路の右側には艶やかな「牡丹」が咲き乱れ、左側には可愛い山野草が並びます。

マウスオン・クリックで三種類のボタンをご覧下さい

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「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」
とは有名な美女の形容詞ですが、皆様はどのお花が好みでしょうか?

私は「ユリ」、それもヒメサユリが大好きですが・・・
そういえば3年前に行ったヒメサユリの大群落で有名な南会津の南郷村で買った「ヒメサユリ」の鉢植えが
その後全然芽を出しません。おっと話しがそれましたね。

「円覚寺の松嶺院」で珍しい山野草をたくさん見て、大いに心が癒されました
ここにご紹介した写真のお花以外にも、エビネやオダマキ、イチリンソウなどが咲き乱れていました。

初めて見た「ユキモチソウ」「ムサシアブミ」

癒されたといえば・・・
心配していた友人が3日遅れて、無事にイタリアから帰ってきました。

彼女は短大時代の仲間6人で、4月10日から「エーゲ海・アドリア海クルーズ」の旅に出かけていましたが
あのアイスランドの火山噴火の影響で帰りの飛行機が飛ばなくなり、ミラノで足止めされていたのです。

昨日、帰国後早々にTELをくれて、今回の旅の報告をしてくれました。
大変な出来事に巻き込まれたというのに、
彼女の口から語られると喜劇のお話しに聞こえてしまうのは何故かしら?
失礼ながら大笑いして、気分の悪さも吹き飛びました。


一重の「バイカカラマツ」

「旅先でイザという時の一番大事なものは現金と予備の薬よ」
というのが彼女の最初の言葉でした。

彼女達はベニス発着の豪華客船に乗り、地中海(正しくはアドリア海・エーゲ海と彼女から訂正がありました)を
航行し、「クロアチア」「ギリシャ」と巡り、最後はミラノに一泊してミラノ空港から帰国の予定でしたが、
最後の最後に添乗員さんから説明があり
「飛行機が飛びませんので、これから泊まるホテルを探します」と言われたそうです。
ほとんどの人が、日本の家族からのメールや電話でウスウス知ってはいたそうですが・・・

幸い大手の旅行社だったので提携先のミラノ郊外のホテルが決まり、寝る所は確保できたけど、
ここから先はすべて自費となり、旅行傷害保険も切れて使えなくなったそうな・・・
そして「帰国後の当社の代金の請求に対しては速やかに支払います」
という内容の書類にサインをさせられたそうです

ただし旅行社から延長1日につきホテル代5000円の補助は出ることになったけど
「帰りの飛行機代が自費なのかどうか判らないのよ。一体幾ら請求されるやら・・・」


「ツクバネ草」

「ホテルで朝食だけは付いたので、みんなでパンの争奪戦、あっと言う間になくなったわ」
「前日まではロングドレス着て連日ディナーパーティだったのに、いきなり難民になった気持ちよ」

「3日間、毎日路線バスに乗ってミラノの街に食料と水を買出しに行ったのよ」
「でもミラノは大きな街だから、何でも買えて良かったじゃない」

「いつまでかかるか判らないから、お金は出来るだけ使わず、食費も切り詰めたのよ」
「第一旅の最後で残っている現金だって乏しいし・・・」
「衣類は洗濯したけど、旅行用の化粧品もなくなって搾り出して使う有様よ」


「シャユキゲシ」

「3日目にローマに日本からの救援の飛行機が来て帰れる事になったけど・・・」
「多くのツァーが軍団になって、ボロバスに乗り8時間もかけてローマに移動」
「途中のトイレ休憩は大混雑するので食事や買い物は無理、
出発前にミラノで1日分の食料と水を買うようにと言われて大荷物」

「そしてローマの空港では時間がないということで、キャリーバッグを引き荷物抱えて走ったわ」


「ヤブイチゲ」

「持病があるからビジネスクラスで行こうかと迷っていたあなたが、大変だったわね~」
「人間イザという時は力が出るものね。膝や腰が悪いという仲間も皆必至で走ったわよ」
「私たちはまだ若い方なのでどうにか大丈夫だったけど、お年寄りが可哀想だったわ」

「ようやく飛行機に乗れてホッとして、機内食のシャケ弁当が出た時は涙が出たわよ」
「今回の旅ではあれが一番美味しかった」


そして最後に
「添乗員さんが一番大変そうだったけど、お陰で私たちはホテルにも泊まれて早く帰国もできた」
「これからの海外旅行はツァー以外は考えられなくなったわ」
と・・・

「とにかく無事に帰れて何よりだったわね」
私も笑いながら時々突っ込みを入れてたけど、最後は一緒にシンミリとしてしまいました。





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古都「鎌倉」で友人の展示会

2010年03月26日 | 鎌倉散策
東京・横浜では3月22日に「ソメイヨシノ」の開花宣言が出たというのに
冷たい雨に見舞われたりで、今週は本当に寒かったですね。
私の心までが凍っています。


エジプト紀行をUPする予定でしたが、そのエジプトにご一緒した我が家の一軒置いて隣の奥様
K子さんの染物と織物の展示会が古都・鎌倉で催されたので、ご近所仲間3人で行ってきました。
まずはその時の様子をご紹介してからエジプト紀行を再開したいと思います。

彼女とはエジプトでの9日間ずっとホテルで同室でしたが、そのパワフルな行動力にはいつも驚かされました。
エジプトから帰国して一週間目にはもう4泊5日で「奄美大島」に飛び
現地で「泥染め」を体験してきたとのこと

その時の作品も並んでいました(上の写真の茶色のストールがそうです)


60歳まではフルタイムで働き、定年退職してから2年間タイのチェンマイにご夫婦で長期ステイをして
ご主人は木工、K子さんは織物と染色をかの地で学び、1年前に帰ってきましたが・・・

今回はお仲間との展示販売を鎌倉の「古陶美術館」のギャラリーで催されました。


題して「兆(きざし)の会 展」
染・織・表装・陶芸・ブリザーブドフラワーなどのお仲間8人での展示会でした。

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マウスオンで更にK子さんの作品をご覧下さい

K子さんの作品の中から、私はサーモンピンク、のんちゃんは薄いピンクの春らしいストール
そしてぷりんさんは泥染めのモダンなストールを購入しました。

「あなたはこれが合いそうよ」「これも羽織ってみて」・・・
女って、こういう時は生き生きとしてきますよね

「naoさん、意外と泥大島が似合うわよ。大人の女に見える」とぷりんさん。
「私もう充分過ぎるくらいに大人のつもりだけど・・・」
「でもやっぱりnaoさんは明るくて可愛いサーモンピンクよ。絶対に
のんちゃんの強いお勧めに、いつもの私らしい色に決めました。


ストールは身に付けるだけではなくて、敷物としても使えますね。

私も4年前に10ヶ月間ほど「裂き織り」を習いました。
その時の作品が我が家の玄関やリビングに飾られていますが、その後織り機は埃をかぶったままです。

織物は時間がタップリとあり、心が平和でないと向かう気になれず・・・
バタバタと忙しくしている今の私には無理と悟りました。


この美術館には去年の6月初め、「東慶寺のイワタバコ」と「明月院のナツロウバイ」を見に来た時に
寄っています。
「あじさいの小径」という案内板に魅かれて入りました。

その時は「琳派の絵画展」をやっていましたが、今回は「享保のお雛様展」をやっていました。
旧暦の雛祭りの4月初めまで、江戸時代の由緒あるお雛様が飾られているようです。

古民家を移築した建物です「端午の節句」の飾り付けも見られます
吊るし雛は圧巻です可愛い孫のためなら私も作れるかな?

お庭には春を先取りしたような花々が咲いていました。
サムネイルにマウスオンしてスライドショーでご覧下さい。
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バイモ
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この鎌倉に出かけたのは先週の17日の水曜日
ハクモクレンやシモクレンが満開で、ミツマタやサンシユがそろそろ終りの頃でしたが・・・
シャクナゲがもう咲いていて驚きました。
温暖な鎌倉では、山で見るシャクナゲとは咲く時期が違うのですね。


ランチはすぐ近くのこちらのお店でいただきました。
鎌倉にはこのような小洒落たお店が多いですね。

簡単なお弁当ですが、コヒー付きで1200円くらいだったでしょうか?


久しぶりに4人揃っておしゃべりです。
K子さんはこの展示会に向けて作品を仕上げている最中に、
お母様と妹さんとグアム旅行に行ってきたそうです。
「エジプトから帰国して一ヶ月半の間に、奄美大島とグアムに旅行だなんて相変わらず大忙しね」

エジプトをキャンセルしたのんちゃんは、一緒に映画「バレンタインデー」を見に行って以来
この3週間、インフルエンザで大変な思いをしたそうです。

私は・・・
父の帯状疱疹が一段落してホッとしていた所に、先週施設の担当医から呼び出しを受け、
「血液検査の結果、腫瘍マーカーが異常に高い結果が出た」とのお話しで
暗い気持ちとなっていましたので、友との鎌倉での数時間は良い気分転換になりました。

今週に入って、父を総合病院に連れて行き色々な検査を受けました。
ガンの可能性大のようですが、
後は一泊二日で入院をして行う「細胞検査」を受けるかどうか?で悩む日々・・・
痛い思いだけはさせたくありません

この所、胃が痛くなり、変な夢ばかり見て眠れない日が続いています

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鎌倉「建長寺」・今年最後の紅葉

2009年12月20日 | 鎌倉散策
日本列島は寒波襲来で、雪国も一夜にして白い世界に様変わりしたようですね。
こちら関東南部は真冬の冷たい風が身に沁みます。


今朝(12月20日)、我家の2Fのベランダから写した富士山
画面左の南側に雪が多いというのも珍しいです。

元F1ドライバーの片山右京さんら3人が、富士山御殿場口新5合目(標高1400)から入山。
標高2650mメートル付近でテントが吹き飛ばされて2人が遭難した事故が起きました。
痛ましい事です。
今日も風が強くて、御殿場口のある南側はブリザードか吹き荒れているようにも見えますね。

さて、今年もいよいよ押し迫ってきて、残りはあと10日余り・・・
一日4時間、隔週交替方式の仕事も、シフトの関係上、私は昨日が年内の仕事納めでした。

さぁ~これから大掃除に突入
年賀状も仕上げなくてはと、心は急きますが
まだ鎌倉「建長寺の紅葉」の画像をアップしていませんでした。

遅まきながら、私自身の記録保存のために今年最後の紅葉を載せますので、
「紅葉はもう見飽きた」という方はスルーしてください。

鎌倉「建長寺」

建長寺は鎌倉幕府5代執権北条時頼(1227年 - 1263年)によって創建された禅宗寺院で、
建長5年(1253年)に落慶供養が営まれています。
開山(初代住職)は宋からの渡来僧・蘭渓道隆(大覚禅師、1213年 - 1278年)
※今回の資料はウィキペディアを参考にさせていただきました。

11月28日、私は鎌倉の「獅子舞」(モミジ谷)の紅葉を見てから、「天園ハイキングコース」
歩いた事はすでにこのブログでもご紹介しましたが
その終着点が鎌倉五山・第1位の「建長寺」だったのです。
この日はお天気にも恵まれ、今年最後の紅葉が楽しめました

「建長寺・半僧坊」

「天園ハイキングコース」から建長寺に抜けるという事は、
裏の山から建長寺の一番奥の「半僧坊」にまずお邪魔をするということになります。

「半僧坊」は境内のもっとも奥、山の中腹にあり、建長寺の鎮守さまなのだそうです。
ここに祀られている半僧坊権現は火除けや招福に利益があると聞き、私も帽子を脱いでお参りしました。
半僧坊前には急な石段があり、その横には天狗の像が並んでいました。


石段を下っていくと、丁度見頃の「モミジ」が迎えてくれました


「モミジ谷」の背の高い山モミジと違い、階段をおおう様に垂れ下がるお寺のモミジは
アップの写真が狙えるので嬉しいですね。
でも・・・
今年のモミジは少々鮮やかさに欠けるような気がしました。
(カメラの腕も悪いのですが


午後3時半を過ぎて、晩秋の陽も傾き、竹林の前の狛犬さんもシルエットに・・・

「龍峰院」

建長寺の塔頭龍峰院の門前でも、モミジが色づいていましたが、日陰になって上手く写せません。
院の中は立ち入り禁止なので、門前から赤く色付いた境内を撮りました。

「唐門」(重要文化財)
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「龍峰院」から更に下ると「方丈」に出ます。
そこには見事な「唐門」が・・・
マウスオンで内側から見た「唐門」もご覧下さい

重要文化財で方丈入口の門。
仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築したものだそうです。

「方丈」内の庭園

「唐門」横の通常口から「方丈」には入ることが出来ます。
建物自体は京都の般舟三昧院から移築したもの。

廻り廊下の奥には見事な庭園が広がっていました。
この庭園は夢窓疎石の作といわれていますが、同じ作者のお庭でも
一週間前に見た「瑞泉寺の岩庭」とは全然趣が異なるものでした。

出口(正式には建長寺入り口)に向かって歩いて行くと、法堂、仏殿、三門(山門)と続きます。
創建当時の建物は失われたとはいえ、これらが一直線に並ぶ伽藍配置は、
創建当時の面影を残しているようです。

non_nonさんのソースをお借りしてスライドショーでまとめましたので、マウスオンでご覧下さい
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建長寺・三門(山門)
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「仏殿」は重要文化財で寄棟造で単層裳階(もこし)が付くそうです。
堂内には本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4メートル)が安置されていて、
そして堂前にあるビャクシンの古木7本は開山蘭渓道隆手植えと伝えるもので、
樹齢約750年といわれています。

一番右の画像は国宝の「鐘楼」です。
三門の右側にあり、高さ約2.1メートル。
建長寺創建当時の数少ない遺品の1つとして大変貴重なものだそうです。

ここには写っていませんが、仏殿の後ろ側には重要文化財の「法堂」(はっとう)がありました。
文化11年(1814年)の建立で内部には千手観音坐像が安置されていて、
この観音様も2005年に重要文化財に指定されそうです。

流石に鎌倉五山第一位のお寺だけあって、たくさんの国宝や重要文化財がそろい
すべてが立派

「総門」

天明3年(1783年)の建立。
山号の「巨福山(こふくさん)」という文字が書かれています。

ここで拝観料を払って「建長寺」を後にしました。
ハイキングコースを歩くだけが目的でも、拝観料は取られます。
帰りはごまかせますが、トレッキングシューズにザック姿ではやはり気が引けますものね。

京都の中央政府の力が弱まり、鎌倉が事実上の日本の首府であった時代に建てられた「建長寺」
北条氏の権勢を誇示し、当時海外渡来の最新文化であった「禅」の寺を建てることによって、
京都の公家文化に対抗しようとする意識の現われとも見られます。

京都のお寺のような煌びやかさには欠けますが、質実剛健のシンプルな美が感じられる「建長寺」
紅葉のころに訪ねたのは初めてだったので、新たな感激がありました。

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晩秋の鎌倉・「獅子舞」の紅葉

2009年11月30日 | 鎌倉散策
今日で11月も終りです。
昨夜来の冷たい雨もやんで、西の空が少し明るくなってきましたが、今日も寒い一日となりそうです。
先週も相変わらず寒暖の差が激しい週でしたが28日の土曜日は朝から良く晴れて
行楽日和となりました。


土曜日の午前中はハー君の幼稚園の「お遊戯会」を鑑賞して、それから「鎌倉」に向かいました。
前回見られなかった「獅子舞の紅葉」のリベンジです。
イチョウとモミジがコラボして、それは見事な紅葉でした


鎌倉駅から「鎌倉宮」行きのバスに乗り、鎌倉宮から瑞泉寺方面に向かって歩き始めます。
赤いポストのある二股の分かれ道で、「瑞泉寺方面→」を右に分け、左側の川沿いを進みます。

左手に「永福寺跡」が見えてきますが、これは昔の寺の跡地で、今ではただの野原となっています。
ススキがたなびいて味わい深い風情でしたが、やがて畑に変わり、正面に色付いた山が見えてきました。
鎌倉宮から20分ほどで、いよいよ「モミジ谷」への入り口となります。

登山道はぬかるんでとても滑りやすく、靴は「トレッキングシューズ」がお薦めです。


15分くらい泥だらけの山道を登って行くと、前方に赤く染まったモミジが見えてきました。
この辺一帯が「獅子舞」(通称モミジ谷)です。
土曜日のこの日は大勢のハイカーたちでにぎわっていました。


足元に気をつけながら進み、前方を見上げると、山の一角が赤く燃えているようでした。


手入れが行き届き造形されたお寺のモミジと違い、自然のままに伸びた山のモミジはみな大木で、
ファインダーの中には納まりません
圧倒される思いで、ただただ下から見上げた構図でシャッターを押しました。


ここには見事なイチョウの大木もあちこちにあり、足元は黄葉の絨毯でしたが、
大勢の人に踏まれて写真に写せる状態ではありませんでした。
きれいなイチョウの葉っぱの上を歩きたい方は朝のお出かけを勧めます。


鎌倉で一番の山の紅葉が見られる「獅子舞」(通称モミジ谷)
絶好の日和に行けて大満足でした。


紅葉の中の山道を更に10分くらい登って行くと「天園ハイキングコース」に出ます。
上から降りてくる人たちも大勢いて、この日のモミジ谷は大賑わいでした。
土曜日なので、若者のグループやファミリーの姿が多いのが嬉しいですね。


ひと登りすると「天園ハイキングコース」に出ました。
コースに立ち、右に進むと「瑞泉寺」、左に進むと「天園」です。


左側の大きな岩をよじ登ると上は見晴台になっていて、歩いてきた紅葉の森が見渡せました
左手に湘南の海が光っていました。
空気が澄み切った日にはここから「箱根連山」「富士山」も見えるらしい・・・


天園にある標識です。私はここから「建長寺」を目ざす事にしました。

南側は海、そして三方を山に囲まれた「鎌倉」にはたくさんのハイキングコースが整備されていますが
この「天園ハイキングコース」はいわゆる「鎌倉アルプス」を歩く代表的なコースです。

横浜市との境にある北東の山々は鎌倉アルプスと呼ばれていますが・・・
最高峰は大平山の159m。アルプスというより丘陵ですね。

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天園の「峠の茶屋」で一休み、マウスオンでご覧下さい。
この横に「横浜市最高地点」という標識が立っていました。
ここは横浜と鎌倉の境目なのです。


大勢の人が休んでいた「大平山」頂上を通り抜け、鎌倉カントリーを右に見ながら
私はひたすら「建長寺→」という標識を頼りに歩き続けました。

その後はしばらくアップダウンを繰り返します。
途中、鷲峰山(じゅぶせん)の分岐点には、左に「覚園寺」、右に「今泉台」と書かれた表示板がありますが
そのまま真っ直ぐと進みます。


しばらく歩くと絶景ポイント「十王岩展望台」に到着です。
ここからは「湘南の海」が真近に望めました。
「アッ!鶴岡八幡宮前の若宮大路の道が見える!正面は由比ガ浜ね」
隣にいた若い女の子が叫んでいました。

陽が西に傾き、湘南の海は夕景の風情です。
時計を見ると午後三時を廻っていました。


十王岩展望台から建長寺の一番奥、勝上献まではすぐです。
ようやく「建長寺・半僧坊」裏手に到着しました。
「鎌倉宮」から写真を撮りながら歩いて、2時間半の距離でした。

瑞泉寺から建長寺までの約3.5kmが天園ハイキングコース(約2時間半)ですが、
「鎌倉霊園」の横を通り、我家近くの「円海山」や「金沢市民の森」までの散策路も通じていて、
時間や脚力に応じて、様々なコースが楽しめます。

紅葉の季節(11月下旬~12月中旬)には、是非この「獅子舞」(モミジ谷)を通るコースをお薦めします。



前々回の凹んだ私の記事を読み、心配した友人達数人からTELがありました。
歯の痛みも無くなり(問題はこれからどうするか?ですが)、
抱えていた諸問題もほぼ解決しました。
色々ご心配いただきありがとうございました。

ところが一難去って叉一難
施設に入っている母が車椅子から落下して顔面を打ち、救急車騒ぎとなりました。
幸いCTスキャンの検査では「異常無し」でしたが、顔が打ち身でアザだらけ
「高齢者は1~2ヵ月後に硬膜下出血を起こす場合があるので、要観察」
とのお医者様の説明でした。

母が車椅子から落ちたのはこれで2回目です。
前回は私がオーストラリアのパースに長期滞在していた時で
今回は友人4人と1月に行く「エジプト旅行」をすでに申し込んだ後でした。
出かける寸前までどうなるか?そんな状況がここ数年続いています。

鎌倉を歩いて、自然の中で癒されて・・・
あれやこれやと考えても、なるようにしかならない「ケセラセラ」と、
わり切る事ができました。
「自然は大きなホスピタル」ですね。
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晩秋の鎌倉・「瑞泉寺」

2009年11月25日 | 鎌倉散策
相変わらず気温の変化が激しく、猫の目のように変わるお天気が続いています。
先日の三連休も、日曜日は雨模様の真冬の寒さでした。

抜歯後の痛さも加わって、「連休なんて私には関係ないヮ」と、
くら~~い気持ちで家の中に閉じこもっていましたが・・・
最後の勤労感謝の日は晴れ上がり、暖かい陽気となりましたね。

抜歯の影響で、まだほっぺたは少々腫れていましたが
「このこわばった心身をほぐすには歩くのが一番」」と実感し、家を飛び出しました。

主人は仕事だし、お昼近くになってから一人で歩けるところは近くの鎌倉くらいしかありません。
イザ鎌倉へレッツ・ゴ~~


我家近くの銀杏並木も黄金色に色付いてきましたから、鎌倉の紅葉もソロソロ見頃かしら?
ネットで検索すると「獅子舞はガイドブックにはあまり載っていない紅葉狩りの穴場です!」
と書かれています。
場所は「瑞泉寺」周辺の>「紅葉谷」の一角らしい・・・
私は観光客で溢れている「鎌倉駅」から「瑞泉寺」を目ざして歩き始めました。

途中「八幡宮」「鎌倉宮」に寄り、お昼のおうどんを食べたりして、
およそ1時間半かけて「瑞泉寺」に到着しました。
瑞泉寺の入り口近くのモミジが赤く色ついていて、これは期待が持てそうです。


竹林を右手に見ながら苔むした階段を登って行くと「山門」が現れます。
その門をくぐると思わず「ウワァ~」と声が出ました。
黄金色に輝く大きな木(ケヤキ?)が目に飛び込んできたのです


そしてその木の下には楚々とした「冬桜」のお花が、辛うじて残っていました。
白に近い淡いピンクが乙女のように可憐です


「瑞泉寺」は臨済宗円覚寺派のお寺で、夢想疎石がここを禅院にふさわしい地として選び
嘉暦二年(1327)に建立しました。

山号の錦屏山は、紅葉谷を囲む三方の山が秋になると紅葉し、
寺の背後に錦の屏風のように広がることから名付けられたそうでが・・・
この日(11月23日)は残念ながら紅葉にはまだ早かったようです。

本堂裏の庭園は、夢窓疎石による岩盤を削って作られた禅宗様庭園で、
書院庭園の起源となったそうです。


ここの庭園は荒廃していたのを後に発掘復元したものだそうです。

岩盤に池、中島等を巧みにえぐって橋をかけ、さらに水を貯めて滝として流す貯水池までも刻んだ、
岩庭と呼ぶに相応しい庭園です。
後に夢想疎石は、京都の苔寺・西芳寺や天竜寺の庭園も作っているようですね。

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「瑞泉寺」境内のモミジの紅葉は少々早かったのですが、これはこれで美しいものがありました。
マウスオンでご覧下さい


そして「瑞泉寺」の詳しい歴史はこちらをご覧下さい

紅葉には早かった「瑞泉寺」を後にして、少し「鎌倉宮」方面に戻り、
途中で右に折れると、歩いて25分で山道となり「獅子舞の紅葉」が見られるらしいのですが・・・
ナップザックを背負い、トレッキングシューズを泥だらけにしたグループとすれ違いました。

聞いてみると
「前の日の雨で道はドロドロで滑るし、紅葉もまだ早いし、今日は行かない方がいい」とのこと
この日の私はウォーキングシューズでしたが・・・
「見頃は12月に入ってからかな?」と言われ、諦めました。


こちらは行きに寄った「鶴岡八幡宮」の樹齢1000余年と言われている大銀杏です。
まだ黄色くなっていませんでした。

建保7年(1219年)1月27日、源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁は、
この銀杏の木に隠れて待ち伏せ、源実朝を殺害したと伝っています。

一ヶ月前に、孫の七五三の参拝でここに来ましたが・・・
お天気に恵まれたこの日も、七五三のお祝い姿の家族連れが見られました。
不景気で先の見えない日本ですが、このような平和な風景がいつまでも続いて欲しいですね。

鎌倉の紅葉はまだ少々早かった感じですが、
好天の中、久しぶりに歩いて心身ともに癒されました。
歩行数は一万歩を超えました。

アウトドァー派の私、気が滅入った時は戸外を歩いて汗をかくのが一番
と悟った一日でした。



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