柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

原理原則

2008-03-23 10:35:36 | Weblog
プロ野球開幕しましたが何だか盛り上がらぬ事で。高校野球も始まって、一気に球春来たるの感なんですが何だかねぇです。昨日は夜に巨人対大リーグやってましたが、これも何だかどうも。もっとも、この手のゲームは向こうが物見遊山ですからね、新聞によれば400万円くらいのボーナスが出ているそうで、やっつけ仕事ではあります。巨人も誰か知らないピッチャーやら野手やら出てきて興醒め、もっともラミレスとか小笠原とかも未だに馴染みませんし、生え抜きのレギュラー連中の覇気のないこと。あれでは視聴率など到底望めませんわ、久しぶりに巨人戦見て思いました。解説の中畑と水野が喋りまくっていたことが印象に残るようじゃだめですわね。
 手術の現場にはナビゲーションという一般用語で括られる医療機器が氾濫しています。カーナビのナビです、元々はパリダカかどこかの長距離自動車ラリーの助手席にいる人を指す言葉だったんでしょう?それが転じて敷衍されて補助するもの一般に冠されるようになったというわけです。脳外科手術でも花盛りです、おそらく3年現場から離れたら浦島太郎でしょうね、私なぞは問題外です。そこに問題が生じているという記事です、テクニシャンとして技術者が手術場に入ることを業界側が拒否してきたというのです。平たく言えば機械操作を側から教えてくれるメーカーの技術屋が手術場に入らなくなるということです、すると例えばトラブルで止まったときの咄嗟の対応ができなくなるというわけです、医者は機械屋じゃありませんから才能と興味のある奴以外は機械が止まったらその場でお手上げでしょう、それが初めて見る機械であってご覧なさい、何をかいわんや。脳外科で使う補助機械ならすぐに命にどうのこうのはないでしょう(回復まで待てます)が、心臓手術ではそうはいきません、人工心肺が止まれば即命に関わります。こちらの機器もおそらく日進月歩でしょう、次々に新しい機能満載したものが出てきましょう。業者はどんどん売りつける、でも実際の使用現場に機械をよく知る者がいなくなるんです。これは怖ろしいことですよ。どうして今こんな事になったのか。それは責任波及を怖れたからでしょう。医療事故の多くがこの手の医療機器の不具合に帰因するものになってきています。それだけ術者の上手下手の割合が小さくなってきている、そういうナビゲーションシステムを揃えているかどうかが手術成績に直接響く、そして世の中の評価もそちらに(機械のあるなしを第一に比較する)傾いていくという流れです。となればそこにテクニシャンがいたのに、なんてことになって刑事罰はもとより損害賠償まで請求されるかも知れない虞が大きくなってきているわけです。もちろん彼らは機械の操作を指示するだけです、手術に関わってはいません。でも手術場にいて、明らかな機械トラブルが原因の事故が起これば責任はかかってきましょうね、そこを怖れたのでしょう。でも、業界はそうはあからさまには言いません、医療行為との境界線を引きにくく、医療行為をできない立場で医療現場にいることは適切ではないという理由です。なるほど、それらしいこと。心臓手術での医療事故の多くは機械の不備が関与しています。それらは全て医者の不注意で片づけられてきましたが、現場にいるとこっちに火の粉が飛んでくるという推測なんでしょう。こう決まってしまうと、手術現場はいよいよ危険に満ちたものになっていきます。トラブルを予防予知するのも機械任せ、トラブル解決も機械任せといった手術に慣れた現場ですよ。昔はよかったなんて決して言いませんが、術者の腕が大きくものを言った時代は全てのトラブルに人が自分の手で応じて超えてきました(それしかなかったんですから、しかたのないことです)、冷や汗をかきながら血の海と戦ってきました、突発事故に応じてきました。結果だけを比較すればナビゲーションシステム全盛の現代と人がその目とその手で経験と勘(六感全てを)を総動員してやっていた時代とでは明らかに差が出ましょう、それは手術成績の向上に資し、ひいては医学医療の発展に大きく寄与している事実に他なりません。そこを否定するのではないのですが、機械に頼ると機械にやられる(不利益を被る)という人の世の真理に躓く姿を見るわけです。人を恃むと人に支配されるのです、マキアベリも言っていますしこの手の箴言はローマ春秋時代に既に言われていることでしょう。機械に頼る、それを動かす技術者に頼る、医者は画面に現れる数字や波形を判断するだけ、その真贋を疑うことなく。誰の責任ですか?そんな所であなたは命を医者に預けて手術を受けるんです、麻酔がかかればあなたの命は医者の手中にあるのです、俎板の上の鯉とはこのことです。手術手技には問題なかった、機械がトラぶったからだ、と医者が逃げる。機械は納入時は問題のないことを医者も確認したはずだと業者。業者とすればこう逃げたいわけですね、手術場に入ることは危険が高すぎますから。なぜ?それは一にも二にも医者が逃げるからですけれどね、俺は悪くないって言いすぎです、お前が執刀医なんだからその手術については全ての責任を負うべきなんです。機械のトラブルも術者の責任です。そう構えないから、業者が逃げるんですね。ああ、個人主義の爛熟退廃ですか。社会秩序の崩壊ですか。公的職業、国家の根幹に関わる職に就いている者たちの責任感のなさ、国思う社会を思う意識の欠如ですか。どう表現しようと、秩序の崩壊には違いないんでしょうね。原理原則の破壊。出るは溜息ばかりなりです、皺が寄る先はいつも一般国民ですから。
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