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「観る」こと、「創る」こと

『青春ピカソ』を読んでいて、ナルホドと思ったことがある。それは「観る」ことは「創る」ことでもある、という考え。

岡本太郎先生によれば、美術館で芸術作品を「観る」とき、それは観ている客の側も「創っている」ことになるという。

「いったい芸術において単に眺めるという立場があり得るであろうか。真の観賞とは同時に創るということでなければならない。観ることと創ることは同時にある。(中略)真に芸術作品に対した場合、観賞者は己の精神の中に何らかのセンセーションによって、新たに何ものかが加えられる。というよりもむしろ己れ自身に己が加えるのであるが。精神は創造的昂揚によって一種のメタルフォーゼを敢行する。だから芸術作品と対決する以前と以後の観賞者の世界観、平たくいえば物の観方自体が質的に飛躍するのである。つまり創造であって、そのような創造の場なしには芸術、並びに芸術観賞は成り立ち得ないのである。だからこそ観るということは同時に創ることなのだ」(p.29)

これは絵の観賞以外にもいえるのではないか。我々が、音楽を聴いたり、本を読んだり、人の話を聞くとき、それによって自分の考え方や感じ方が変化するのであれば、実は「創る」という営みをしていることになる。

この考え方はとても新鮮であった。

出所:岡本太郎『青春ピカソ』新潮文庫

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