毘沙門天の石標の建つJR塩屋駅から町の中を通りぐんぐん登る。
ここは六甲山縦走路の起点にもなっているらしい。
水路の幅いっぱいにかかる鯉のぼり
くっついたサザンカ 片方の根の部分は腐ってないがくっついた所から栄養をもらって上部は元気 右)登って行くと今から行く旗降山の展望台が見えてきた。
ウグイスが枝から枝へと盛んに飛び移ってはさえずっていた。見える範囲で移動したのでよく見えた。
アベマキが多い。こんなに大きくなるの?と言うぐらい大きいカクレミノも。
シャシャンボ・ヒサカキ・ネズミモチ・ソヨゴ・・気持ちのいい山道
尾根筋には花の終わったばかりのコバノミツバツツジやモチツツジ・ネジキ・ヤブニッケイなど。 右)突然現れた人工物にびっくり。 須磨浦山上公園。
噴水ランド 見晴らしがいい。 右手に明石海峡大橋 向こうに淡路島
「お~い元気~」今日淡路島の実家に帰っていて来れなかったHさんを呼んでみる。 公園はハマナス園や梅林・子供の遊び場など上へと続く。
私たちはそこを抜けて旗振山を目指す。
旗振毘沙門堂を通って旗振茶屋に到着。ここが旗振山頂上。標高253m 見晴らし抜群。
江戸中期元禄の頃より大阪堂島の米相場を加古川や岡山に伝える方法としてここで旗を振ったと言う。畳1枚ぐらいの旗だったそうだ。それを叉中継して遠くへ情報が伝達されたのだろう。
それは電信が普及する大正時代まで続いたという。
右)摂津の国と播磨の国の境界(今は須磨区と垂水区の堺)になっているらしい。
芭蕉・蕪村・子規などゆかりの俳人の句碑も立っていた。
芭蕉「蝸牛 角ふりわけよ須磨明石」の通り、右手に明石海峡・左下には須磨の浜が広がる。
蕪村「春の海 終日のたりのたりかな」も今日の穏やかな海を見ると実感できる。
子規「ことすてよ 須磨の浦わに昼寝すと」須磨で療養生活を送ったという子規。
展望閣やリフト・ロープウェイ・カーレーターなどある鉢伏山から一気に下る。
海へ突っ込むような下り道 須磨の浦が目の前に迫ってきた
駅近くの公園でお昼の後、電車で東須磨駅へ移動 須磨離宮公園へ
植物園の シロヤマブキ ヤエザクラが満開
ボタンも満開 温室
スイレンの池ではカワセミが2羽 あのブルーは何度見ても感動する。
須磨寺「源平合戦(治承・寿永の乱)ゆかりの寺として知られ、「青葉の笛」など多数の寺宝を有する」
今日も一日機嫌よく遊んだ。
ここは六甲山縦走路の起点にもなっているらしい。
水路の幅いっぱいにかかる鯉のぼり
くっついたサザンカ 片方の根の部分は腐ってないがくっついた所から栄養をもらって上部は元気 右)登って行くと今から行く旗降山の展望台が見えてきた。
ウグイスが枝から枝へと盛んに飛び移ってはさえずっていた。見える範囲で移動したのでよく見えた。
アベマキが多い。こんなに大きくなるの?と言うぐらい大きいカクレミノも。
シャシャンボ・ヒサカキ・ネズミモチ・ソヨゴ・・気持ちのいい山道
尾根筋には花の終わったばかりのコバノミツバツツジやモチツツジ・ネジキ・ヤブニッケイなど。 右)突然現れた人工物にびっくり。 須磨浦山上公園。
噴水ランド 見晴らしがいい。 右手に明石海峡大橋 向こうに淡路島
「お~い元気~」今日淡路島の実家に帰っていて来れなかったHさんを呼んでみる。 公園はハマナス園や梅林・子供の遊び場など上へと続く。
私たちはそこを抜けて旗振山を目指す。
旗振毘沙門堂を通って旗振茶屋に到着。ここが旗振山頂上。標高253m 見晴らし抜群。
江戸中期元禄の頃より大阪堂島の米相場を加古川や岡山に伝える方法としてここで旗を振ったと言う。畳1枚ぐらいの旗だったそうだ。それを叉中継して遠くへ情報が伝達されたのだろう。
それは電信が普及する大正時代まで続いたという。
右)摂津の国と播磨の国の境界(今は須磨区と垂水区の堺)になっているらしい。
芭蕉・蕪村・子規などゆかりの俳人の句碑も立っていた。
芭蕉「蝸牛 角ふりわけよ須磨明石」の通り、右手に明石海峡・左下には須磨の浜が広がる。
蕪村「春の海 終日のたりのたりかな」も今日の穏やかな海を見ると実感できる。
子規「ことすてよ 須磨の浦わに昼寝すと」須磨で療養生活を送ったという子規。
展望閣やリフト・ロープウェイ・カーレーターなどある鉢伏山から一気に下る。
海へ突っ込むような下り道 須磨の浦が目の前に迫ってきた
駅近くの公園でお昼の後、電車で東須磨駅へ移動 須磨離宮公園へ
植物園の シロヤマブキ ヤエザクラが満開
ボタンも満開 温室
スイレンの池ではカワセミが2羽 あのブルーは何度見ても感動する。
須磨寺「源平合戦(治承・寿永の乱)ゆかりの寺として知られ、「青葉の笛」など多数の寺宝を有する」
今日も一日機嫌よく遊んだ。