みどりの野原

野原の便り

2月1日 富田林寺内町 & 石川 カワセミ

2009年02月02日 | Weblog
午前中は富田林寺内町をめぐった。

先ず「じないまち交流館」でボランティアの方のお話を聞いた。
お坊さんの名前がいっぱい出てきてなかなか理解かったが・・・

富田林寺内町の始まり
親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗本願寺派の流れの証秀上人が、富田
の荒地を買い受け富田林と名付け興正寺別院を建立。
近隣の郷から集めた8人衆に寺内町のまちづくりを任せた。
約450年前の戦国時代の頃

東西約400m、南北約350mの周囲は竹藪や土塁・堀で囲み、入口は
4か所のみ。当て曲げ辻(道をずらせて見通しを妨げる)など、戦
乱を避ける備えも万全の、城のような都市であったらしい。

また「租税の免除」など特権を獲得したので、周辺から商人などが
集まった。

都市計画ばっちり
南北6筋(7筋?)・東西7町(後8町)の区割りをし、

区画は南北20間。その内家の奥行は8間・間口は6間の倍数と決めら
れ、家が背中合わせになる部分には両方からの下水が流れ込む「背
割水路」が作られ、空いたところにはブドウの栽培が進められたそ
うだ。
通りにはいざという時のための水を貯めておく水路も作られていた
そうだ。 
     
町のそばを通る東高野街道・堺街道・千早や石川の陸運・水運に恵
まれ、文化や物も交流も盛んになり商業の町としてますます栄えた。
一時は51業種の商売屋があったそうだ。

邪魔な存在として寺内町を嫌い、取りつぶしをした織田信長からも
中立を守ることで取りつぶしに合わず、宗教都市として繁栄が続い
たという。

寺内町をめぐった
時間を急いだので写真を写していると遅れるし、忙しかった。

興正寺門 伏見城の門の一つを移築したもの

 
      当て曲げ辻                 三階蔵

 
   忍び返し・虫籠窓・煙出しのある立派な町屋が並ぶ
江戸~明治・大正の建物がたくさん残っていて、国の伝統的建造物
群保存地区に指定されている。

旧杉山家住宅
8人衆の一人で後に酒屋を営み財を蓄えたが衰退し、市が買い取り
改修された。
今は430坪だが昔は1000坪あったそうだ。
広い土間・立派な床の間やふすま絵・座敷・大黒柱など当時をしのばせる。
歌人石上露子の生家でもある。中を見学して説明を受けた。
 
 
        杉山家                   裏庭

日本の道百選に選ばれた通りもあり、カメラマンが大勢来ておられた。
39人の団体はちょっと邪魔だったかも。

午後は寒風吹きすさぶ石川で野鳥観察


今日の一番はカワセミのショー
肉眼で見えるところをあっちの枝からこっちの枝へ何度も飛び移り、
しかも目の前で長い間ホバリング! すご~い!
その後真下の水面にダイビングした。
その後止まった様子ではどうも餌取りは失敗したようだったが、思
わぬショーに観客は大喜び。

寒い所へ来たかいがあった。 一駅先の貴志駅で解散
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