ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

やっぱり中学生の娘をもつ母親のことを「ママ」とは呼べない

2010-12-05 02:33:34 | Weblog
いやー、私もしつこい人間ですが(しつこいから、こんなブログを継続できるんだけどね)、今日もまいどおなじみの話です。

宇都宮直子著『浅田真央、16歳』という本を読んでいて「おや」と思うところがありました。引用してみます。浅田真央をかつて指導していたフィギュアスケートのコーチである山田満知子が、浅田の母親にむかって語りかけるところです。

>匡子は、山田に呼ばれる。
「ママ、ちょっといい? 提案したいことがあるんだけど」(p.24)

これは2006年で、浅田真央が高校にあがるまえの話です。

普通、中学生の娘をもつ母親にむかって「ママ」って呼ぶもんですかね。私ならぜったい呼ばないな。読者の皆さんはどうですかね。

私は、子どもとはまったく無関係な仕事をしているのでそのような機会はありませんが、私が他人の親を呼ぶんだったら(仮に浅田真央のお母さんを呼ぶとしたら)「浅田さん」「匡子さん」「お母さん」っていうところですかね。絶対「ママ」なんて呼ばないし呼べないな。呼んだら1日くらい寝込みそうだ。

フィギュアスケートのコーチは、べつにそんなことに関知する仕事ではありませんからそんなこと言うのはお門違いですけど(ただし、wikipediaによると、山田さんは

>スケート技術の指導と同等かそれ以上に人間性や躾を教え込むことに力を入れており[19]、伊藤みどりを輩出するまでは「お姑さんのいる家にいってもちゃんとやっていけるように仕込んでくれる」と評判をとっていた[20]。

とのことです。

私よりもっと保守的な「お姑さん」は、自分の親のことを「ママ」って呼ぶ人物は嫌がるんじゃないかな。いや、

>伊藤みどりを輩出するまでは

ってあるから、浅田真央を指導していたころには「人間性」とか「躾」を教え込むのはやめたのかな。そんなこともないでしょうけど)

でもさすがに中学生の娘をもつ母親には、「ママ」っていう呼び方はちょっとね。公の場でそのような呼び方をしないというのも「躾」とかの一環でしょう。

で、つくづく思うに、やっぱりフィギュアスケートをやるような人たちってのは、中学生以上になっても人前で自分の親のことを「パパ」「ママ」と呼ぶ人たちがざらなんでしょうね。それは私生活だったら別にかまわんけど、人前ではねえ、やはり中学生くらいになったら(ほんとは小学生でやめるべきだけどね)「お母さん」くらいの呼び方をしてもらわないとねえ。そんなことでは幼稚で仕方ありません。

山田さんがほかの親御さんにむかって「ママ」とかいう呼び方をしているのかどうかは知りませんが、でもフィギュアスケートの世界の一端を知ることができて、これはこれで興味深いものがあります。

そういう意味では浅田真央は、最近は自分のことを「真央」と呼ぶのを控えるようになり、母親のことも(少なくともテレビでは)「お母さん」と呼ぶようになったみたいだから(こちらの記事参照)大変けっこうなことです。これからもぜひそのようにしていただきたいと思います。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010夏 香港・広州・深センの旅(39)

2010-12-05 02:07:48 | 旅(香港・マカオ・広州・深圳)


通路にいる女性たちもフィリピン人ばかりです。







06年にマカオで買った絵葉書をここから日本向けに投函しました。当時は、後ろのビルはなかったな。



スターフェリーの乗り場まで遠くなってしまい、それがスターフェリー使用者減少の一因だという話を聞いたことがあります。



こんなふうに着々と整備はすすんでいます。





フィリピン人の女性たちがおおぜいたむろっています。何を売っているのかな。服とかアクセサリーなどですかね。



埋め立てられ、再開発がどんどん進んでいます。







何年かしたら、ぜんぜんちがう香港になっているのかもしれません。

(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする