ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

ダニエラ・ビアンキの美しさに心を奪われる

2011-06-02 06:23:45 | ダニエラ・ビアンキ
午前十時の映画祭」で、「007危機一発/ロシアより愛をこめて」を上映しています。

ショーン・コネリー演じるジェームズ・ボンドが活躍する映画ですが、この映画でボンドガールをつとめているのがダニエラ・ビアンキです。



彼女は歴代のボンドガールの中でもその美しさでは際立っていると思います。残念ながらあまり女優として大活躍したとは言いかねる彼女ですが、この映画で見せてくれた美貌はまさに永遠のものがあるかと思います。

今日は彼女のめずらしい写真もふくめてご紹介しましょう。

ダニエラ・ビアンキ(Daniela Bianchi)は、第二次大戦中の1942年1月31日にイタリアのローマで生まれました。父親は職業軍人だったとのことです。幼い時期にバレエのレッスンを受けていました。彼女の美貌はそれなりに注目されるものだったようで、モデルをしていながら1960年に「ミス・ローマ」というミスコンテストで勝利し、同じ年のミス・ユニヴァースで2位になります。そのときの貴重な写真をご紹介しましょう。



真ん中の列のいちばん左がビアンキさんです。









解説するまでもないでしょうが、右から2番目が彼女です。



上に同じ。

個人的には、この中だったらぜったいビアンキさんが一番じゃないかと思うのですが、顔以外のところで判断されたのかな。

実は、彼女は、このコンテストに出るまえの1958年にジャン・ギャバンブリジット・バルドーが主演(すげえキャスト)した『可愛い悪魔 En cas de malheur 』(1958) という映画にクレジットなしで映画初出演しています。たぶんエキストラのようなものだったのでしょう。この映画のフランス語版のwikipediaには、彼女の名前が一番最後にのっています(役名はなし)。

その後3本ほど地元イタリア、フランスの映画に出演した彼女は、映画の宣伝をかねた公開オーディションでタチアナ・ロマノワ(ロマノヴァ)役に起用されます。が、英語が不自由だったので映画では彼女のセリフはふきかえられました。



それにしても当時無名だった彼女はやはりあの美しさが決定的な要因で起用されたんですかね。



なお、スクリーンテストは、ボンドとのベッドシーンだったそうです。



この映画が作品としても興行としても成功したので、彼女にはいろいろな作品のオファーが届いたのですが…

残念ながらそれらはあまり恵まれた作品とは言いかねるものでした。

実は彼女は、1964年に秋に米国のテレビドラマ『ドクター・キルデア』(英語版wikipedia)に出演しています。Rome Will Never Leave Youというエピソードで3回にわたって出演しています。彼女の役名は、フランチェスカ・パオリーニです。どうやらイタリア系米国人ではなくイタリア人の役だったのかな(タイトルやファーストネームから判断すると)と思います。内容はつまびらかでありませんが、主演のリチャード・チェンバレンの歌の題名をタイトルをドラマの題名にしているというものですから、たぶんローマロケも行った視聴者サービスを意識したエピソードだったのでしょう。アリダ・ヴァリもゲスト出演しています。

こちらの記事もご指摘用のように、この出演はたぶんビアンキの米国進出をねらった上でのテストケースだったとかんがえられます。が、英語力に恵まれなかったということもあったのでしょう、彼女の米国の映画・テレビ作品への出演はこの後はありませんでした。

正直欧州出身の女優さんて作品に恵まれず消えていっちゃう人が少なくないですね。素材はよくてもそれを生かしきれない人が目立ちます。アニセー・アルヴィナもそうだし、ジェーン・バーキンだって映画に関してはそんなに作品に恵まれているわけではありません。そういう意味では、カトリーヌ・ドヌーヴはすごい。あそこまで今日に至るまで充実した映画に出つづけているのはさすがです。彼女は1943年生まれ、ビアンキさんとほぼ同じ年の生まれです。

それ以後の彼女の映画出演の過程については省略して、彼女は1968年に最後の映画出演をして映画界を去ります。ショーン・コネリーの弟のニール・コネリーが主演した007のパロディ映画(こちらに詳しく紹介されています)に顔を出したりもしました。そういった女優人生にあまり魅力が感じられなかったのかもしれません。正式に引退宣言をしたのかはわかりません。英語版wikipedia によると

> In 1970, she retired from acting to marry a Genoan shipping magnate, with whom she has a son.

とありますが、IMDbによりますと

>Married the president of an Italian cargo shipping company in 1985.

とあります。お子さんがいるのなら、wikipediaの記述のほうが正しいのでしょうか。IMDbが正しいのなら、1985年まで何をしていたのかなという気もします。

下は、2000年ごろの彼女です。



たぶん60ちょっと前くらいの時のものかと思われますが、今もさすがの美しさですね。

すいません、1回で彼女について語るのがちょっと無理がありました。次回、もう少し彼女の写真を特集しましょう。

さて、今回の記事は、ほとんどの資料をこちらのブログさん(J・KOYAMA LAND 番外地)からいただきました。といいますか、内容はほとんどひきうつしにちかいものがあります。たぶんここまでダニエラ・ビアンキさんにこだわったサイトは日本にないのではないでしょう。すばらしいの一言につきます。あらためて深く御礼を申し上げます。
コメント
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