柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

公共

2010-04-27 08:06:12 | Weblog
皇居の周りの歩道(行ったことないのですがそう言えばよくここの映像が流れますね、ジョギングしている人を写した)が、全国のジョギング愛好家、ランナーたちの人気スポット、憧れのスポットになっているそうで、なんでも4,500人が走ってるんだそうです。皇居がどれくらいの広さで、歩道が全周何キロあるのか、もっとも数字見ても行ったことがないですからイメージも湧きませんが、知らないので、4500人が一斉に走ってる、どのくらいのランナー密度になるのかそれも想像できませんが、記事はいずこも同じのマナーの低下を嘆く論調です。ゆっくり歩いている人や、お上りさん達がたくさんいるわけですよね、そこへハッハッと足音も高く誰かが走ってくる、歩いている間に一人や二人ならそれもここの背景でしょうが、次々にやってきて道をその度に明けて、記事によると舌打ちして走り去っていくんだそうです連中、こりゃいかがなものか、ですわね確かに。ランナーズステーションやらランナーズチームやらの主催者の言も載っていますが、東京と言う街の雑多性(これはどのコミュニティーにおいても同じことですが)そして人の多さを感ずることです。圧倒的な人口。こここそが田舎と違うところです。色々おるわな。これに尽きるのですが。
 読売の四コマ漫画「コボちゃん」のコボちゃんにもうすぐ弟か妹が生まれるんですが、その名前を紙上で応募してます。それだけ人気の高い漫画ということなんですが、平和な時代ですね。笑いながら、ほほえましく思いながら、ええんかいなこんなんで・・という気持ちも同時に起こってます。亡き枝雀が言ってました緊張と弛緩、さすがに最近はあれこれの不安定世情に対して緊張感は高まってますがね。ううむ。いいんですけれどね、いいんですけれど・・です。
 新しい公共、という言葉をお聞きになったことがありますか。保守系論壇誌では以前から亡国の思想として取り沙汰されていますが、鳩山さんが提唱してる新しい運動です。公共というのは今までは(今も)国家が統制していたことだが、そうではなくて教育や介護、保育などの領域に地域の人達を配して、その人たちの運営でやっていこうとするものです。一見(一聞)いいようですが、とんでもないのです、その「地域の人」に問題があったらどうしますかということです。そうでしょう?話はとても簡単で過激な思想で、端々から日本文化を壊していこうという悪だくみです。住民、市民、地域の力、なんてのはすべて甘言でして、この言葉でごまかされるのです。市民団体なんて肩書きの気味の悪いこと。ご経験のある方々多いのではないですか。職業欄に団体職員なんて書く、あの感覚です。国境をなくしましょう、私たちは地球人なのです、地球市民なのです、ってね、聞いたことあるでしょう?とんでもない!!そんなことできるはずのないこと、できはしないということを、人類は何千年もかけて繰り返し経験してきているのです。「地域の人」達が善良でいい人だからという前提です。いい人悪い人と他に正しい人邪な人の違いもあるのです。ここを忘れてはなりません。新しい公共。絵に描いたごときリベラル、左翼思想です。そう思います。
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