みどりの野原

野原の便り

10月22日 みのり橋・橿原神宮・久米寺・今井まちなみ交流センター「華甍」 

2023年10月22日 | Weblog

帰ってきた娘が久米寺へ行ったことのないというので息子と3人で出かけた。

先ずは寄り道


残念な「みのり橋」桜川に架かる。
県立医大の移転工事に伴って道路が拡張され、橋も架け替えられ、しょーもない橋になってしまった。

元の「みのり橋」はうちの家族が大好きな橋だった。


2011年1月4日の、元「みのり橋」


2014年3月8日の「みのり橋」
時々見に来ては、その優雅な姿を愛でていたのだ。
これは文化財にもあたるんじゃないかと思っていた。

なのに・・味も素っ気もない上記のような橋になって悔しい・・

橿原神宮へ。


深田池 餌に群がるコイ 駆けつけるヒドリガモ。
菊花展はまだつぼみが多かった。


橿原神宮を抜けて・・南大阪線踏切 吉野行きの普通電車が通った。


線路を渡ると久米寺。
推古天皇の勅願により、飛鳥時代、来目皇子(聖徳太子の弟)による建立と伝わる。
西国薬師第7番霊場 
推古天皇勅願所
久米仙人舊跡
真言宗根本道場  
久米寺はいくつもの肩書??を持つ


久米寺 本堂 本尊は薬師如来 


本堂前 大坂薬師講奉納の水受け桝(言い方がわからない)
支えているのは どなた?


多宝塔 
当初の塔が雷火で焼失し、今あるのは京都仁和寺から移築されたものだそうだ。


七重石塔 平安時代後期のもの。


久米寺表門から出る。

すぐ近くには久米御縣神社(現在は天神社?)があり、
「来目邑伝承地」の石碑もある。


裏へ回り込んだところ。フェンスの向こうは線路。
今は道がここでプツンと途切れているが、線路ができるまでは橿原神宮の方に続いていたのだとか。


薬業会館 コンクリート造りの建物。
私はいつも見慣れてスルーしているが、娘はこれも気になるよう。
調べてみると『皇紀2600年事業にあわせて大戦前に計画されたが、結局完成したのは昭和45年だった』というネット記事を見つけた。
こんな歴史があったのは知らなかった。

今井まちなみ交流センター「華甍(はないらか)」




『明治36年高市郡教育博物館として建設された。昭和4年からは今井町役場として使用された』
外観は和洋折衷 飾り窓も凝っていて優雅。
2階の窓を中から見たいと娘が受付で聞いてみたが、叶わなかったようだ。
今井町の街並みに関する展示やジオラマなども見学して家へ戻る。 

コメント
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